想い出がいっぱい
フナッシー地元にもこんなお店があったこと、初めて知りましたよ。ただ、カフェではなくグッズのお店なので、そんなに賑わっても無かったですけどね。(●´ω`●)お盆に色々なことを考えていたんです。世の中便利になり過ぎて、おむつも持ち帰らずに棄てられる時代でも、何かしら忘れている、気づかずにいることもある。母は新築の家に移り住んでからは日記を付けられずにいたんです。真新しい日記帳が真っ新のまま・・。ただ娘としてずっと傍にいて感じていたこと、土地や家を追われ仮住まいの一年、引っ越しも儘ならず常に私も弟夫婦に振り回されていたんです。あんなに急いで事を運ばずに、もっともっと母に寄り添う時間を作って欲しかった、私が今でも弟夫婦に抱く思いです。ベッドから落ちて身動きが出来なくなって「誰も来てくれない。。」と母から電話を貰った頃から、弟夫婦には、きちんと区役所に申請して、見守り態勢を整えて欲しいと頼んでいたにも関わらず、全く一番大事だったその返事を貰えず仕舞いで、部屋はまるで独居房のような小さなスペースにそれも弟夫婦の家から鍵が掛けられる仕様に・・。弟に問い質そうと思っていたらそのまま海外へ出張。それでも頑固な母は、息子夫婦に気負いもあったのか私の家へとの誘いも断り、孤立した生活を送っていたんです。義妹からの訃報を受けて母の家を訪れると玄関には溢れんばかりの衣類、入浴中に運び出された母に何を着せようかとあれこれと選んでいたのか何なのか?結局は一人で遺品の整理をしていたら、まるで自分の予後を覚悟していたかのように、ベッドに上には真新しい下着がきちんと並べられてたんです。楽しいはずの新居での生活も自分の思ったものとは程遠く、母もこの日を予測していたかのように、前日の義妹に誕生祝を渡してホッとしたのでしょう。弱音を吐かない母の、それは強さでもあり弱さでもあったようで、浴槽にこびりついていた母の剥がれた肌を丁寧に剥がして家路についたように思います。旅立ちは突然だったけど、母が全て計画通りだったとすれば、それを見過ごしてくれる人々を選んで、うまく子供たちや兄弟との距離感を保って、自分の最期の時間を目論んでいたかのようにも思えます。そんな思いに駆られたお盆でしたね。嫌なこと、おむつ入れに棄てて、私も自分らしい人生を模索したいと思いますよ。(^^♪開設2300日目の日記です。いつもご訪問にコメントありがとうございます。にほんブログ村 にほんブログ