カテゴリ:カテゴリ未分類
ウスベニニガナ(キク科)。 真理関数、というのは、エクセル、なんかにも用意してあって、たとえば次のような表を作ることも出来る。 たとえば「=AND(○○、△△)」、○○、△△には論理式が書かれているセルを指定すれば、「○○かつ△△」の真偽を「TRUE/FALSE」と答えてくれるのだ。 論理学で言う「真理表」は、次のようなものであるらしい。 「世界」を、二つの問い「Aであるか?」、「Bであるか?」で切り分けると、か・な・ら・ず・、4つの部分が出来る。 (1)Aが真、で、Bも真、なら、「AならばB」も真。 (2)Aが真、で、Bが偽、なら、「AならばB」は偽。 (3)Aが偽、で、Bが真、なら、「AならばB」は真。 (4)Aが偽、で、Bも偽、なら、「AならばB」は真。 Aが真であるときは、「AならばB」の真偽は、Bの真偽によって決まる。 Aが偽であるときは(!)、これがいかにも常識に反することに、「AならばB」はつねに真なのである。 で、ひょいっ、と上を見てみると、なんとこの真偽のパターンは、「Aの否定またはB」とそっくり同じではないか? ふたたび、はたっ!、と膝を打ち、・・・、本当は、「センター直前講座」とかの準備をしなければならないのに(!)、・・・、こんな図表を作ってみた。 一番左の欄は、「切り分け」られた「世界」の、四つの在り様、である。その隣に、「Aの否定またはB」を掲げてみた。左の欄の示す色つきの部分が、真ん中の欄のこれまた色つきの部分に「包含」されていたら「真」、そうでなければ「偽」となる。
なるほど、「世界」は、こうなっていたんだね! 歳をとっても、まだまだ学ぶことはある! ところで、「背理法」が仮定として持ち込むのは、「Aであり、かつ、Bでない」、つまり、「Aかつ『Bの否定』」、 これは、「ド・モルガンの法則」によれば、「『Aの否定』またはB」の、否定、である。ということは、上の表の真ん中の欄の、「『Aの否定』またはB」の、色のあるところとないところを反転した絵柄になる。ほら、こんな感じ(↓)。
こんどは、左の欄と真ん中の欄の色を塗られた部分に、重なり合いがな・け・れ・ば・、めでたく(!)「矛盾」、「背理法」によって、「AならばB」が真であることが示されたことになり、 重なり合いがあってしまったら、「矛盾」は生じず、だから、「AならばB」は偽となるのだ! フシザキソウ(キク科)、なんだと思う。 私は今、私自身が納得するように考えてみたのだが、おそらくウィトゲンシュタインもこんな方向で考えたに違いない。そして、その結果として、実は先に引用した五・十二はさりげなく周到な言い方をされていたのである。もう一度引こう。 五・十二 命題「q」の真理根拠のすべてが命題「p」の真理根拠である場合、「p」が真であることは「q」が真であることから帰結する。 「pがqから帰結する」とは言っていない。「『p』が真・で・あ・る・こ・と・は『q』が真・で・あ・る・こ・と・から帰結する」、そう言っている。これはすなわち、矛盾からは何も帰結させない、とその裏側で言っているのである。命題pが真であることからは何かが帰結する。しかし矛盾は真ではありえない。それゆえ矛盾からは何も帰結しない。 しばしば『論考』の論理体系は現代の標準的な「命題論理」と呼ばれる体系に等しいか、あるいはそれを含むものとして捉えられるが、少なくとも今述べた点において、それはまちがっているといわねばならない。『論考』は「矛盾からは任意の命題が帰結する」という論理法則を採用しない体系なのである。 「ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む」野矢茂樹(ちくま学芸文庫) ツグミ(ツグミ科)、「冬鳥」winter_visitor。 シロハラ(ツグミ科)、「冬鳥」winter_visitor。 Aであるか?、Bであるか?、二つの問で「世界」を切り分ける。と、必ず四つの部分ができる。 (1)Aであり、Bである。(2)Aであり、Bでない。(3)Aでなく、Bである。(4)Aでなく、Bでない。 「必要条件・十分条件」の議論が前提にする「包含関係」は、この四つの部分のどれか一つを無理矢理「空集合」にしてしまったとき、初めて発生する。 だから、「Aであるなら、Bだ」みたいな事態は、「世の中」には転がっていない。残念ながら。 だから、「君は頑張ったから、きっとうまくいくよ!」とは言ってあげられない。申し訳ないが。 「みんなが合格する」などということが、統計学的には(笑)ありえないことを私は知っているのだが、それでも「願う」、「望む」ことはできるから、そうさせてもらうことにするよ。 Don't call "it" Osprey.「オスプレイ」、と、呼ばないで!・続編 長雨で増水した遊水地上空に、魚影を求めて(?)現れた、ミサゴ(タカ科)の、たぶん、「夫婦」。 「オスプレイ」Osprey、は、この鳥の英語名なのである。 もう一度、いや、何度でも言うよ。 Aであるか?、Bであるか?、二つの問で「世界」を切り分ける。と、必ず四つの部分ができる。 AとBが、「反対語」、であるときでさえ! 「あなたはAなんだ?、だったらBじゃないですね。」 とか、 「あなたはAでない?、だったらBなんだ。」 といった言葉が、ときとして、暴力性を帯びるのは、・・・、どちらにも入らない、どちらとも決められない、「少数者」を、排除する、「立つ瀬をなく」してしまうからだ。 そうして「少数者」を排除した後にはじめて成り立つ、「AならばB」なる「因果論」が、世界に憎悪と不寛容をもたらしている(笑)、と私がわめいたとき、・・・、みなさんは、笑ってくれたね。いいよ、「正しい」命題(!)は、いつも、笑いながら、述べるべきなのだ(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.01.09 16:54:49
|