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![]() ムナグロ(チドリ科) ![]() アカアシシギ(シギ科) ![]() キアシシギ(シギ科) ![]() スズメバチ科ドロバチ亜科の一種 ![]() チュウシャクシギ(シギ科) 「ねこログ」、総目次(笑)/新・「ねこログ」、総目次(笑)/続・「スクラップ・ブック」、の、目次。 目次:「十五夜」に託(かこつ)けて、語る、ブレヒト「あとから生まれてくる人びとに」、道・を・空・け・る・ことに始まり、「己を貶める行為をすることで、同じ地平に立つ」こと、まで/高橋源一郎「ぼくらの戦争なんだぜ」、そして、「転向/偽装転向」作家、太宰治「惜別」を精読する。/ ![]() ![]() ![]() ![]() 旧暦十月三日の月、月の入二時間前 ![]() ![]() 旧暦十月五日の月、月の入二時間前 ![]() 旧暦十月七日の月、南中二時間前 ![]() 旧暦十月八日の月、南中二時間前 ![]() 旧暦十月八日の月、南中二時間後 ![]() 旧暦十月九日の月、南中二時間前 ![]() 旧暦十月十日の月、月の出三時間後 ![]() 旧暦十月十日の月、南中二時間前 ![]() 旧暦十月十日の月、南中一時間前 ![]() 旧暦十月十日の月、月の入二時間前 ![]() 旧暦十月十一日の月、月の出三時間後 ![]() 旧暦十月十一日の月、南中二時間前 ![]() 旧暦十月十一日の月、月の入二時間前 ![]() ![]() ![]() 旧暦十月十二日の月、月の出三時間後 ![]() 旧暦十月十三日の月、月の出三時間後 ![]() 旧暦十月十四日の月「待宵」、月の出三時間後 ![]() ![]() 旧暦十月十五日の月、月の出三時間後 ![]() 旧暦十月十五日の月、月の出四時間後 ![]() 旧暦十月十五日の月、南中二時間後 ![]() ![]() 旧暦十月十五日の月、月の入一時間前 ![]() 旧暦十月十六日の月「十六夜(いざよい)」、月の出二時間後 ![]() 旧暦十月十六日の月「十六夜(いざよい)」、月の出三時間後 ![]() 旧暦十月十六日の月「十六夜(いざよい)」、南中一時間前 ![]() 旧暦十月十六日の月「十六夜(いざよい)」、南中一時間後 ![]() 旧暦十月十六日の月「十六夜(いざよい)」、月の入三時間前 ![]() ![]() ![]() ![]() 旧暦十月十六日の月「十六夜(いざよい)」、月の入二時間前「有明」 ![]() 旧暦十月十七日の月「立待」、月の出二時間後 ![]() 旧暦十月十七日の月「立待」、南中二時間前 ![]() 旧暦十月十八日の月「居待」、月の出三時間後 ・・・ ![]() 「友情のために大地を耕そうと欲した私たちだが、みずからは友情的にはなり得なかった」再論、または(笑)、旧暦十月十五夜の月が昇るとき。 ![]() どちらも、異なる「正しさ」を担った、ということは、異なる「正しくな・さ・」をも、担っているかもしれない、「同じ地平に立って」いる者同士、について、あるいは、旧暦十月十五夜の月が、沈むとき(笑) ![]() 昨夜の「十六夜(いざよい)」は、月の出から月の入まで、雲一つない晴天でした。ということは、あなた、一晩中、起きてたんですか?そういうことになりますね(笑)。 Dabei wissen wir doch: Auch der Hass gegen die Niedrigkeit Verzerrt die Züge. Auch der Zorn über das Unrecht Macht die Stimme heiser. Ach, wir Die wir den Boden bereiten wollten für Freundlichkeit Konnten selber nicht freundlich sein. An die Nachgeborenen/Bertolt Brecht ・・・ And yet we knew: Even the hatred of squalor Distorts one’s features. Even anger against injustice Makes the voice grow hoarse. We Who wished to lay the foundation for gentleness Could not ourselves be gentle. To those who follow in our wake/Bertolt Brecht ・・・ 私たちはまた知っている 卑劣に対する憎しみも顔をみにくく ゆがめることを 不正に対する怒りもまた 声をがらがら声にすることを 友情のために大地を 耕そうと欲した私たちだが みずからは友情的にはなり得なかった 「あとから生まれてくる人びとに」ベルトルト・ブレヒト(長谷川四郎訳、「中国服のブレヒト」所収) ・・・ 原作のドイツ語では「Freundlichkeit/freundlich」だったのが、英語では、「gentleness/gentle・優しさ/優しい」と訳されているね、でも、初めて長谷川四郎の訳文を見たときから、この「友情/友情的」っていう言い方、日本語としてはあまりこなれてはいないかもしれないけど、気に入っていた。これは、ベルトルト・ブレヒトが、1939年か1940年ごろ、ナチの迫害を逃れて、デンマークの、どう読むのだろう?、「Thurø」という名前の島に、亡命者として暮らしていた時に書いた詩だといわれる、冒頭の、 Wirklich, ich lebe in finsteren Zeiten! Truly, I live in dark times! まったくだ、私は、暗い時代に生きている! から、ハンナ・アーレントHannah Arendtは、自著「暗い時代の人々Men in Dark Times」のタイトルを決めたともいわれるが、ほかならぬその書物の中で、ブレヒトを、「スターリンに屈服した」と批判しているらしいと聞くので、ちくま学芸文庫版の高価なそれを、もう買ってあるのだが、なんだか、怖くて(笑)、まだ読んでいない、そんなことをしていたら、じきに「時間切れ」(笑)になってしまうぞ! ・・・ この、あまり攻撃的でも挑発的でもない作品、まるで、自分たちが、党派闘争に明け暮れている間に、ナチの台頭を許してしまったことについて、次の世代に対して、気弱に、許しを乞うている、とさえ読める。「亡命」というやむを得ざる形ではあれ、その場にいなかった、という事実が、「サヴァイヴァーズ・ギルト/生き延びた者のもつ罪悪感」を醸成しているだろうことは、見やすい道理と思う。ある種の「転向者」に特有な、「気弱な」言葉たちに、とりわけ心動かされるのは、もちろん、私自身が、ある種の(笑)「転向者」の一人だからであることもいうまでもない、・・・、 ・・・ ぼくが説教を始めようとしたその瞬間、ほかならぬ自分自身の「敵」になってしまうんじゃないか、と恐れてた Fearing that I'd become my enemy in the instance that I preach ... 正しいことと正しくないこと、そんな言葉が、ひとかけらの疑いもなく、明確に定義できるものだなんて思っていたんだな Good and Bad, I defined these terms, quite clear, no doubt somehow 「マイ・バック・ページズ/My Back Pages」ボブ・ディランBob Dylan ボブ・ディランのこの歌も、公民権運動の高揚期に、「プロテスト・ソング」の草分けとして颯爽と登場した彼が、ある種、「挫折」を経験して、そのような、いわば、「説教」をしてしまいかねないような立場から、撤退しようとした、やはり「転向者」の言葉なのだと思う。 ・・・ ![]() マイ・バック・ページズ/板橋文夫 ![]() マイ・バック・ページズ/エリック・クラプトン、ニール・ヤング、ジョージ・ハリスン他、1992、ボブ・ディラン30周年コンサート ・・・ 話はそれるが(笑)、「マイ・バック・ページズ」という曲を知ったのは、ごく最近、そんな歌がかつてヒットしたことがあるなんて知るはずもない70年代生まれの、ジャマイカ系英国人「二世」の作家、セイディー・スミスZadie Smith「ホワイト・ティースWhite Teeth」に引用されてたからなんだが、そのとき「検索」していて、聞き覚えのある名前に出会った、「板橋文夫」という、ジャズ・ピアニスト、・・・、もう、「四半世紀」前になるわけだが、「やんばる」で芭蕉布を織っている人たちと、知り合いになり、その人たちが企画して、名護市の、おそらくその街にたった一軒あった映画館が廃業した跡地がライヴ・ハウスになったんだったと思う、そこに、このピアニストを呼んだのだ、この人は、トラックの荷台に、アップライト・ピアノをくくりつけて、全国どこへでも出かけてしまう、ずっと後のことだが、辺野古にも一度来られたそうだ、・・・、ライブの最後に、主催者の「機織り」たちがピアノのまわりに並んで、「芭蕉布」を歌った、 わした島、うちなー(私たちの島、沖縄) と歌った人のほとんどが、「うちなーんちゅ」ではなかったのも、また微笑ましく、もちろん私は、感動して涙を流した(笑)、まだ「発病」前だったんだけどな(笑)。 ![]() 板橋文夫ピアノライブ IN やんばる/2000年7月7日 芭蕉布/夏川りみ ・・・ ![]() ![]() 「暗い時代の人々」ハンナ・アレント(ちくま学芸文庫)、White Teeth/Zadie Smith ・・・ で、どうしてこんな話になったかというと(笑)、・・・、「あとから生まれてくる人びとに」という言葉の連想に過ぎない、もう三日も経っているのに、たくさんの人の中に出て行くとか、久しぶりに会った人と言葉を交わす、などと言う、疑いもなく、「楽しい」時間であったにもかかわらず、そんな「躁的高揚」が、病人の身体にはいたく応えるわけで、文字通り「寝込んで」(笑)いたようなありさまだった、勤労感謝の日に奥武山公園で開催された「県民大集会」に、重い腰をあげて、出かけたのだ、・・・、誰もが知る通り、たとえば、辺野古のゲート前に集まる人々の大半は、「老人」なのである、一朝一夕に「解決」を見るとは思えない「運動」である以上、それを承継する「若者」を、いわく「育成」しなければならないことは、誰にも痛感されてきたであろうけれど、どのような「話法」で、言葉を伝えることが出来るのか、「老人」たちの側はもとより、「若者」たちにも、見つけ出すことが、大変困難だったことは想像に難くない、・・・、でも、ようやくそれにも端緒がついたということなのだろうか、壇上に立つ人たちの多くが、二十歳台、・・・、そう、リナさんの事件があって、「高江」の工事が始まった2016年は、「シールズSealds/自由と民主主義のための学生緊急行動」という人たちが話題を集めた年でもあったが、彼らは、私が仕事を馘首になって引退のやむなきに至たる(笑)まで、予備校で教えていた生徒さんたちと同年代の人たちだったから、なんとなく、その言葉使いや、身振りなど、懐かしさや親しみを感じたりも出来たのだが、さらにそれよりずっと若い人たちが、数千人の人々を前に臆せず発言しているのを目撃して、ああ、「時代は変わった」、かどうかは知らないが、少なくとも、もう、自分には「出番がない」ことだけは(笑)、はっきり理解できたから、そんな連想になったのだろう。ブレヒトのように、「あとから生まれてくる人びとに」、なにか言い訳めいたことであったとしても、言・い・残・し・た・い・、気持ちは、よくわかるけれども、本当は(笑)、「老人」がなすべきことは、洞穴にこもっていた古代ギリシャの哲人ではないが、光が通るように身を引いて、道を空ける、ことなのだ。「スタンディング・オベーション」、観客全員が立ち上がって拍手をしてくれる、そうやって「花道」から退場、なんて場面を想像したことがないわけじゃない、十年前、勤務先の予備校の経営が傾いているのは、誰の目にも明らかだったから、そろそろ危ない、だったら、せめて、私も、「最終講義」ってやつで、花を添えたい、と思った、木田元の中央大学での「最終講義」、ハイデガーやアーレントの話だったかな、それから、内田樹、日本ユダヤ学会、という場所にはかなり唐突だが、まるで何者かが「憑依」したかのように、全共闘運動というのは、先の戦争で死んでいった自分たちより一世代上の人々に対する、服喪と鎮魂の身振り、「サヴァイヴァーズ・ギルト」から出た、「自己処罰衝動」なのだ、などと語りだす、・・・、どちらも、とても感動的だったから、自分も、そんなのをやってみたい、とひそかに、腹案さえ練っていたのだ(笑)、・・・、順序数と「カーディナル数」の違い、「他者」を「カーディナル数」化してはならないこと、この世には、決して数・え・て・は・な・ら・な・い・ものがあること、あるいは、「無理数」がそうであるように、この世には、「否定文」、欠如、不在の相においてしか、定義し得ないものがあること、・・・、でも、私の「最終講義」が、実現することは、なかった(笑)、賃金不配のまま雲隠れした経営者の携帯電話をこちらから呼び出して、自分が馘首になったらしい、ということを、ようやく聞き出さなければならなかった、という有様であったから(笑)、・・・。 ・・・ ![]() ![]() 「木田元の最終講義―反哲学としての哲学」木田元(角川ソフィア文庫)、「最終講義―生き延びるための六講」内田樹(技術評論社) ・・・ でも、そうやって、自分を、「あとから生まれてくる人々」のために、黙って道を空けるべく、消えていくべき存在、といったん規定してしまうと、なんだか、不思議に落ち着いた気持ちにもなって、それこそ「友情的」にも(笑)、なれそうな錯覚もあった、・・・、Mさん、復帰運動以来の、沖縄の運動の重鎮だ、四半世紀前、私がまだ「ネット平和運動家」だった頃(笑)以来、家賃の連帯保証人になっていただいたり、大変お世話になってきた、そうそう、6年前にゲート前でつまらない暴れ方をして逮捕されたときも、「身元引受人」になってもらいもしたのだ、・・・、名護署に接見に来てくださった弁護士さんに、沖縄に誰か知り合いは?と問われて、この人の名を挙げると、弁護士さんの態度が急変(笑)、「大物」になれたみたいで浅はかに気をよくしたことを思い出す、そんな恩人なのに、私はと言えば、その頃は、自分が「若者」代表だとでも思っていたのであろう、「これだから『団塊』の運動はだめなんだ」みたいな憤懣をぶつけて、とても失礼な振る舞いに及んだこともある、・・・、この日は、遠くから私のことを見つけてくださって、「あんた、また瘠せたんじゃないの?」と心配そうに尋ねてくださった、この人は、私がその後「うつ病」に罹患したことも、ちゃんと知っていてくださっている、「いやいや、もう、年ですから」などと、うっかり失礼な答え方をして、でも二人とも破顔一笑、お互いに手を握り合ったりして、ちょっと不思議になまめかしい(笑)感じすらあった、・・・、Yさん、辺野古「ゲート前」の「顔」ともいうべき人物だから、ほとんど匿名にした意味がないが(笑)、来賓席のテントから、芝生に座っている私にむかって、手を振ってくださった、私の顔を覚えてくださったのは、安●和の琉球セ●メント前、船に土砂を積み込むダンプに、狭い右折レーン同士で鼻を突き合わせて「じゃま」をする、そのとき誰よりも私の運転する車が、大胆に頭を突っ込んでいて、大いに効果をあげたらしく、ゲート前でデモをしていたYさんたちの目にとまったらしい、若い頃から(笑)「極左暴力集団」と呼ばれていた者にとっては、そんな程度の「跳ね方」、なにほどでもないし、観客の目があると盛り上がってしまうお調子者だった、というだけのことだが、「あの、ないちゃー、なかなかやるじゃないか?」みたいな感じだったんだろうね、それ以来だったろう、その後私は、また、現場から「逃亡」してしまったのだが、「COVID-19」騒動の期間と重なってしまって気づかれなかったからか、とがめだてされるようなこともなく、知事選挙の集会なんかのときも、言葉を交わそうと思っても何も話題はないのだが(笑)、目で挨拶だけは、して下さるのだ、・・・、でも、ふたたび「逃亡」するにいたったのは、ほかならぬ、その安●和での経験だったのだね、青信号で、右折レーンの先端ぎりぎりまで、車を寄せる、相手もそうする、黄色に変わって、次に右折信号が出るまで、何秒くらいだろう、運転手さんと私は、じっと見・つ・め・あ・う・ことになるのだ、いろんな表情があった、怒りをあらわにする人、にやにや笑って見せる人、クールに見えないふりをする人、でも、こちらの思い過ごしかもしれないけれど、どの人も一様に、何とも言えない「悲しさ」めいたものをたたえていたようにも、今は思い出される、・・・、彼らは、基地建設に加担しているという「負い目」があるから、逆に威丈高になるのだ、とか「分析」してみせる人は多いけど、私には、そうは思えなかった、・・・、思うに、「世界」には、複数の「正しさ」がある、あって当たり前だ、私の「正しさ」が「正しく」て、お前の「正しさ」は、本当は「正しくない」などと、立証する方法は原理的に、ない、むしろ、「正しさ」は、「トランセンデンタル/先験的」なものであって、一つの、「決断」に根差しているものに過ぎないかもしれないじゃないか、私は、目の前のダンプの運転手さんに対して、今風の言葉で言えば「上から目線で」、いや、ダンプの運転席の方が乗用車のよりずっと高いから、私は、常に見上げているのだけれど(笑)、自分の「正しさ」が、彼または彼女の「正しさ」より、より「正しい」とは、とても言える気がしなかった、・・・、西加奈子という作家は、イスラム革命直前のテヘランで生まれている、父親が日本企業の海外駐在員だったのだね、その後、幼少期をカイロで過ごす、語り手の性別まで変えてあるけど明らかに自伝的な小説、「サラバ!」の中のエピソード、エジプト人の貧困階層の不良少年たちに取り囲まれてしまったとき、「彼らを見下してはいけない、差別してはいけない」と、身動きが取れずににやにや笑っているばかりの「ぼく」を尻目に、母が飛び出してきて、おそらく下品な大阪弁で(笑)、怒鳴りつける、・・・、 母のやり方は絶対に間違っていたが、間違っている分、真実だった。己を貶める行為をすることで、母は彼らと同じ地平に立っていた。「そんなこと、してはいけないことだ」「人間として下劣だ」、そう糾弾されるやり方で、母は叫んだ。 だから私も、フロントガラス越しに、およそ下品きわまりない(笑)表情を示し、汚い罵声を発している口真似をしてみせる、なんてことをしていた、ここは、「正しい」者と、「正しくない」者が、対決している場所ではない、私たちは、どちらも、異なる「正しさ」を担った、ということは、異なる「正しくな・さ・」をも、担っているかもしれない、「同じ地平に立って」いる者同士が、出会う場所なんだ、という「連帯感」を表示するためにね!でも、そんな、いくぶん「アクロバティック」な「心理戦」には、もともと「病人」だけに(笑)、ほとほと、疲れてしまったのだね、・・・、Lさん、こちらも、元海兵隊員、「ヴェテランズ・フォー・ピース」メンバー、さらに元をたどれば、ベトナム反戦闘争期の、UCバークレーのバリバリの活動家、と言えば、やはり匿名にした意味がなくなってしまうが、「イデオロギーとしての英会話」というその著書を読んだ高校生の頃以来、「ファン」だったこの人とは、2000年沖縄サミットの際には、プエルト・リコ、ビエケス島で米海軍射爆場反対闘争に従事しているお客人に、私が運転手で、彼が通訳、という役柄で、同行し、一日中ご一緒させていただくという貴重な経験をもっているのだ、十七年のブランクを経て、高江や辺野古で、通りすがりに目が合ったりすると、「おや?こいつ、見たことある?」みたいな不思議そうな表情をしていただくだけで満足し(笑)、声をかけたって話すことなど何もない、遠くから見守らせていただいている、その日も、「VFP」の横断幕の前に座っておられたが、もはや、介助なくては歩くのもままならないご様子であった、・・・、これらの「お年寄り」たちは、まもなく「退場」していかれることになるだろう、もちろん、ほんのわずか若・い・(笑)だけの私の方が、「先」かもしれない、きっと錯覚に違いない、明日になればまたじたばた未練たらしく煩悶するに違いないのだが(笑)、なんだか、その日に限っては、その事実を、淡々と、受け入れられるような気がしたことであったよ、ということで、ブレヒトの引用から始まった、長い長い話は、いったん、終わる。 ・・・ ![]() ![]() 「サラバ!」西加奈子(小学館) ![]() 「イデオロギーとしての英会話」ダグラス・ラミス(晶文社) ・・・ 『沖縄を再び戦場にさせない県民の会』11・23 県民平和大集会への参加呼びかけ 沖縄を再び戦場にさせない県民の会 ![]() ![]() チラシ表面・拡大/チラシ裏面・拡大 ・・・ Brecht ‘To Those Who Follow in Our Wake’ ![]() デンマーク、Funen/Fyn島とThurø島 木々についておしゃべりをすることさえ犯罪なのだ、それは、不正に対するある種の沈黙だから!・・・ハンナ・アレントとベルトルト・ブレヒト、まだ先は続くと思うが 友情のために大地を、耕そうとした私たちだが、自らは友情的にはなり得なかった・・・。 ブレヒト「三文オペラ」、ワトソン博士 ブレヒトの「島」は何処?、「イースターの日曜日」は何時? ランベスから、クリックルウッドへ・・・セイディー・スミス「ホワイト・ティース」によるロンドン探訪、そして「だから、まるでぼくには何か守るべきものがあるかのような幻想を抱かせる」、ボブ・ディラン「マイ・バック・ページズ」の思い出 でも「正しさ」は、「個人」に帰属する、「無理由的」、「超越論的(トランセンデンタル)」なもので・・・ 「軽蔑されるのって、楽だから」、「涅槃図」、カイロのタハリール広場、ふたたびニーナ・シモン、西加奈子「サラバ」を読む 「その言葉も、僕が聞いた言葉の中で、やはり一番奇麗な言葉だった。アッサラームアレイコム。」…西加奈子「サラバ」を、読み直す ・・・ 此処では誰も「それ」について喋ったりなんかしない、ただ、黙ってスコップを動かすだけ、・・・、「スコップを動かす」ことが出来なかったのなら、せめて「黙って」いようと決めた。 ![]() 「光陰矢の如し」、でもないし、「少年老い易く、学成り難し」、いや、ますます違う(笑)、この、老人の残された時間の減り具合が、加・速・度・的・、であることを(笑)、どうやって表現したらよいのだろう? 心理学には、たしか、ウェーバーの法則、というのがあったはずで、刺激の量が大きくなると、刺激が同程度に増加した、と感・じ・る・感覚量の閾値も大きくなる、持っているものが少なければ、そのわずかな増大にも敏感だが、すでにたくさんのものを持っていれば、少々それが増加しても気づかない、・・・、「持っているもの」を、「これまでに生きてきた時間」、年齢、とすれば、そこに新たに付け加わる時間、ほかならぬ、今、現在、過ごしつつある時間、に対して、ああ、同じくらい、過ぎたな、と感じるには、その「これまでに生きてきた時間」に、比・例・した、より、長い時間を要するようになる、たとえば13歳の人間にとっての、たとえば「一日」は、65歳の人間にとっての、「五日」に値する(笑)、逆に、老人の「一日」は、少年のそれの「5分の1」の、価値、しかない(笑)、ほれ、辻褄が合ったじゃないか? Δx/x=k x:これまで経過した時間の総和 Δx:ある微小時間 今流れつつある、ある一定時間の、これまで経過した時間の総和に対する「割合」が、常に一定なのだ、とするこの式を、雑に(笑)「積分」してみると、ほほほ、y=logx、を微分すると、dy/dx=1/x、になることすら、この「元・数学の先生」は、忘れていたよ(笑)、 logx=k ここからが、フェヒナーの法則、と呼ばれるらしく、刺激量x、それに対応する感覚量を、y、とすれば、cを定数として、 y=clogx オチのつけ方が、見つけられそうもないので、「今日のところは、この辺にしといたるわ!」(笑) ・・・ ![]() y=logexを微分すると、dy/dx=1/xになる、ほんとにそうなるのか(笑)、微分係数の定義、自然対数の底eの定義、まで立ち戻って、「老人」にもま・だ・できるかどうか(笑)、どきどきしたけれど、何とか、出来たようである。もちろん、eの定義は、ある意味「トランセンデンタル/先験的」なものと言え、そこは、「証明」にはなっていないのはもちろんのこと、たしか、eの値が、2と3の間にあることを証明せよ、って問題は、解いたことがある記憶がある、今できるかどうか、わからないけど(笑)。 ![]() そのような「比較法」的な識別基準は、当然にも、目の前にいる、どちらか一方が、一体どちらなのか?(笑)、という判断にとっては、無力なのである(笑)。 チドリ科のやや大きめの鳥二種、ムナグロ、と、ダイゼン、当地では、どちらも「冬鳥」、図鑑の隣のページに並んでいて、ほとんど見分けがつかないくらいよく似ている。英語名は、前者が、Pacific Golden Plover、後者がBlack-bellied plover/Grey plover、後者は「黒い腹の千鳥」と言っているわけだから、前者の日本語とほぼ同義、そりゃ、区別がつきにくいのも当然だ(笑)!「Pacific」とあるように、ムナグロは、太平洋沿岸のみに居住するようで、他に、「European」と「American」があって、この三種の「Golden」に、ダイゼン「Grey」を加えた四種で、チドリ科ムナグロ属Pluvialis、は主に構成されているらしい。ムナグロは、もちろん「胸・黒」、ダイゼンの英語名も同様、多くの鳥は、背中が濃い色で、腹側は白っぽいものだが、こいつは、黒いぞ、ということが、印象的だったからこそ、こんな名前になったんだろう、だが、胸、あるいは腹、が黒くなるのは、「婚姻色」、つまり、繁殖期における「セッ●クス・アピール」を「目的」としたもっぱらオスのみがまとう衣装で、残念ながら、当地では、その美しい衣装が、生えそろう以前か、あるいは、抜け落ちてしまった後、にしか見られない、秋の初め、まだもっと南へ渡るのだろう者たちの中、あるいは、春の終わり、もっと南で越冬して、遅れて北へ向かう者たちの中に、ときどき、あざやかな黒い腹を見せてくれるものが、まじっていることはある。ところで、関係あるかどうかわからないが(笑)、猫の毛色、白黒でもきじとらでも、三毛でも、白い部分が混じっている場合は、必ずそれは腹側に現れる、背中が黒くて腹が白いのであって、逆は、ほぼ、ありえない、そういえばそうだ(笑)!、動物の被毛の発色をつかさどる遺伝上の記号システムにはさまざまあるそうだが、猫の場合、「黒」、「茶」が「有徴」、つまり、黒くしろ!、とか、茶色にせよ!、とかの「肯定文」による命令文があるのに対して、「白」は「無徴」、「ゼロ記号」であって、他の命令が、なければ、「白」にせよ、という文法構造であるらしく、で、受精卵が、卵割を行って、次第に器官が分化されていく際、重要な器官ほど、先に形成されていく訳で、脊髄のある背中、が、腹側のよりも優先される、すると、どういうわけか、発色をつかさどる遺伝情報も、背中側が重視され、腹側は、おざなりにされる、ということらしい、だから、「おざなりにされた」ことが「ゼロ記号」と解釈されて、白くなるのだ、もう十何年も前に読んだことのうろ覚えだから怪しいが、だいたいこんな話だった。もちろん、鳥の場合もそれが当てはまるのかどうかは、知らない(笑)。ついでに、「茶」と「黒」をつかさどる遺伝情報が、性染色体上にあるんだったか何だったか、という理由で、この二色の発色を命ずる遺伝子が同居するのは、メスに限られ、だから、「三毛」はメスにしか現れない、って話だった。・・・で、そんな風に酷似した二種であるから、もちろん、素人には識別できない、英語名に現れているように、ムナグロは茶色っぽく、ダイゼンは灰色っぽい、とか、後者の方がやや大きめ、とか、図鑑に書かれているそのような「比較法」的な表現は、博物学が、対象を殺害して、鳥ならば鉄砲で撃って、標本にして、研究室のテーブルの上に並べて、ああ、こちらの方が大きい、とか言い得た時代の伝統を引き継いでいるのであろう、そういえば、「ビーグル号探検記」の中でダーウィンは、自分の銃の腕前、剥製製作の技量を、自慢している(笑)、とも読める表現をしていたな、・・・、だから、そんな、近縁種が、奇跡的な偶然で、隣に並んでくれる、通常、近縁種は「棲み分け」することが多いから、ますますそんなことは期待できない、ことでもない限り、そんな識別基準は、役に立たないのである、そんなわけで、どうも、ムナグロの方が、川や田んぼ、淡水を好み、ダイゼンの方が、海辺で見られることが多いらしい、というのを頼りに、私は(笑)、川で見かけたらムナグロ、海ならダイゼン、と、一律に(笑)、決めてしまうことにしてた。ここは、河口近く、満潮時には潮がのぼってくるような「汽水域」だから、微妙だが(笑)。ダイゼン、という名の由来だが、平安時代ごろの宮廷の職掌の一つ、「大膳職/ダイゼンシキ/おおかしわでのつかさ」の由来する、とのこと、どうも、この鳥が「美味」として、貴族の食卓にしばしば上ったらしい。サギ科ゴイサギの名の由来も、神泉苑に現れたそれを「ひっとらえろ」と、殿上人が命じたところ、おとなしく捕まったので「五位」を授けた、などという話が平家物語にあるそうだが、つまり、彼らは大いに「肉食」を楽しんでいたのであって、仏教の影響で殺生を慎んでいた、などというのは大嘘、もっぱら畜殺に携わる職能民への差別意識を生み出す以外のことはしなかった、ということになろう。柳田国男の「河童」に関する論考に、その鳴き声の主として、ムナグロが比定されている、たしかに、一斉に飛び立つ際に、「ひょひょひょひょひょー」みたいな「幽玄」な声が聞こえる。 ![]() ![]() ![]() ![]() ムナグロ(チドリ科) ![]() チドリ亜目分類表 ![]() 頭上を通過する「砲弾」に擬せられた声、あるいは、歩行者用横断歩道の警告音、「ぴっ、ぽっ、ぴっ、ぽっ」と、鳴き競う(笑)かのような声。 鳥の脚、というのは、おおむね、黒っぽいものであるか、もしくは、オレンジ色をしているので、シギ科の三種、分類学上は、必ずしも近しいわけではないが、アカアシシギ、キアシシギ、アオアシシギ、とは言うものの、あくまで、どれも、オレンジ色なのだが、やや赤味を帯びている、とか、言われて見れば、ちょっと青白いかも(笑)、というような、程度の問題であって、やはり素人には、識別は難しいのであるが、さすがに、二十年ばかりも、そればかり眺めている「閑人」だったから、この頃では、ほぼ即座に、言い当てることが出来る、必ずしも脚の色を見るわけではなくて、くちばしが少し反っているとか、目の周りを彩る茶色い帯、「過眼線」がくっきりしているか否か、羽毛の色彩が、茶色か灰色か、といったところが決め手になるように思われる。アカアシシギには、これらとは別に、酷似した近縁種、ツルシギ、というのがあって、くちばしの付け根が下側だけオレンジ色なのが後者、上下ともそうなのが前者、という細かい話なのだが、これは、その点から見ても、アカアシシギで間違いないように思う。ジョージ・オーウェル「カタロニア賛歌」には、1937年春、アラゴン戦線での情景、谷を隔てた向かい側に布陣したフランコ派の発射した砲弾が、頭上を通り過ぎるときに聞こえた音を、「アカアシシギの鳴き声みたいに」と表現しているところがある。この作家は、鳥には結構詳しいみたいで、「1984」でも、「ビッグ・ブラザー」の「党」の監視を逃れてあいびきをする際、近くで、「クロウタドリ」だったか「ウタイツグミ」だったかの声がする、というシーンがあった。父親が英領インド帝国の下級吏員だったという事情だったかな、彼は、少年時代を当時の英領ビルマで過ごし、学校時代はイギリスに戻ったものの、ビルマで警察官になる、という道を選んだようである、植民地宗主国の抑圧機構の末端に位置する者の目から、「原住民」に注がれる、愛憎相半ばしたまなざし、そんなアンビバレントな感情が、この作家の後の「政治的立場」の基底をかたちづくっているのだろう、と思う、その時代を描いた「ビルマの日々」、僭越な言い方だが、この人、あまり小説は上手でない(笑)、気もするのだが、当地でもおなじみの、「南」の植生が、細かく描かれているので、興味深く読むことができた。ちなみに、彼は警察官だったのだから、当然銃の扱いには熟達している、だから、スペインでも、寄せ集めの民兵部隊の中では、たちまち、司令官的な役割を果たしていたようだ、もっとも、彼が「発砲」したことが描かれているのは、「カタロニア賛歌」全編で、ただ一度、谷の向こうのファシストの青年に、それが「命中していないことを願う」と書いている。ヘミングウェイやリリアン・ヘルマンのように、コミンテルン―ソ連共産党の影響下にある「国際旅団」に志願することを嫌ったのであろう、英国共産党(CPGB)ではなく、独立労働党(IPL)からの紹介状を携えて、スペインに向かった彼は、トロツキスト系、マルクス主義統一労働者党(POUM)部隊と行動を共にすることになる、それがために、ほどなく、1937年の「五月事件」と呼ばれる、スターリン派、コミンテルンによる、アナキスト、トロツキストへの「大粛清」という、あるいはアラゴン戦線で受けた銃弾の傷よりも深いかもしれない、心の傷を、生涯負うことになる、同じく、「トロツキスト」と呼ばれて共産党から白眼視を受けていた「私たち」には、だから、この書物は「必読文献」であって、大学時代の寮の本棚にも、並べてあったに違いないのだが、ちゃんと読み通したのは、ようやくつい数年前、だからこそ、アカアシシギが、などというディテイルにも、目が留まったのだ。・・・で、その、砲弾に擬せられたところのその鳴き声だが、そんなに思い通りに鳴いてくれるわけでもない(笑)、でも、以前、一度、こことは違う干潟だが、すぐそばのなかなか交通量の多い国道の、歩行者用横断歩道の警告音、「ぴっ、ぽっ、ぴっ、ぽっ」というのと、まるで、鳴き競っているかのように、延々と絶叫しているのを、目撃したことがある、もとより、砲弾の通過音と「似ているか」なんて判断できないものの、たしかに、ちょっと、ぎょっとするほどの、甲高い声であった記憶はある。 ・・・ 「ウエスカでコーヒーを」・・・ジョージ・オーウェル「カタロニア讃歌」再読。 ジョージ・オーウェルが聴いた「アカアシシギ」の声、J.D.サリンジャーが、見たこともない、かもしれない(笑)「サルハマシギ」 ホウオウボク(マメ科)ならば、よく知っている、「mohur trees」イギリス領インドで鋳造された金貨、に由来するそうだ、・・・、ジョージ・オーウェル「ビルマの日々」を読む。 イギリス領インド帝国の、軍人の名前から、またしても、キップリング、それから、タゴール、というつながりを追って、・・・、ジョージ・オーウェル「ビルマの日々」を読む、続編 ![]() ![]() ![]() アカアシシギ(シギ科) ![]() 「パイパーpiper」というのは、管楽器奏者、笛吹き、のことなんだ!、なら、「サンド・パイパーSand Piper」、砂浜の、笛吹き。 ![]() イソシギ(シギ科) ![]() 「赤」、「黄」、「青」、と三つそろったからには、不公平のないように!・・・「黄」編 キアシシギ(シギ科)、脚が黄色いのはもちろんだが(笑)、翼の色が、灰色っぽい、それから、「過眼線」が、くっきりとわかる、そんなところが決め手。 ![]() ![]() ![]() ![]() キアシシギ(シギ科) ![]() 「赤」、「黄」、「青」、と三つそろったからには、不公平のないように!・・・「青」編 アオアシシギ(シギ科)、言われて見れば、青っぽく見えなくもないが(笑)、あくまで黄色なのが、くすんだ感じ、というところ。ほかの二つ、「赤」、「黄」、とくらべて、身体が、一回り大きいように思う。くちばしが長くて、ごくわずか、上向きに反っている。翼の羽毛は、茶色っぽいけれど、一枚一枚の羽に、白い縁取りがある感じで、それで薄い色のような印象を受けるのかも。「過眼線」は、ほとんどなくて、顔全体が白っぽく見える、そんなところかな? ![]() ![]() ![]() アオアシシギ(シギ科) ![]() シギ科分類表 ![]() コケセンボンキクモドキ(キク科) ![]() ホソバワダン(キク科) ![]() ![]() ギョウギシバ(イネ科) ![]() ![]() ホソヘリカメムシ(ホソヘリカメムシ科)、ふわりと飛んできて、眼前の歩道の真ん中にとまった、トンボか、ハチの類、と思った、・・・、植物の上にいるのは、何度も見かけたことのある種、マメ科植物、イネ科植物を食す、とあるから、なるほど、この歩道のまわりには、ギンネム(マメ科)が、繁茂しているし、イネ科植物だって、そう、上の、ギョウギシバもそうだけど、いっぱい生えていそうだから、なるほど、ふらりと現れても、不思議はなかった(笑)。 ![]() こちらの方が、「元祖」に近い?(笑) 当地でしばしば見かけるのだが、各種図鑑の類を参照してみても、「帯に短し、襷(たすき)に長し」で、種名を特定できないでいる、色彩からは、アメリカジガバチ、こちらは、ハチ亜目ミツバチ上科アナバチ科(ジガバチ科)、に似ている気もするのだが、ジガバチの仲間は、胸と腹をつなぐ細くなった部分が、真っすぐ、直線上であるのに対して、これは、水滴のようなずんぐりした形をしている、そんなところは、分類上は、かなり離れているのだが、ハチ亜目スズメバチ科ドロバチ亜科、に属する、トックリバチの特徴をそなえているように思える、前半の数枚で、このハチがとまっている、なにか穴だらけのもの(笑)は、タチアワユキセンダングサ(キク科)の、花が落ちたのちにできる、とげとげの種子もさらに落ちてしまったあと、そこに何の「用事」があるのかは、わからない、なかなか長く休んでいてくれたので、こんなにカメラを近づけて、アップで撮ることもできた、後半のは、なにか、イネ科植物の茎にしがみついているようである、・・・、うちに、カラスの「カー君」(笑)、が遊びに来るようになったので、わざわざ買った、カラス関連の書物に、ハシブトガラスの顔は、正面から見ると、目が横に少し飛び出していて、「バルタン星人」みたい、との表現があったのが気に入り(笑)、でも、バルタン星人、って、セミがモデルなんだろ?少なくとも、同じく「昆虫」である、という点では、こっちの方が、「元祖」に近いかも(笑)・・・。 ![]() ![]() ![]() スズメバチ科ドロバチ亜科の一種 ![]() ![]() コサギ(サギ科) ![]() どこか、お痒いところは、ございませんか?(笑) ここは、河口の「汽水域」なのだが、だんだん、満潮に向かって、潮がのぼって来て、いかな水鳥たちの長い脚をもってしても、ほどなく、立っていられなくなってしまうだろう、さっきまでは、広い河原に散開して、各自、餌探しに励んでいたのだが、それも終わったようで、今は、こんなふうに、一か所に集まって、なにかを「待って」いるかのような雰囲気、といっても、そんな時間を利用して、羽繕い、水浴、などに余念のないものもいる、・・・、おそらく、集団で、一斉に、ひとかたまりになって、どこか付近の森なんだろうか、一緒にねぐらに帰って行くんだろうが、何度も、こんな光景を見かけたことがあるんだけど、その際、なにか、「きっかけ」、「合図」のようなものが、必要であるらしい、どうも、それが、ある特定の「リーダー」が、指令を発する、とか、率先して飛び上がる、ということでもなく、なんとなく、そんな「気分」が、集団全体に伝わったところで、そのに、たとえば、誰かが、うっかり、飛び上がってしまった、みたいな偶然をつかまえて、集団全体が、今度は、それこそ「一糸乱れぬ」ふうに、出発することになるのだ、・・・、その瞬間をとらえてみたい、そんなとき、このチュウシャクシギは、「ひゅるひゅるひゅるひゅる」、と、字にしてみるとばかみたいだが(笑)、とても「幽玄」な声をあげてくれる、それも録音したいと思い、ずいぶん長々と見守っていたのだが、「人生」(笑)、だいたいそういうふうに出来ているもので、いいかげん待ち疲れてしまって、諦めて立ち去ろうと決断し、カメラをしまいかけた途端、ほら、それを狙いすましたかのように(笑)、美しい声を響かせつつ、いっせいに飛び立ち、次第に空高く高く旋回しながら、去って行かれたではないか(笑)! ![]() ![]() チュウシャクシギ(シギ科) ![]() ムナグロ(チドリ科) ![]() チュウシャクシギ(シギ科) ![]() ムナグロ(チドリ科) ・・・ ![]() キセキレイ(セキレイ科) ![]() ダイサギ(サギ科) ![]() アオサギ(サギ科) ![]() 「一家団欒」、の、練習問題、・・・、あるいは、「偽造」であったとしても、必要な過程(笑)。 バン(クイナ科)、「鷭」と書きます。うちの近くの遊水地で、はじめて見かけたときは、まだ「バードウォッチャー」初心者(笑)、でしたから、クイナ科、などという分類名があることも知らず、やみくもに図鑑のページを繰って、うわっ、どうしよう?天然記念物のヤンバルクイナを見つけてしまった!、などと、慌てたものであった(笑)。ヤンバルクイナは、それまでも、「保護」されて飼育下にあるものは、何度か見たことがあったが、数年前、「高江」に通っていた頃、明け方、県道のアスファルトの上を、夫婦であろうか、二人、並んで歩いているところを、目撃、いたく感動した。同じく、クイナ科の「留鳥」としては、シロハラクイナ、というのを、やはり「やんばる/山原」で何度か見かけたことがあるが、あっという間に隠れてしまって、写真はとれなかった、ヤンバルクイナも、それから、このバンも、「飛べない鳥」であって、とは言っても、翼を広げ、脚を蹴って、二、三メートルくらい浮き上がり、十メートルかそこいら先まで、滑空することはできるようである、同じクイナ科でも、このバンより一回り大きくて、くちばしも、くちばしとつながった額の部分も赤いバンとは異なって、白い、オオバン、という種は、なんと、はるばる長距離を渡ってくる「冬鳥」なのであった、クイナ科はみな、「飛べない鳥」という思い込みがあったから、海辺で、カモ類といっしょにときどき潜っては餌探しをしている、そいつの種名が判明するのに、ずいぶん時間がかかったものだ、オオバンは、ウ科の鳥や、カモ科のうちのハジロガモの仲間のような潜水性のもの同様、とても潜るのが得意で、あまりにも長時間浮き上がって来ないから、心配(笑)になるほど、・・・、「鳥」偏に「番」、「鷭」という名の由来は、いつも水田にいるから、水田の「番人」みたいだ、ということらしい、江戸時代には、「三鳥二魚」、「鳥」は、鶴(つる)、雲雀(ひばり)、鷭(ばん)、「魚」は、鯛(たい)、鮟鱇(あんこう)、で、水戸藩が宮廷に献上する五大珍味の一つ、だったとのこと。・・・ここに写っている者たちのうち、翼が黒くて、くちばしから額にかけてが赤いのが、成鳥、おそらく親鳥で、くちばしのあたりも白っぽく、翼も、灰色がかっているのが、若鳥、その年の一番初めに生まれた子、一番子、が、親達の二度目の出産以降、「ヘルパー」として、子育てを手伝う、という習性があるらしく、そのありさまは、以前、この同じ遊水池で、その頃は、まだ、うちの犬たちが存命だったから、毎朝散歩に通りがかるので、仔細に観察できた。親鳥二羽を先頭にして、そのうしろをおぼつかない泳ぎ方で、雛たちが五羽ばかり、ついて行く、どうしても遅れてしまうのが一羽はいて、見ている方がはらはらする、草むらに戻ると、今度は、この「ヘルパー」の若者が、雛たちに、えさの取り方を伝授などしているらしい光景も、・・・、「親に愛されなかった子供」、という「物語」(笑)、を、あるいは「偽造」(笑)することで、それが、自分の「発病」の「原因」である、との「解釈」を与えることで、どうにか、「病」と、「折り合い」をつけることが出来たのだから、それはもちろん、たとえ「偽造」であったとしても(笑)、必要な過程ではあったのだ、そんな時期に、彼らの、掛け値なしにほほえましく甲斐甲斐しい、「一家団欒」を目撃することは、そんなものを、自らの経験として参照することが一切できない者にとっては、いや、そんなものがなかった、というのすら記憶の「偽造」である可能性はあるけれど(笑)、一つの、「練習問題」、ではあったのだね。 ![]() バン(クイナ科)・若鳥 ![]() バン(クイナ科)・成鳥 ![]() バン(クイナ科)・若鳥 ![]() ![]() イソシギ(シギ科)、・・・、「夫婦者」のようである(笑)。 ![]() ![]() ![]() ![]() イソシギ(シギ科)、・・・、その「夫婦者」の一方、イソシギは「雌雄同体」なので、どっちがどっちか、区別がつかない、もう一方は、さっきまで、すぐそば、画面左下の方、にいたのだが、・・・。 ![]() ![]() ![]() ハクセキレイ(セキレイ科) ![]() コンラート・ローレンツが雛から育てたコクマルガラスの名前が「チョック」、それはその鳴き声に由来する、という、ならば、うちの(笑)「カー君」という呼び名も、そう悪くない気がしてきた(笑)。 アルテンベルクの切妻屋根のまわりにはじめてコクマルガラスが飛んでから、そして私が銀色の目をもったこの鳥に心をうばわれてから、もう二十四年たつ。われわれの人生における深い愛のはじまりがしばしばそうであるように、最初のコクマルガラスのヒナと対面したとき、私はそれほど重大なことだとは気づかなかった。そのコクマルガラスはロザリア・ボンガール愛玩動物店にいた。私はもう四十年ほどもこの店と知り合いだ。私はきっかり四シリングでそれを買った。そのヒナの大きな黄色くふちどられた赤いの・ど・においしい餌をつめこんでやりたいという衝動にかられたからにすぎなかった。私はそいつがひとり立ちしたら、すぐに放してやろうと思っていた。そして実際そのとおりにした。ところが結果はまったく予期に反し、コクマルガラスたちは今なおわれわれの家の屋根でヒナをかえしている。・・・ ![]() ・・・ 私が一九二七年に十四羽のコクマルガラスを育てたのも、ひとえにチョックのためだった。すなわち、人間にたいする彼女の本能的行動がさっぱり意味がわからずほとんど理解できなかったので、私は好奇心をかきたてられたのである。・・・ ・・・ 自分の敵がどんなものか、生まれつき「本能的」には知らない一匹の動物が、年長の、経験をつんだ仲間から、どんな動物を敵としておそれるべきかを教・わ・る・のだ。おどろくべきことではないだろうか!個々に得られた知識が父から子に伝えられる――それは真に伝統といえるものである。・・・ヒナたちのまだ知らない生きものの姿があらわれたら、リードしている年長のコクマルガラスはたった一度だけわめいてそれが敵であることを教えてやればよい。ヒナたちの頭の中には、その敵の姿と警告との結合が、ただちにそして永久的に確立される。・・・ ![]() ・・・ とにかくこんなふうにして、私はコクマルガラスたちと暮らしていた。彼らの一羽一羽の顔というか人相を、私は正確に知りぬいていた。もう色分けの足環をみたりする必要もなくなった。・・・ ![]() ・・・ こんな表現をしても、私はけっして擬人化しているわけではない。いわゆるあ・ま・り・に・人間的なものは、ほとんどつねに、前・人間的なものであり、したがってわれわれにも高等動物にも共通に存在するものだ、ということを理解してもらいたい。心配は無用、私は人間の性質をそのまま動物に投影しているわけではない。むしろ私はその逆に、どれほど多くの動物的な遺産が人間の中に残っているかをしめしているにすぎないのだ。・・・ 「ソロモンの指環―動物行動学入門」コンラート・ローレンツ/日高敏隆訳(ハヤカワ文庫NF) ・・・ 「チョック」は、最初にヒナから育てたコクマルガラスの、その鳴き声から付けられた呼び名、十四羽を買い始めたのは、まだ「チョック」存命中と、読めるから、「愛玩動物店」でヒナを購入したのは、その数年前だろうと想像される。ローレンツの実家は裕福だったようで、アルテンベルクに広い家をもち、ここで息子のコンラートが、ありとあらゆる動物を飼育するのを、両親は少しも厭わなかったようである、ウィーン市内にもアパートを所有していて、彼は、そこからウィーン大学に通っていたようである。ちなみに、この書物が書かれたのは、1949年。 コンラート・ローレンツKonrad Lorenz(1903-1989)、ウィーンの北西20キロ、アルテンベルクAltenberg(現ザンクト・アンドレー・ヴェルダーンSankt Andrä-Wördern)に生まれる、一時期米国のコロンビア大学にも在籍したが、1923年には、ウィーン大学に戻り、1928年には、医学の学位を取得して卒業している、1938年にナチ党に入党、同党政権下に、1940年、ケーニッヒスブルグ大学に心理学教授として、職を得ている、1941年には軍医として、ポーランドのポズナニPoznań、後の1956年、反スターリン主義暴動の起きた町だ、に駐留、この時、絶滅収容所への移送の光景を目撃した、と後年述懐しているという、1944年、ロシア戦線に従軍、ほどなく捕虜となり、1948年まで、当時ソ連のアルメニアに抑留されるが、医師の資格があったことが幸いして、寛大な処遇を受け、祖国に送還される際も、自著の草稿のみならず、ペットのムクドリも、持ち出すことができた、戦後、彼は、ナチ党員であった過去も、ジェノサイドの事実を目撃したことも、否定し続け、最晩年は、「オーストリア緑の党」の党員として、環境保護運動に献身。・・・彼のウィーン大学医学部在学時、時期的に見て、フロイトが在職していたことになる・・・ジークムント・フロイト(1856-1939)は、「夢判断」の中にも、自分の「宗派」、すなわち、「ユダヤ人であること」が原因で、教授のポストがなかなか得られないことを嘆いている場面があるが、1902年に、ようやく、給与も与えられない代わりに、教授義務もない、「特別教授」の地位を、ウィーン大学から与えられ、通常の教授職に就くのは、1920年のことであるらしい、・・・、1933年、ナチ党、政権掌握、フロイトの著作は、「焚書」に付される、1938年3月13日、「アンシュロスAnschluss/ナチのオーストリア併合」、当初、ウィーンを離れることを躊躇していたフロイトも、娘のアンナがゲシュタポの尋問を受けるにいたって、英国への脱出を決意、当時の国際精神分析協会IPA/International Psychoanalytical Association」会長、アーネスト・ジョーンズErnest Jones(1879-1958)の各方面への尽力もあり、同年4月から5月にかけて、家族が順次出国、しかし、ナチ政府の妨害もあって、彼自身が、ロンドンに到着したのは、6月6日であった。・・・ ![]() フロイト、主要著作、いや、自分が読んだことがある、というだけだが(笑)、関連年表 ![]() ウィーン、ポズナニ ![]() アルメニア ・・・ ミヤマガラスの群れの中にすごく小柄でかわいいのが混じっていたら、コクマルガラスである。くちばしは短く、体つきも丸っこい。鳴き声も「キュッ」「キュン」とムクドリのようだ。コクマルガラスは色彩多型があり、真っ黒な黒色型と白黒の淡色型がある。淡色型はパンダのようで特にかわいい。 「カラスの教科書」松原始(講談社文庫) コクマルガラスは、ハシブトガラスやミヤマガラスと同じ、カラス科カラス属、当地では、ミヤマガラス自体が、きわめて稀な渡り鳥、コクマルガラスも、同様のようであるが、当地では、ハシブトガラスの群れにまじっていることが多い、と言われる。コクマルガラスCorvus dauuricusは極東地域に生息、ローレンツの著作に登場するのは、近縁種のニシコクマルガラスCorvus monedula ![]() スズメ目カラス上科、分類表 ・・・ 「ソロモンの指環」が、日高敏隆氏の翻訳で、刊行されたのが1963年、この人は、「ファーブル昆虫記」の翻訳者でもあるから、フランス語もドイツ語も堪能だったのである、・・・、ローレンツが、ナチ党員であったという「過去」が、知られるようになったのは、1973年のノーベル賞受賞はもとより、1989年の彼の死よりも、ずっと後のことであったようだから、翻訳に携わった時期に、日高氏もそれを知らなかったことになる。ローレンツが、連合軍による捕虜の身分から解放され、アルメニアの収容所から、オーストリアに帰国するのが1948年、「ソロモンの指環」は、その翌年に出版されているのだから、彼が、ペットのムクドリとともに、持ち帰ることが許された「草稿」の中に、この書の原稿も含まれていたのだろう、と想像される、・・・、「アルテンベルクの切妻屋根のまわりにはじめてコクマルガラスが飛んでから」、「コクマルガラスたちは今なおわれわれの家の屋根でヒナをかえしている」、これら二つの表現の間に、前者が、1927年から遡る数年前、後者が、1948年から1949年、とすれば、「ナチ党入党」、「戦争」、「従軍」、「捕虜収容所」等々の経験が、ことごとく含まれていることになる。・・・若い頃から深く傾倒していたであろうこの「動物行動学」の先駆者の、「過去」を知ることは、日高氏にとって、とてもショッキングなことであっただろう、もし、という無意味な「仮定」をしてみるとして、あらかじめ、「知って」おられたとしたら?翻訳を引き受けることはしなかっただろうか?いや、そもそも、「傾倒する」こともなかったのだろうか?「学問的業績」は、著者の「政治的立場」と無関係に「中立」である、などということを言いたいわけではなくて、人と書物が、人が、ある「思想」に、「出会う」という経験は、「無理由的」な、ほとんど、「先験的/トランセンデンタルtranscendental」とも呼ぶべきもの、と思っているから、そのような「仮定」自体が、やはり無意味なのだ、というところで、とどめておくことにしよう。 ・・・ 受け取るがよい、王にしてダビデの子なるソロモンよ。主なる神、いと高きゼバオト(万軍の主)が汝にくだされた賜物を。これによって、汝は地上の悪霊を男女とともにことごとく封じるであろう。またこれの助けによって、汝はエルサレムを建てあげるであろう。だが、汝はこの神の印章を常に身に帯びねばならぬぞ "Take, O Solomon, king, son of David, the gift which the Lord God has sent thee, the highest Sabaoth. With it thou shalt lock up all demons of the earth, male and female; and with their help thou shalt build up Jerusalem. [But] thou [must] wear this seal of God. And this engraving of the seal of the ring sent thee is a Pentalpha." 「ソロモンの遺訓/The Testament of Solomon」 「ソロモンの指環」があれば、動物の言葉がわかる、という伝説があるようで、ローレンツは、そこから、この書物のタイトルをとったらしい。「ソロモンの遺訓」は、旧約聖書の「偽典」の一つとされているらしい。 そこで、私はレンベルガンという記者に云って、彼の姪にあたる子供の日記のうち、一昨年の十二月八日から昨年の二月十五日まで、戦争中の日記のところだけ切りとって来てもらった。彼女はオランダ系のユーラシアンで十四歳の少女であった。・・・レンベルガンの姪の言によると、祖国というものを持たないユーラシアンは、そのときそのときの支配者に従うよりほかに行く道はない。英国に行けば東洋人だと云って排斥され、東洋にいると混血児だと云って歓迎されそうもない。祖国を持つ人をつくづく羨むと彼女は云った。 ・・・ 十二月十二日 たいていの人たちは、もう空襲はないものと安心して避難所のことを慎重に考えなくなった。・・・警報が鳴っても人々はあまり驚かない。 ・・・ 十二月二十日 人々は土嚢を手に入れようとあせりだした。とても暴利で売っている。公共の避難所がないのである。なぜ、それを造らないのだろう。民衆を不安にさせることは、英国軍そのものの損であるのがわからないのだろうか。 ・・・ 一月一日 昨夜は空襲警報が二回あった。私たちは眠っていても警報が鳴ると「警報だ、警報だ」と夢うつつで叫び、それから目をさまして「どこだろう、静かに静かに」などと云った。そして着物を着ていると、途端に爆弾の破裂する音がしたので私は外に飛び出して、防空壕に逃げ込んだ。私の小さい弟は、防空壕のなかで眠っていた。警報も爆弾の音も、彼の目をさまさせなかった。暗闇は恐怖の度を深くした。ほんの小さな物音がしても、私たちは飛びあがるほど驚いた。数人のピジャマ姿の人たちが、戸外で月光を浴び、お互いに話をしながら空を見て立っていた。飛行機を探す探照灯の光芒は、かくれんぼの遊戯を私に思い出させた。日本軍の飛行機は銀色に塗ってあるので空の色とまがい、見つけるのが難しい。弾丸が飛行機の近くで光の十字架のように炸裂するのが見えた。瞬間、美しい光景であった。 ・・・ 二月十四日 私たちは砲弾や機関銃の音に慣れたということに仮定して、なるべく待避所へ行かないように約束した。そうでもするよりほかに何の慰めも誇りもない。・・・ ・・・ 二月十五日 ・・・すると午後九時に、殆ど三日間も耳にしなかった警報解除のサイレンが、高らかに明瞭に鳴り渡った。・・・ ![]() 「或る少女の戦時日記」井伏鱒二(講談社文庫「花の町・軍歌『戦友』」所収) 「一昨年の十二月八日」、1941年12月8日、「パールハーバー攻撃」と同時に、日本軍は、マレー半島に上陸、そこから南下し、翌1942年2月16日、シンガポールを占領する、陸軍報道班員として徴用されていた井伏鱒二は、移送される船中で「開戦」の報に接する、シンガポール「入城」後は、「昭南」と改名されたこの町で、「昭南タイムス」なる英字新聞の編集者となる、その記事の中に、英文で書かれたこの少女の日記を掲載しようとしたのであろう、「ユーラシアン」はもちろん「Europe」と「Asia」からつくられた言葉だが、多くは、ヨーロッパ人入植者男性と、「原住民」の女性の間に生まれた子供を指す用語として、当時、用いられていたらしい、たとえば、ジョージ・オーウェル「ビルマの日々」にも、この言葉「Eurasian」が用いられていた、「レンベルガンという記者」は、おそらく「マライ人」と思われ、したがって、日記の書き手の少女も、マレー系であったと想像される。 Woodsvale:「ウッヅ・ヴィーユ」 Kelantan:「ケランタン」 Katong:「カトン公園」 High Street:「ハイ・ストリート」 North Bridge Road:「ノース・ブリッヂ・ロード」 Zoo Johor Bahru:「ジョホール動物園」 Penang:「ペナン」 Ipoh:「イポ」 Perak:「ペラ」 Sungai Siput:「エス・シプウ」 Terengganu:「トレンガヌ」 Terengganu:「ケマラン」 Alexandra Road:「アレスキャンドラ・ロード」 Seletar:「セレタ空港」 Pasir Panjang:「パシル・パンジャン」 Pulau Ubin:「プラウ・ウビン」 Raffles University:「ラッフルス大学」 Jurong Island:「ジュロン」 Serangoon Road:「スランゴン・ロード」 Tanglin Road:「タングリン・ロード」 Bukit Timah:「ブキテマ」 ![]() シンガポール全図 ![]() シンガポール中心部 ![]() マレー半島、カリマンタン島 ![]() 「寝ころんでたのさぁ、屋上でぇ・・・」、てな感じで(笑)、あるいは、「ア・フール・オン・ザ・ルーフ」、ちょっと「回文」みたい? 二階建て住居の二階分の「賃借人」に過ぎない私には、何ら「権限」がないのだが、こうして、我が物顔に(笑)、屋上を闊歩できて、ほんとによかったと思う、月が昇ってから沈むまで、追うことができるし、隣の庭を訪れる鳥たち、ほら、ちょっと離れたところにとまったサシバも、眺められるし、そう、カラスと遊ぶことだって(笑)!その、サシバ(タカ科) ![]() ![]() ![]() ![]() サシバ(タカ科) ![]() これは、「昼下がり」の日差しだな。 ![]() ![]() ハクセキレイ(セキレイ科) ![]() コサギ(サギ科) ![]() ハクセキレイ(セキレイ科) ![]() キセキレイ(セキレイ科) ![]() カワセミ(カワセミ科) ![]() イソシギ(シギ科) ![]() でも、それ、君のせいじゃないから(笑)。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() クロツラヘラサギ(トキ科)、・・・、毎年、集団で、越冬する場所が、沖縄本島内にも、二か所ばかりあるようなのだが、ここは、その場所とは異なる別の海岸で、たった一羽ぽつねんと休んでいた、まだ、干潮時の「かき入れ時」(笑)には、間がある、一番下の写真は、その重そうな「箆(へら)」状くちばしを、背中に乗せて、重心が二本の細い脚、いや、片足ごと交互に休めることもあるから、一本と言うべきかも、の直上になるように工夫されているのだろう、これが、彼らの、「眠り」のポーズのようなのである、今季初めてお目にかかることになった、あるいは、ここよりもっと南で越冬する者たちが、旅の途中に立ち寄った、という事情かもしれない、と想像する。・・・ちなみに(笑)、「かき入れ時」は、「書き入れ時」と、書くんだね(笑)、商店に、弾きも切らずに客がやって来て、品物が売れるから、帳簿に「書き入れ」るのも大変、という由来らしい。 ![]() そろそろ「出勤時間」だから、出てきました、という風情、・・・、あるいは、コンクリートの上に、ゆらゆらと、波の模様が反射して揺れている、こういうのを「陽炎/かげろう」って、言うんだよな? ![]() ![]() ![]() ゴイサギ(サギ科)、・・・、今日は、旧暦十月十一日、少し「太った」下弦、だから、干潮は日没後になる、それに、このゴイサギは、「夜行性」とも言われているし、だから、今、ふらりと飛来して、この、コンクリートの、消波壁って言うのかな?、そのぎざぎざになったところに、すっぽり、おさまるように止まった、こちらからだと、残念ながら、上半身しか見えないけど(笑)、そろそろ「出勤時間」だから、出てきました、という風情であろうか?全体に、黄色っぽいまだら模様になっているのは、「子供」のしるしであろう、・・・、コンクリートの上に、ゆらゆらと、波の模様が反射して揺れている、こういうのを「陽炎/かげろう」って、言うんだよな?、今日は、それほど、天気がよかった。 ![]() 安心して(笑)、そう断定しているにすぎない、・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() リュウキュウミスジ(タテハチョウ科)、・・・、上の写真のように、羽を広げると、茶色地に白で三本の横筋になるから、そういう名前なんだろう、「内地」にも、何種類かのミスジチョウの仲間が生息していることは、「昆虫図鑑オタク」(笑)の子供は、もちろん知っていた、それらの間の微妙な差異を識別するのは、困難なはずで、だが、どうやら、当地には、この、固有種、リュウキュウミスジ、のみしか生息しないようなので、安心して(笑)、そう断定しているにすぎない、・・・、もう、11月も下旬だというのに、「泳げるんじゃないか?」などと酔狂なことを言いだしかねないような(笑)、暑い日であった、羽を広げているのは、「日光浴」のように見える、鳥の場合なら、紫外線の力を借りて、寄生虫などを駆除する、という「目的」ということになるが、蝶たちがしばしば行うこの行動も、そういう「動機」にもとずくものかどうかは、知らないけど(笑)、・・・、とまっているハート形の葉っぱは、ここは、入り江の防波堤のすぐそば、海岸植物たる、オオハマボウ(アオイ科)、と思われる。 ![]() ![]() サシバ(タカ科) ![]() イソヒヨドリ(ツグミ科) ![]() これは、さる有名私立中学の入試問題なんだそうだ、a,b,cには、具体的な数値が示されていて、黄色い部分の面積Sを求めよ、という話、・・・、うっかり目に入ってしまったから気になり(笑)、錆びついた頭を動かして、やってみた、「時間」を「無駄使い」できるのは、ありがたいことだからね(笑)、・・・、「バウムクーヘン」の一切れみたいに、湾曲しているが、aが「下底」、bが「上底」、そして「高さ」がcであるような「台形」の面積と、同じ結果になる、という話は、遠い昔(笑)、やはり「有名私立中学」の受験生だったからだろう、おぼろげに、聞いたことがあったような気もする、いや、それだけの話だ(笑)、まあ、解けてよかった、解けたからこそ、自慢そうに書いているわけだが(笑)、・・・。 ![]() 七十歳を過ぎ、ぼくに「戦争」の話をしてくれた人たちは、みんなこの世を去った。どうしてあのとき、彼らの話を聴いておかなかったのだろう。そこには、学ぶべきことがたくさんあったのに。おそらく、彼らもそう思っただろう。彼らの父母や祖父母たちに対して、話を聴きたいと思ったときには、聴くべき誰かはもういないのだ。 「ぼくらの戦争なんだぜ」高橋源一郎(朝日新書) ・・・ 「散華」太宰治(青空文庫) 「十二月八日」太宰治(青空文庫) ・・・ 「惜別」/「『惜別』の意図」太宰治(青空文庫) 「『吶喊』原序」魯迅/井上紅梅訳 「村芝居」魯迅/井上紅梅訳 ![]() ・・・ 「フランス領インドシナ」の探索、マルグリット・デュラス「愛人(ラ・マン)」と、林芙美子「浮雲」 「とてもとても想像の及ばぬこと」については、「とてもとても想像の及ばぬこと」とのみ、表記するという作法、について・・・古山高麗雄を、読み直す 現下の「戦争」に、かこつけて、そんなことをするのは不謹慎でもありうるのだが、ウクライナ―ロシアの二つの文化間を「往還」した、と言われる作家、ニコライ・ゴーゴリを読んでみる、そしてもう一人、ウクライナ生まれの「ユダヤ人」、レフ・トロツキー 四か国語の「福音書」、「ドレフュス事件」への言及、それから、話は前後するが、フリーダ・カーロ、アンドレ・ブルトン、・・・、トロツキー「わが生涯」を読む、続編 110年前の、「彼岸過ぎ」、まで、「小川町停留所」探訪、マクシム・ゴーリキー、そして「いつも、一番大事だと感じていたものに限って、先に失われてしまう」、という感慨について。 マキシム・ゴーリキー「イゼルギリ婆さん」とともに、中央ヨーロッパ、「多言語地帯」を行く 「ウクライナ・ナショナリスト」から「汎スラブ主義」への「変節」、「転向」という「入れ知恵」、「先入観」のもとに、・・・、ゴーゴリ「隊長ブーリバ」を読む、続編 旧「レーニン主義者」、としては、旧・レニングラード、と呼ばせてもらおう・・・ハミド・ダバシ氏のすすめに従い、ドストエフスキー研究を始める、フロイト「ドストエフスキーと父親殺し」とともに ![]() ムナグロ(チドリ科) ![]() アカアシシギ(シギ科) ![]() キアシシギ(シギ科) ![]() スズメバチ科ドロバチ亜科の一種 ![]() チュウシャクシギ(シギ科)
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2023.12.01 13:54:20
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