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柱島沖に帰港。
何事も無かったように前と変わらぬ日課の繰り返し。 その内米軍がガダルカナルに上陸。 山本長官は南洋トラック島に進出を決定。 八月十七日、柱島沖を出撃。 二十八日トラック島着。 ガダルカナルの戦況は一進一退。 十月三十一日、我々は一等軍楽兵に進級。 翌日十一月一日、階級が変更され軍楽兵長となりました。 戦況は悪化の一途を辿り、食糧弾薬の補給も駆逐艦より潜水艦と四苦八苦。 連日の会議。 その内、戦艦「金剛」「榛名」で飛行場を艦砲射撃し、陸軍が総攻撃を行う事となりました。 斥候が出て、その報告には「アメリカ軍は明日の総攻撃も知らず、上半身裸でテニスをしている」とありました。 最前線でテニスをして楽しんでいるとは思いもよらぬことでした。 艦砲射撃で使用不能と思った飛行場ですが、「アメリカ軍は戦車のような物の前に鉄板を付け整地している」との報告があり、ブルドーザーの名も知らず、ツルハシとモッコが主の日本、機械力の差負けるのも当たり前です。 或る日、N君かH君が、明日「大和」がガダルカナルを艦砲射撃の為に出撃すると作戦室より聞き込んできましたがなぜか中止となりました。 これは我々より知らぬことでした。 ガダルカナルの撤収も終り、十八年二月十二日、旗艦を「武蔵」に変更、一年間住み馴れた「大和」。 坂本さんや親しかった人達に別れを告げました。 ・ ・ ・ つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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