|
カテゴリ:カテゴリ未分類
昭和十五年六月一日、海軍々楽隊を志願した私は横須賀海兵団に入団しました。
全国から集まった軍楽兵(十五志)は五十八名「七ッ釦」の軍服を着て「四等軍楽兵」になりました。 十月十五日新兵教育も終わり「三等軍楽兵」に この間厳しい教育の為か三名の兵役免除者が出て五十五名となっていました。 同日付で「第二十二期軍楽術補習生」となり一年間の教育に入り、十六年十月一日「二等軍楽兵」に進級し十四日補習生を卒業、五十五名は各海兵団軍楽隊勤務を命じられました。 私はH君、N君、T君の三名と「連合艦隊司令部付」となり十七日、山口県下松市より「山本連合艦隊司令長官」の下旗艦「長門」に乗り組みました。 舷門にはI軍楽長、先任下士官と十四志の人達四名に迎えられ、私達はI軍楽長に連れられ、連合艦隊副官と軍楽隊が所属する運用科分隊長に着任の申告をし隊員には夕食時挨拶する事になりました。 四人並んで頭を下げると、誰かが「オイ!一人づつ名を言え」と言いました。 H君が「海軍二等軍楽兵H・・」と言いかけると、「声が小さい、大きな声出せんのか」。 大きな声を出すと「何言ってるか分からん、分かるように言え」。 こうやって四人共何回もやり直しさせられこの調子なら今晩「巡検後整列」でどんな事があるのかと思うとゾーとします。 巡検後整列とは私的制裁を意味し海軍では一番恐ろしい言葉です。 十四日の夜、横須賀残留となった同年兵達、この整列で顔を腫らし「軍人精神注入棒」で尻を殴られ痛々しそうに尻をさすり悲しそうな顔をして帰ってきたのを思い出し今夜は我が身かと思うとどの先輩達も皆同じ洗礼を受けており避けて通れない儀礼のようなものです。 同夜の整列は思ったより軽く、顔も腫れず、尻も二、三発殴られただけで済みました。 ・ ・ ・ つづく ------------------------------------------- 「平成5年11月26日 小坂校友会報 第23号」 大阪市在住 林 進 ------------------------------------------- *父方の祖父がなくなった時に遺品のような形でもらったコピーより。 会報に掲載されたものらしいです。 人名、誤字と思われるもの、読み難いものなどは修正してある箇所もあります。 著作権とかは分からずに公開してますが、問題がある場合削除します。 人名などの訂正を求められれば修正します。 ++++++++++++++++++++++++++++ 朝、ごはん、にんにく餃子、漬物。 新作Vn。 ネック。 平行して、新たにもらってきた修理の仕事にとりかかった。 昼、ごはん、きゃらぶき、卵、コンニャク煮物、小えびの甘いやつ、漬物。 ネックの仕上げ。 晩、やきそば。 ネックに指板仮付け。 修理も。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|