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2007.11.14
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カテゴリ:着物
第2章織り、第5章きものの歴史、第3章糸と白生地のノート作りと復習。
きものの歴史の項目では、衣へんの漢字がオンパレード。Macは馬鹿なのですぐ変換できない。部首別から画数でさがさなければならない。

「右衽着装法」、「左衽着装法」というのが出てくる。
「衽」とは下にしく、という意味なので、「右衽着装法」は右が下ということで左前を意味する。養老3年「衣服令」として発令されて以降、着物は左前できることが定着した。これは中国の支配階級漢人の着用した「漢服」にならったもので、被支配階級の胡人と呼ばれた中央アジアの遊牧民が着用した「胡服」と区別するものである。古墳時代の日本は「左衽着装法」であり、右前であるはずなのに、テキストには「この時代は「左衽着装法」といって、男女とも左前に衿を合わせていました」と記載されている。あれ?これってミスプリ??

きものの歴史を「小袖」系列と「大袖」系列で流れをたどっていくのだが、中国から伝わった「大袖」と日本の重ね着というアイデアは、中国の上流階級は形状の非活動的な衣服を着用し、身分の高いものは「活動的でない」ことがよしとされた価値観と一致して取り入れられた。一二単衣のようにたくさん着て袖口が大きく動きにくく、じっとしているのが身分の高い人の生活だったのだ。おしゃれというよりじっと動かないためのもので、それが身分を表すためのものであったとは。

また興味深いのは、封建制度の確立により表という公的世界と奥という私的世界という概念ができ、表である男性には衣服の自由がなく、衣服は身分を象徴するもので衣服の固定化が身分制度維持にとって重要であった。一方、奥の世界に生きる女性は社会秩序を乱さない限り、身分、階層の違いによってそれぞれの好みや美意識を小袖(きもの)に反映し、その結果様式の違いや時代の変遷を生み出すことになっていった。

弥生時代のポンチョのような貫頭衣から、た~くさん着込んで動かなかった時代、現代は機能重視で活動的な方がよいという価値観で、キャミのような下着のように着ない方がフォーマルになってきたりと、、きものの歴史はおもしろいです。





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最終更新日  2007.11.15 19:59:19
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