大切な 人の話を 聴くために
わたしは人の話を聴くのが好きです。生来の気質なのか、自分が言葉を発するよりも、まず相手の言葉を待とうとするキライがあります。そしてたとえ相手が口を開いてくれなかったとしても、わたしから発せられるのはたいてい質問です。その人がどんな経験をしてきて、どんな考え方をし、今どんなことに興味を抱いているのかなどなど、とにかく相手のことを知りたいと願うのです。こちらとしては詮索するつもりはまったくなくて、単純に人間というものに好意的な関心を寄せているだけなのです。複数人の仲間が集まってお酒を飲んだときなどは、じつに楽なんです。わたしから何かを言わなくたって誰かが誰かに話しかけ、そのやりとりを聴いているだけで十分に楽しむことができるのですから。もちろん実際には頑なに黙り込んでいるわけじゃないけれど、もしも貝殻のように口を閉じていなさいと命じられたなら、それはそれでストレスを感じることなく楽しいひとときを過ごすことができるでしょう。そんな傾聴好きの人間にとって、耳が聴こえにくくなったことは大きな打撃だったと思います。周囲を壁に囲われたそれほど広くはない個室のなかに寄り添いあって、二~三人の話を聴くことならなんとかできます。しかし、幾人もの人々が集い、居酒屋のように始終ざわめきが轟いているような場所では、他者の声を聴き取ることができません。手の届かない場所にいる人の声は、よほど大きなボリュームでない限りわたしの耳には届いてきません。また、人間の聴覚には本来カクテルパーティー効果というものがあって、パーティー会場のようにさまざまな音声が入り乱れた場所にいても、その中から自らが必要とする音声だけをすくい取る能力が具わっています。どうやらわたしは聴こえが悪くなるに従ってその力を喪失しつつあるようで、求めている声を雑音のなかから取り出すことが苦手なのです。好きだったことができなくなるということは、とても辛いことです。そして、好きなことというのは、たいていが特技につながっているものです。人の話に耳を傾け、その人のことを深く理解することができるはずだったのに、いつしかそれが難しくなっていました。残念だけど、たくさんの仲間と集い、お酒を飲みながら語り合うという楽しみは、もうあきらめなければなりません。そう言って嘆いていても仕方がないので、わたしなりのやり方を考えたいと思いました。みんなの話を存分に聴くという欲張りはしないで、その代わりに一人ずつ、すぐ傍らに近寄って会話する場を作るのです。それはわたしの一存でできることではないけれど、できる限りわたしからそう働きかけて、一人ずつでいいからしっかりと話を聴きたいと思います。人の声が聴こえるということは、とても幸せなこと。その喜びを味わうために、これからもチャレンジを続けていきます。今日も健やかに過ごすことができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】人の出入りが少ない我が家の洋室。その部屋に置いていたカバンなどに、カビが繁殖していることが明らかとなりました。機を逸してしまっているような気はしますが、除湿機を導入します。●今日の天気くもりのち雨。●今日の運動お休み。