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終戦を「記念日」とすることに違和感がある。
記念日って、いいことに使うイメージがあるから。 自分の誕生日が長崎の原爆投下の日のせいか、子供の頃、戦争教育に熱心な先生の指導の賜物か、演劇で顔にケロイドのある被爆者を演じたことがあるせいか、8月はやはり戦争について思いをはせてみます。 自分の中に明確なものはなかなか見えてこないのですが。 今年はすっかり高齢化した元兵士たちの今についての報道に強くひかれました。 元米兵が来日して、元日本兵たちと対面し、語り合ったというニュース。 戦地で脱走した元日本兵が、戦争が終わっても日本に帰国することができず海外で年老いているという話。 「私の人生はつまらないものだった」と語る老人。日本の知人に手紙を書けば、戦争に関する話題ばかり。60年を経てもなお、戦時教育の感覚を持ち続け、自分を恥じ、脱走した汚名から逃れられずにいる人生。 戦争は、国家から強制された人生なのに、にも拘らず60年たった今も、自分にとっての意味を、あの時の真実をと、心の中に埋まったままの地雷をひとつひとつ取り除くような作業を個人でおこなっていることが、苦しくて。 個で国家を論じてはいけないのかもしれないけれど。国家のために個が苦しむのは間違っていると、知っているはずなのに。 ぐるぐるぐるぐる、まとまらない思いが頭をめぐる。 体験していないことでも、痛みを感じる心をもっていたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.08.22 23:51:10
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