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カテゴリ:テレビ、ドラマ等
なかなか面白かったです。やはり、現場の実態、実体験に基づく視点や言葉でないと本質を見極められないと思います。
机上の論理は机上のみ、だと思うのです。実験、研究も、論理と実験、実証、検証等があって、初めて認めることができるものとなり得ます。 これは、経済や、政治や、事件、事故等にも、共通することだと思うのです。 まずは、実態を知ること、認めることです。自分の見たくないものは見ない、という姿勢では、客観性を保てない。社会を形成する一員とはなり得ないと思われます。 問題があっても、自分の思い込みで対処したところでなんの解決にもならないでしょう。自己満足でしかありません。 番組では、様々な方の様々な価値観に基づくそれぞれのやり方で、子供に接し、指導している姿を紹介していました。その方々同士の意見の相違、意見のぶつかりあいもありました。それで良いのだと思います。当然だとも言って良いかもしれません。それぞれの方が、自ら体験し、会得した手法で指導を行っています。自分にあったやり方というのもそれぞれあるでしょう。また、子供によっては、やり方に工夫が必要な場合もあるでしょう。番組には出てきませんでしたが、指導に適応できなかった例もあるかもしれません。子供が自分には合ってないと。ただし、子供には柔軟性がありますから、多くが適応しているのだと思います。番組で紹介された方に共通するもの。それは、子供を救いたい、という一心ではないかと思います。その姿勢が実際に救うことに繋がるのだと思います。ですから、やり方は各々の信ずる方法で良いのだと思います。それで求めていた結果を導き出しているのですから。無論、効果がないのでは意味がありません。そこが指導する方々に問われているのだと思います。その意味で、本当に問われているのは、サラリーマン感覚的な学校の先生だと思われます。番組で紹介された多くの方々が、学校関係者ではなく、学校から弾き出された子供たちの駆け込み寺を自分でやられている方々です。学校の先生方でも、自発的に取り組んでいる方もおります。紹介もされていました。理想的なのは、かつての教育者的な学校の先生なのでしょう。書いていて思いましたが、学校の先生が教育者なのは当然のことですね。その当然のことが当然でないことに問題のひとつがあるのでしょう。 他にも、いろいろな要因が考えられますが、総じて今の現状は、今の子供達が今の大人達の背中を見て育った結果でしょう。子供達とは、社会が親であり、社会の子供達と言えると思うのです。子は親の鏡と言います。親殺し、子殺しが連日のように新聞紙上を賑わす現代の日本社会の形態が、ことの本質をありのままに映し出しています。現代の日本社会を過去に遡り、どのようにして、なにがあって、今の形態に至ったのか。それを検証することが、様々な現代社会の抱える問題を解決する糸口になり得るのではないかと思います。 以上のようなことを考えさせられた番組でありました。危機感はみな、それなりに持っているように思えるのです。それを如何に実践に移していくかが、各々の課題なのではないかと思います。 私も早く体を治して参戦したいものです。その際、具体的になにをどのようにやっていくかは、私個人に問われるように思います。同時にそれは、人それぞれの持つ人生の目的にも繋がるのではないかと思うのです。 このような番組が、以前より多くなったように思います。日本が再生する、ということは、日本人が再生するということでもあります。国が滅びるか、それとも再生するかは、我々、日本人ひとりひとりの行動にかかっていると言って過言ではないと思います。為政者のみに任せるのではなく、現実にこの国を担っている国民が目を覚ます必要があるように思います。 *読み終わった方は、下記バナーをぽちっとなとして頂ければ幸いなのであります^^。 ☆Click! bootan☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 17, 2006 09:57:23 PM
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