カテゴリ:ジョギングとは、自己と世界と対話すること
小雨にしては傘をさすほどでもなく、霧にしてはあまりに感触が鮮やか過ぎる。 そんなどちらとも断言しかねる雨粒が宙を漂い、肌をべったりと湿らせました。 今日も西の空に夕陽の姿は見えず、晴天の日よりも薄暗くなるのが一時間くらい早く感じられました。 アスファルトは全面的に濡れてはいないのですが、ところどころまだらに色づき、窪みには水たまりが残っていました。 ゆっくりとした足取りで駆け出すと、ぼんやりと生ぬるい空気がそよぎ、入念に呼吸をしているのに息苦しくなりました。 髪や頭皮に染み込んでいたシャンプーの香りが湿気に溶け込んで匂い立ち、鼻をなでては消えていきます。 人影も少なく静かな住宅地を駆け抜けて、いつものように河原へ出ました。 土は雨を含んでやわらかく、一歩踏み出すごとに温かみのある深い感触が足裏に伝わってきます。 陰鬱な空模様のせいか、この時間に見かける人々の姿はなく、独りだけの道のりを黙々と走りました。 ただ前を向いて独りぼっちで河原を走っていると、空がこんなに広かったんだということに気がつきました。 それは同時に、日ごろ足元を中心とする閉塞された世界に生きていることも教えてくれます。 特に上京してからというもの、どこを歩いていても周囲には必ず背の高い人工物があって、見上げる空は狭められてしまいます。 その無機質な物体の背後にどれだけ広々とした空が広がっているかも知らず、あり合わせの風景を見るともなく見ているのです。 しかし河原に来れば、少なくとも一方の側(つまり川の方向)は半径100メートル以内に人工物はまず存在しません。 野球のグラウンドが二~三面は敷けそうなだだっ広い緑地と、分厚い雲が垂れ込めた灰色の空が見えるばかりです。 そして、当面この開けっぴろげな景色は、わたしだけのものとして目に映すことができます。 そこにいるのは、わたし一人ですから。 確かに物憂げではありますけれど、独特の静謐を湛えた今日の河原の風景を、脳裏に焼きつけておきたいという欲望が湧いてきます。 でも、それはきっと叶わぬことなのだろうということは、経験的に知っています。 これまで何度も目の前の風景を記憶の引き出しに大事にしまっておきたいと願い、実際にそうしようと努めてきたのですが、時間が決まりごとのようにそれらの質感を奪い去ってしまいました。 目に映るものはいつかのために取っておくことはできず、ただその一瞬を味わうことしかできないのでしょう。 それよりはむしろ、この世界のどこにもないただ自分だけの風景を、創造できるようになりたいと思うようになりました。 昔見たものを貯めこんでいくのではなく、新しい世界を思い描き、できることならそれを具現化していくのです。 「考えたことは現実になる」とよく聞ききますが、もしもそれが本当なら、まずはありたい未来をこの頭でありありと思い浮かべることが、すべての始まりとなります。 でも、想像する力が乏しければ、きっと色褪せた冴えない絵しか浮かんではこないでしょう。 欲しいものを外部に求めなくても、豊かな未来の種はすでに自分の中にあるということです。 既知の事柄に囚われることなく、想像力一つ抱えて未来を切り拓いていきたい。 そんなことを考えながら、淡々と手足を動かし続けました。 雨に打たれることなくなんとかジョギングすることができて幸運でした。 ありがとうございました!! 【三文日記】 喉の奥が乾燥していがいがします。 ここにきて風邪の気配を感じます。 とにかく今夜は早めに休みます。 ●今日の天気 雨時々くもり。 ●今日の運動 ジョギング30分。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/06/23 05:25:42 AM
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