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2007.05.03
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カテゴリ:映画



バベルを見てきた。
モロッコ、東京、ロス、メキシコが舞台となり、全く関係のない人たちが1本のライフル銃によりつながっていくお話。(詳しいストーリーはサイトへ、或は映画を見て下さい。)

タイトルの「バベル」は、旧約聖書創世記第11章に記載されている「バベルの塔」にテーマがあるらしい。全地が1つの言語,一式の言葉だった頃にバビロニアの人々が塔を建てその頂を天に届かせようとしたことが、神への崇拝のためでなく建築者たちの名を上げるためのものだったため、神の怒りにふれ、人々の言語を混乱させ,互いの言語を理解できないようにさせて、バベルの塔の建設を途中で終わらせた、という内容だ。
映画の紹介にも「言葉が通じない。心も伝わらない。想いはどこにも届かない。かつて神の怒りに触れ、言語を分かたれた人間たち。我々バベルの末裔は、永遠に分かり合う事ができないのか?」とある。

でも、決して言語だけが問題ではない。監督が「本当の境界線は言葉ではなく、自分たち自身の中にあると気づいた。人を幸せにするものは国によって違うけれど、惨めにするものは、文化、人類、言語、貧富を超えて、みな同じだ。」と語っているように、建築者たちが自分たちの名を上げるために天に届くように塔を建てようとした、愚かな行為こそが原因でありそれに気づかないということが、この映画のテーマであると思った。

ふっと、無知、無明という言葉を思い浮かべる。モロッコの2人の兄弟。3人目の子供を亡くした現実から逃げた夫に対して不信感を持ち互いを閉ざしてしまった夫婦。不法就労者のメキシコ人子守りとその甥。
砂漠に置き去りにされた2人の子供と子守りである女性とが国境を突破し逃げようとする場面で、「なぜ逃げなければいけないのか?」という質問に、子守りは「私たちが悪いことをしたと彼らは思っているから」と、子供は「本当は悪いことをしたんじゃないの?」と、女性は「悪いことをしたのではなく、ただ愚かなことをしてしまっただけ」といったような会話がなされる。
決して悪意があってのことではなく、無知であるがために愚かなことをしてしまって、人を傷つけてしまったり、コミュニケーションできなかったり、その結果心が通わず理解できなくなり不幸になってしまうのか?!

話題になっていた菊池凛子さんの聾唖者の演技、孤独感を体中で放っている存在感は助演女優賞にノミネートされるだけはある。あの役は「渇愛」そのものだ。仏教でいう三大煩悩の貪瞋痴の貪(欲)だ。人間の苦しみの三大原因である貪瞋痴(とんじんち)すなわち、むさぼり、いかり、無知。「渇愛」とは喉が渇いて水を求めるような、貪りの心で、渇きに例えられる妄執のこと。執着することが苦しみの大きな原因と考える。言葉を一切発さずに演技だけでの渇き感の表現はすごい。

菊地凛子さんが登場する場面の照明の高速点滅が原因での体調不良が話題になっていたけれど、私は大丈夫だった。個人的に気になったのは視覚的な刺激より、クラブのシーンでの大音響が続く中、聾唖者の視点に断片的に切り替わるための表現か、音が一瞬まったく無くなったり、再び大音響が流れたりという聴覚的の刺激される場面が繰り返されることだ。音により空間を感じるが、無音になることで狭い空間に閉じ込められたような圧迫を感じた。広い空間での音による圧迫と閉じ込められたような無音の圧迫との繰り返しが自律神経をおかしくしてしまいそうな感じだった。聴覚の刺激で気分が悪くなることも考えられるのでは、、と思う。(医学的にありだろうか?)

モロッコでの放牧シーンは渇いた空間が印象的だ。そこにグスターボ・サンタオラヤのギターが流れる。ギターの音って渇いた大地によく合うのか、ギターの音が乾燥した土ぼこりをイメージさせるのか。。。グスターボ・サンタオラヤは最近映画音楽でよく耳にするアルゼンチン生まれの作曲家だ。アカデミー賞最優秀作曲賞、ゴールデングルーブ賞を受賞した「ブロークバック・マウンテン」や、チェゲバラの若き頃を描いた「モーターサイクル・ダイアリーズ」も渇いた大地、自然の映像に彼のギターが渇き感、孤独感、大きな自然に太刀打ちできない人間のちっぽけさを感じさせてくれる。「21グラム」「スタンド・アップ」にも関わっている。(まだ見ていないので、かりてこよ~)Fatboy Slimの音楽も使われていたらしい。。

サンチャゴ役のガレル・ガルシア・ベルナルは「モータサイクルダイアリーズ」でチェゲバラ役の主演で出ていたこれから有望株の俳優さん。

再び映画のテーマに戻る。監督は人間の大きな悲劇は、「愛し愛される能力に欠けていること、愛こそが、すべての人間の生と死に意味をあたえるものなのに」と語っているが、仏教的には??だ。愛という言葉はどうして感情的なものをイメージしてしまう。理性的に愛する、とは言わないし、慈悲、慈愛という言葉なら理解できないでもないが、慈悲は仏や菩薩の慈悲と使うので、悟った人にのみ使われる。我々一般の煩悩多き凡人には難しい。愚かな人間を描く点では成功しているが、そこから逃れるヒントがひとつでも描かれていたならば、もっとすごい映画になっていたかもしれない。大きな悟りなんて遥か彼方のこと、何か小さなことでも気づく、自分のしていることに気づく、、そんなことからはじめていきますかぁ。。(気づく=プチ悟り)

なぁ~んて、好き勝手な解釈しなが見た映画でした。ぽっ





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最終更新日  2007.05.04 02:19:18
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