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カテゴリ:本
過日、友人T子さんの誘いで、T子さんのご親戚のお宅を訪問しました。 場所は宝塚市・雲雀丘花屋敷にあり 今年の春、国指定の登録有形文化財に指定されたお邸。 昭和2年にお祖父様が別荘として建てたお屋敷です。 その後占領軍に接収され、10年後に返還されて以来、 住み続けているお住まいです。 山麓のふところに抱かれるように建つ洋館を前にして 体内60兆の細胞が騒ぎたてます。ドギマギ・オロオロ 右往左往。 Reiko夫人に迎え入れていただいたお屋敷内部は ご夫妻が人生を楽しんでいるオーラが隅々から立ちのぼり、 建築物の放つオーラと相まって、 デッキの向こうの森林のような植物群に囲まれたお住まいに 癒やされまくったひとときでした。 デッキに出るとフツーに耳のそばでウグイスが フォルテで啼いてくれる・・ ウソでしょ? 名のある文化財的建築物は名建築ではあっても 人が住んでいないと、どこか無機質。 建築学的な素晴らしさも、先人の思いを受け継いで、 そこに人が住み続けることで、古さと新しさが 見事に融合した住まいになると、つくづく感じたことでした。 次回のブログでご紹介させていただきます。 このお屋敷のヒストリーなども、ゆっくり伺う機会を 持ちたいと思っています。 さて、今日はテーマがそれますが・・ 部屋の壁に飾られていた一枚の額。 日本の植物学の父と言われ、植物学の世界的権威の 牧野富太郎博士の写真です。 写真を拝見してすぐ、あっと気がついたのは、オットが 牧野博士の信奉者で、我が家に何冊もの本があったから。 なぜここに? こちらのお祖父様が牧野博士と懇意で、 よくこの家に滞在していたと、さり気なくおっしゃる Reiko夫人。 植物を愛し、中でも高山植物を大切に育てていたお祖父様と 牧野博士は植物を通して気のあった友人同士だったのだと 想像します。 植物好きの、今は亡きオットが牧野富太郎博士を尊敬して 生前、よく会話の中に出てきたので、 この写真のことを伺ったのでした。 オットと散歩して見つけた雑草※など持ち帰ったときには 一緒に植物図鑑で調べたり、 本棚に並んでいたエッセイなども読み、 牧野博士の人柄にすっかり惚れ込んだのも、オットの影響です。 ※牧野博士のエッセイを読むと 『雑草という名前の植物はありません。 どんな植物にも名前がある。どんなに似ていても、 少しでも違えば、それは違う名前の植物です』と。 学生時代はお金がなく、社会人になってからやっと買い求めた 『牧野新日本植物図鑑』 50年以上昔の6000円は、オットにとって 大盤振る舞いだったことでしょう。 牧野博士の出生地、高知県にある『県立牧野植物園』を 30年ぐらい前に、オットとふたりで訪れたことも思い出しました。 その時の景色、会話など思い出し、懐かしくてナミダ・・ 見開きのページの牧野博士・93歳 昭和45年 初版のエッセイ集も本当に興味深く わかりやすい文章で、惹きつけられる。 これは、牧野博士の次女、鶴代さんが亡き父の随筆を整理し 出版したもの。 2歳で父を、5歳で母をなくし苦労を重ねた 牧野富太郎を支えたのが、後年生まれた次女の鶴代。 父の研究と生活を支えたと言われています。 このあとがきを書いた50日後に、鶴代さんは72才で 亡くなっています。 この本も今は絶版でしょう。 どの章からも、人としての真っ直ぐな生き方が 伝わり、繰り返し読んでも新鮮で、心を リセットさせてくれる読み物です。 次回は本題に戻って、雲雀丘花屋敷のお住まいを ご紹介しますね。Reikoさんにもご了解いただいています。 see you お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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