カテゴリ:ジョギングとは、自己と世界と対話すること
夏日になった昨日、一昨日とは打って変わって朝から分厚い雲が空を覆い、さめざめとした雨が降りつづけました。 買い物や洗濯はひと通り昨日済ませてしまったので、今日はほとんど自宅で過ごすつもりです。 朝食にとり野菜味噌鍋の残りを食べてしまうと再びずっしりとした重みのある眠気がやって来て、ソファに横になって毛布をかぶりひとしきり意識を手放してしまいました。 再び意識が立ち上がってきたときには箒で掃き清めたみたいに気分がすっきりとして、活力が戻ってくるのを感じました。 それからはバロック音楽を聴きながら本を読んだり、今週の仕事の準備をしたりと穏やかな時間を過ごしました。 昼下がりにはハーフパンツにウィンドブレーカーといういでたちに着替え、ひさしのついたキャップをかぶってジョギングへ出かけました。 天気予報では明日にかけて強い雨になると言っていますが、今のところやり過ごすことができるくらいの涙雨です。 風もそれほど吹いてはおらず、ひさしを避けて飛び込んでくる雨粒はほとんど感じられません。 ところどころに浮いた水たまりに足をとられないように注意しながら、ぐっしょりと濡れた人気のない路地を淡々と駆けていきました。 民家のブロック塀の合間から、こんもりと大きく開いた植物の葉っぱがこぼれ出し、雨に打たれてかすかに震えています。 五月晴れの下で陽光をいっぱいに浴びて陰影を伴った緑もたしかにいいけれど、こうして雫を滴らせながら揺れる緑もしっとりと目に染み込んでくるようです。 あまりに自らを押し出さず、控えめながらも自分自身の色合いをしっかりと輝かせている道端の緑。 その姿は、生きとし生ける者の模範を示しているようですらあります。 そんな素敵な彩りに心を和ませながら、手足のリズムを作って前へ前へと進んでいきました。 住宅街を抜けて河原へ出ると、いつものように遊歩道へは降りることなく、土手のアスファルトの上を走りました。 遊歩道だけではなく、川に面した野球グラウンドやサッカーコートには池のように大きな水たまりができて、だだっ広い灰色の空を映しています。 対岸のビルディングは霧に霞んで輪郭が判然とせず、水墨画のように色を失ってたたずんでいます。 晴れていれば大にぎわいのはずの河原はさすがに人影がほとんどなく、まれにすれ違う人を見つけるたびに親しい友人と出会ったような親しみを覚えます。 「雨が降っていたって決してひるまない。わたしたちは仲間ですね」 そんな無音の声を交わすように、お互いに一瞥をくべて通り過ぎます。 ふと気づくと全身に熱が行き渡り、さっきまで雨粒のひんやりとした感じが気になっていた手の甲も、今では心地よい温感を保っています。 こうなってしまえば、もう雨はまったく障害ではありません。 ほどよい温もりを抱えながら、雨に煙る河原を上機嫌で走りつづけました。 今日も健やかに過ごすことができて感謝します。 ありがとうございました!! 【三文日記】 NHKの「FIFAワールドカップ記憶に残る名勝負」はいいですね。 絶頂期のマラドーナがボールを持った瞬間、西ドイツのディフェンダーが猛烈なタックルをかます・・・なんていうハードなプレーがたまりません。 その代わり、テレビの前からなかなか離れられないのですけれど(笑)。 ●今日の天気 雨。 ●今日の運動 ジョギング35分。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/05/24 06:17:55 AM
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