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カテゴリ:言葉の問題。
若い人たちのバランス感覚がよくわからない。 「よくわからない」などと答えに詰まった私たちが言おうものなら、「君たちによくわかる筈がない。自惚れるんじゃない。わかる範囲で答えなさい」ときつく叱責して来る老講師がかつて私の高校にいた。 そう、私たちはいつもわかっている範囲でモノを言ったり行動したりするしかない。「よくわかる」ことなど、ひょっとしたら永遠に不可能かも知れない。 新潟地震に魂を揺さぶられて関連資料を集めたりカンパを募ったりしている同じ人が、日常では「死ね」だとか「喪」だとかをメールでぶつけ合うのは「普通」だと言う。この人をバランスが悪いと感じる私の方が実はアンバランスなのだろうか? バランスの有る無しは周囲の決めることかも知れないので、私はこれ以上言うことはない。 今日偶然行ったページがイラクの選挙関連の話で盛り上がっていたので、私も自分の過去の日記を転載して軽く参加してみた。 早速返事が書き込まれて「結論は何か?」と言われた。私自身は今自分の持論をその場で披露する必要はないと考え、800字に収めるため苦労したばかりだったこともあり、一つの視点を提供しただけで充分と思っていたのだが、 「で、どうなんだ?」と言われれば、確かに曖昧な投書には違いなかった。 だから話が私への批判だったら「ああ、言われちゃった!」で笑って済ませる範囲だったのだがそうではない。 相手は何故か私の日系人関係の記述に触れて自分の亡母の言動を引用し、 ポルトガル語は「卑猥」で「カッペ」で「他所の言語を盗んで来たみたいだ」とまで私のページに書き残していったのである。 日系人かポルトガル語に対して、何か私的な恨みでもあるのだろうか? 私に対する恨み(?)にしては随分遠回りなことをする人である。ポルトガル語をけなされたからと言って、直接この私が傷つく保障はないだろうに、と思う。 ポルトガル語もフランス語も根は同じラテン語だから似ていて当然だし、スペイン語とは双生児のような関係である。東北弁と九州弁の違いの方が大きいというジョークさえあるのだ。中国人はよく「ボクが自分の田舎の言葉で話したら、恐らくこの場の人は誰もわからない」と言う。 他国の言語をこうやって理由なく平気で侮辱出来る人こそ軽蔑に値すると私は断言してもいいが、その同じ人がイラクの選挙風景の報道を見て「涙が止まらなかった(そのこと自体の是非はさておいて)」というのだから、これも私に言わせればアンバランスそのものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年02月01日 00時56分23秒
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