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カテゴリ:思い出すこと。
*写真は四天王寺です。この写真はまだ使っていないかもしれないと思って採用しました。(いや、やっぱりどこかで使ってるかな?) *ライブドアニュースに『電磁波を食べるサボテン』の話が載っていました。 早晩こういうものにどんどん電磁波を食べて貰わないと人類は立ち行かない時代になるのでしょうか? *昔の落語を少し聴きましたが、なじみのない演者の噺はテンポの緩慢がしっくり来なくてなかなか入って行けませんでした。 *金原亭馬生『がまの油』(15分22秒)==ご存知がまの油は今でも大学生の落研などがよくやる前座噺である。香具師というか、テキヤというか、口八丁手八丁で怪しげな商品を街頭で売りつける商売が昔あった。縁日でみんなお祭り気分だから、少々高くて信用出来なくても、話が面白いから、その話に値段をつける気になって、騙されるのを承知で客は金を出す。 この噺の前段はそれこそ立て板に水でがまの油売りの口上を見事に披露しておいて、後段に入ってその同じ人物に酒が入ると、口上はしっちゃかめっちゃかになって、切れる筈の紙は切れず、切れない筈の腕は切れて血が止まらず、『ご一同、血止めはないか!』でオチとなる。血止めにも効く筈のがまの油が役に立たないわけである。 この噺はうまく演じられると、筋がわかっていてもとてもおかしいものである。 *私はがまの油売りの実演は残念ながら見たことはないが、似たようなものでハブの毒から取った万能薬の実演販売は、幼少の頃何回か見たことがある。 街頭テレビの置いてある小さな町の公園で、縁日とは関係なくその出し物はあった。布の袋にハブが入っていて、これからそのハブに二の腕を噛ませるという設定で、演者はずんずん話しを進めて行く。人だかりが凄いので「この線まで下がって」などと指示しながら、あるときは腕に口で霧をふきかけたり、薬の効用を説明する場面では観客の中から選んだ任意の人間(実は桜)の顔の黒子を取ってしまったりして雰囲気を高揚させて行く。しかし話がクライマックスに達すると、商売物の軟膏の販売に移行してしまい、話は最初に戻って行くのである。 当時の沖縄は、米高等弁務官指揮下の琉球政府が支配していて、パスポートが無ければ人々は本土との往来は出来なかった。そのパスポートも小道具になっていた。 *私はあるときどうしても結末を見たくて、夕方日が暮れかかる頃まで粘って見ていたが、結末は無かった。最後の膏薬売りが終ると客は三々五々散っていった。 私は「ハブに噛ませないの?」と勇気を出して演者に質問したのだったが、彼は道具を片付けながら、私を見ずに「今日はもう終った」と静かに言った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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