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ねこログ

ねこログ

2025.10.30
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カテゴリ:カテゴリ未分類

ショウジョウトンボ(トンボ科)

アキノノゲシ(キク科)

イソシギ(シギ科)


「ねこログ」、総目次(笑)/新・「ねこログ」、総目次(笑)/新々・「ねこログ」、総目次/続・「スクラップ・ブック」、の、目次。
目次:めんどくさいことはみなレモンの雫みたいに消えてくれたら?/「片月見」にならないように(笑)・・・旧暦九月の月。/多和田葉子「百年の散歩」によるベルリン、さらに続編/(7)リヒャルト・ワーグナー通り/(10)マヤコフスキーリング/多和田葉子「雪の練習生」、トスカとウルズラ/「遠い残響を聞き取ることができる」、の思い出・・・「薔薇の名前」。/もう一人の「ベルリナー」、言うまでもなく、ベルトルト・ブレヒト。/高橋源一郎「ぼくらの戦争なんだぜ」、そして、「転向/偽装転向」作家、太宰治「惜別」を精読する。/




おっ、虹だ!これは「グッド・サイン」だよ!まさか?・・・コス⚫トコから新里坂(しんざとびら)にかけて長い長い虹。朝△△△君のお迎えに向かう途中。めんどくさいことはみなレモンの雫みたいに消えてくれたら?

Somewhere over the rainbow, way up high
There's a land that I heard of once in a lullaby
Somewhere over the rainbow, skies are blue
And the dreams that you dare to dream really do come true
Someday I'll wish upon a star
And wake up where the clouds are far behind me
Where toubles melt like lemon drops
Away above the chimney tops
That's where you'll find me
Somewhere over the rainbow, bluebirds fly
Birds fly over the rainbow
Why, then, oh, why can't I?
If happy little bluebirds fly
Beyond the rainbow
Why, oh, why can't I?
虹の向こうのどこか高いところ
そこには、昔、子守歌で聞いたことのあるくにがある
虹の向こう、空は青くて
そこでは、あなたが夢に見たような夢が、本当に実現しちゃったりする
いつの日か、星より高く舞い上がって、雲がずっと下の方に見えるような場所で目を覚ましてみたい
そこではめんどくさいことがらは、みんなレモンのしずくみたいに消えてしまうの
煙突のてっぺんよりもはるかに高いところ
私は、きっとそこにいるはずよ
虹の向こうをブルーバードが飛ぶの
鳥たちが虹を超えて飛ぶことができるというのなら
どうして私にはそれができない、なんていうの?
あんなちっちゃな可愛いブルーバードに
虹の向こうに行くことができるのなら
そうして私にできない、なんていうの?
・・・
「ブルーバードbluebird」は、北米大陸に産するツグミ科の鳥、写真で見る限りその姿、色合いは、こちらでもしばしば見かけるイソヒヨドリに似ているが、分類上は、当地に冬の渡り鳥としてやってくる、ツグミ、シロハラ、アカハラ、など、いずれもツグミ科ツグミ属、に近く、同じヒタキ上科ではあるが、ヒタキ科に分類されるイソヒヨドリとは、遠い関係にあるようだ。ビートルズの曲にも歌われた「ブラックバードBlackbird」も、ツグミ科ツグミ属、クロウタドリという和名もついていて、当地にわたってくることもあるらしいが、私はまだ見たことがない。
・・・
「オズの魔法使い」の映画は、ようやく数年前に廉価版DVDを買って観た。オズが小難しい用語をちりばめて演説するシーンが好きだな。ジュディ・ガーランドは、子役としてこの映画でデヴュー、一躍ハリウッドのスターダムに昇りつめたが、「躁うつ病」を病み、薬物過剰摂取で亡くなってしまう。「公民権運動」期には、熱心な活動家でもあった。
・・・
「B型就労支援事業所」が、資金難から、まもなく閉鎖されることとなり、ほぼ唯一の利用者であった△△△君と、お別れすることやむなきに至った。並んで座ってお食事しているとき、彼の手がするすると伸びてきて、私の指を握った。びっくりしなかったと言ったらうそになるけど、それが「アンタヲ、受ケ入レテ、アゲルヨ」というメッセージであることは、おかあさまのご指摘を待つまでもなく、すぐに分かった。「愛薄き子供」には、言葉に尽くせないほど、嬉しい出来事であったのは言うまでもない。おかあさまは、一時は28匹の猫の世話をなさっていたそうで、この数字は、私が、決して超えることのできない金字塔(笑)、と自負していた、私自身の、26匹という記録(笑)を凌駕するもので、思わず嫉妬もしたが(笑)、以降、しばしば「猫談義」に花を咲かす(笑)、「お友達」になれた、と思う。・・・残された数日間、私たちは、△△△君の「記憶」の中に、楽しい、美しい思い出ばかりが記されることを念じて、全力を尽くす。この日は、「海中道路」までドライブ、海辺のベンチに座って「白い『いなり』とチキンから揚げセット」(!)を食べることになるだろう(笑)。


旧暦九月十八日「居待」月の日。△△△君の最後の二週間、「思い出作り」ドライブ、「海中道路」、「白い『いなり』・チキン」(笑)のあとだから、もう、潮は満ち始めている。


「メランコリー者」は、何かが既に失われてしまった後の「未来」を、遡及的に「現在」に投影して、それをも暗く塗り込めてしまう。旧暦九月十八日、夕刻、すっかり遅くなってしまったニワトリさんたちのごはん。


十一月もはや半ば近いというのに、まだ、「繁茂」することをやめる素振りを見せない(笑)、わがベランダ、「ゴーヤー菜園」


△△△君のおかあさまから、お別れの記念に(涙)いただいたのです。サボテンの「寄せ植え」、素人目に8種類くらい識別できそうですが、いちばん大きいのが「ウチワサボテン」の仲間だろうということ以外・・・

・・・いろいろネット上(笑)探してみたのだが、そんな付け焼刃では太刀打ちできない世界であるらしく、一つとして品種名が判明したものはなかった(笑)。・・・運転手として、△△△君をおうちへお送りする際、人さまのお宅に伺うのに、何か「手土産」でもと律儀に考え(笑)、ああ、おかあさまは「猫好き」なのだ、「猫好き」は、猫の餌ならどれだけもらっても困らない、そう、長年予備校講師という職に就いていましたが、稀に、生徒さんが「誕生日プレゼントを」などと思いついてくれたときも、「いろいろ考えたんですが、これが一番困らないと思って」(笑)とばかりに、いつも、ちょっと上等っぽいキャット・フードをいただいたものだった・・・それで、大した値段でもない、パウチ式のウェット・フードを、何度かお届けしたにすぎないのだが、それをいたく喜んでいただいて、こうして、素敵な「返礼」をいただくことになったのだ。ベランダにゴーヤーの種を「放置」する、などと言うやる気のない「栽培」しかしたことのない人間ですが、はい、大事に育てさせていただきましょう。
「B型就労支援事業所」が、資金難から閉鎖のやむなきにいたり、せっかく、少しは打ち解けて、私に対しても笑顔を見せてくれるようになった△△△君とお別れするのもつらいけれど、心置きなく「ねこ談義」に花を咲かせることのできたおかあさまとお会いできなくなるのは、もっとつらい。おかあさまは、一時期28匹の猫の世話をされていたんだそうである。私もまた、「鬱病」と「アルコール依存症」の「どん底」のような(笑)暮らしをしているとき、26匹の猫たちが飛び跳ねる部屋で、何の苦もなく(笑)暮らしていた、その数字は、決して超えられることのない「金字塔」の如きものと自負して(笑)、私は、自分のウェッブサイトに「26 Colors/26色の色鉛筆」などと名付けて悦に入っていたから、おかあさまのお話を伺ったときには、ショックを受け、嫉妬さえした(笑)。・・・あのね、26匹であれ28匹であれ、そんな数の猫たちを、なにがなんでも生きさせなければならない、などと「強迫」されてしまう人間は、例えば、この世から猫なんかなくなればいい、と妄想する人間と同じくらいに、「病んで」いるに違いないのだ・・・ただ、私たちは、ともに前者のような「病み」の形を選ぶことができたことを、いや、「選んだ」記憶はないから、むしろ、「選ばれた」のであろう(笑)、喜びたいと思うだけだ。
日本語の「さよなら」の語源は、「左様なら・・・」、つまり、何のメッセージも伝えず、言葉を濁している、もちろん、あえて、濁しているのだ、同様に、「See You Soon」であれ「再見」であれ、実現するかどうか不確かな「再会」を含意して見せることで、「別れ」に伴う悲しみを、軽減させようとする、けなげな試みなのだ。はい、短いお付き合いでしたが、私にとっては忘れがたい時間でした。では、さよなら、再見、See You Soon!
追伸、あとから、うちの猫「家族」たちにも、ごあいさつさせますからね(笑)!


うちの「家族」たち(笑)からも、「よろしく」と!


ここで働き始めてから、十一ヶ月。どうしようもなく一つの「サイクル」が閉じてしまった感。去るに去れない「理由」を君たち(笑)、ニワトリさんたちに求めてきたが、それは果たして「正直」なんだろうか(笑)?


またも、「人生足別離/サヨナラだけが人生だ」、と言わねばならない日。去って行かねばならない人も辛かろうが、去ら・れ・て、行か・れ・る方もまた。夕刻「慰労会」前、慌ただしくお散歩。


被写体に、たとえば左手で、懐中電灯の光を当てつつ、それを右手に構えたスマホで撮影するなどというのは、なかなか難しいことがわかった(笑)。日曜夜、ニワトリさんたち「飼育係」ナイトシフト(笑)。


ドラちゃんの「ナイト・ウォーク」(笑)。お食事、食後の「ササミジャーキー」、そして、すっかり日の落ちた、「上げ五分」あたりの海岸散歩。

私がサラリーマンだった頃(笑)、日曜の夜、まず、「ちびまる子ちゃん」、ぴーひゃら、ぴーひゃら、が終わると、「サザエさん」、東芝のコマーシャルがあって、「来週もまた見てくださいね!んがうんうっ」の頃になると、ああ、短い週末が、あっという間に終わってしまった、ああ、明日朝からまた、会社に行かねばならない(泣)、と、耐えがたく憂鬱になったものだった。精神科の業界でも、この種の抑鬱症状を、「サザエさん症候群」と正式に記載しているのだ、とも聞いたことがある。今日は、好き好んで(笑)「休日出勤」してるようなものだから、ちょっと話は違うけど、明日からのことが、漠然と憂鬱、という点は同じだから、思い出したわけだ(笑)。


ドラちゃんの、「モーニング・ルーチン」(笑)。


朝一番、△△△君のお迎え出発前。慌ただしく、水を替え、海砂を撒き、ごはん、トウモロコシ主体の混合飼料、を出す。


「野菜、とらなきゃ!」・・・大好物のタチアワユキセンダングサ(キク科)に群がるニワトリさんたち(笑)。


台風26号Fung-Wong、これは香港の命名「鳳凰」、は、まだバシー海峡の西側なのに、リーフエッジに白波。旧暦九月二十一日、正午だからほぼ満潮。ドラ散歩。


「ラスト・デイズ」なんて、言いっこなしよ(笑)!今日のドライブは「ニライカナイ橋」から「知念岬公園」。台風26号Fung-Wongはまだバシー海峡西側なのにリーフエッジに白波。

「フォンウォンFung-Wong」は香港の命名で、漢字で書けば「鳳凰(ほうおう)」、空想上の鳥。リーフエッジの白波が久高島までつながってしまうと、沖縄本島直撃、なんだそうである。生まれも育ちも知念半島のNさんがおっしゃるのだから間違いない。△△△君を含めた四人ドライブも、これで三回目くらいか?いつまでも、こんなことが続けばいいのにね(笑)!
・・・

台風の命名法


台風26号「Fung-Wong/鳳凰」は、直径260kmの暴風域を伴いつつ、バシー海峡から台南に向かっている。当地も激しい雨、犬もニワトリも大変(笑)!


送迎用マイクロバスの窓に張り付いていたこいつは?・・・室内でよく見かけるホオグロヤモリではなく、オンナダケヤモリか?

「オンナダケ」はもとより「女だけ」ではなく(笑)、そんな訳ないだろ?、沖縄本島北部、「山原/やんばる」と呼ばれる地域の南縁に当たる、たしか標高400メートルばかりだったと思う、山の名、「恩納岳」、長年にわたる米軍実弾射撃演習でながらくむき出しにされていた山肌が、ようやく緑に覆われてきた・・・その「恩納岳」で最初に発見された、と言うエピソードが、この爬虫類の命名の由来だが、なんでも、だからと言って、この地の「固有種」というわけではなく、その後世界各地でも発見されている、とのこと。より普通に、室内でも屋外でも見られるホオグロヤモリ(ヤモリ科)に比べると、体表に「恐竜」(笑)を思わせる凹凸が、多いように思われる。この二種は、似たような環境の「ニッチ」を求めるから、両者の間で「棲み分け」が行われている、とも言われている。「居場所」の室内では、ホオグロヤモリは頻繁に見られ、何と形容したらよいかよくわからない鳴き声も聞こえるし、ちなみに、その声、あ、ヤモリが鳴いている、と「土地の人」たちが言うから、私もそう思い込むことになったまでで、鳴いているところを実見したことはまだない・・・テーブルの上に糞が残されていたりもする、こちら、今日初めて見付けたオンナダケヤモリの方は、こうして、屋外にいたわけだ。


満潮時ではあるが、台風26号「Fung-Wong/鳳凰」のせいだろう、潮位が高い。晴れ間をぬってドラ散歩。波打ち際のクロサギ(サギ科)・白色型と木立の上を舞うサシバ(タカ科)。


台風26号「Fung-Wong/鳳凰」、雨が小止みになったから、ゆっくり、ニワトリさんたちのクローズアップ(笑)。


欢迎回来/歡迎回来(ふぁんいんほえらい)


さすが「晴れ女」を自称するだけのことはある(笑)。26号「Fung-Wong鳳凰」を先導するように、台湾から沖縄に帰ってきた人を迎えに行く。時間があったので、「青空」を追って港まて。

台風は現在バシー海峡から台南を横切って与那国方面へと向かっている。それなのに、こちらでは、ほら、青空さえ見えるじゃないか?・・・予報の度に、進路が少しずつ南へずれ、おそらく沖縄本島は直撃を免れ、宮古・八重山方面に達する見込み。台湾上陸後だから、勢力もずっと弱まり、ほどなく「温帯低気圧」化すると言われている。


ほんの300kmほど先の与那国島に、強くはないが大きな台風が接近しているとは、とても思えないような「快晴」。鶏小屋もゆ乾いて、助かった。


旧暦九月二十三日、ほぼ「下弦」の満潮。台風26号「Fung-Wong/鳳凰」の影響か、潮位高し。ドラ、散歩する誰かにご執心のようで、リードを引っ張ること引っ張ること(笑)。


これで私も、人気の、南城市マスコットキャラクター「なんじい」の愛用者(笑)となる。雨に濡れて接触不良か?車の窓が閉まらなくなって(笑)、ゴミ袋で補修(笑)。




「上弦」のはずなのだが、なんだか痩せている(笑)「凹面月/ルーン・コンカーヴ」の気もするが、ま、そんなこともあろう。ずっと雨降りだったからね、旧暦九月、九日になって初めて写真が撮れた。


「謹慎処分」中(笑)、今度は一・人・で・時間を「潰す」べく立ち寄ったショッピングモールの駐車場、雲の切れ間から、旧暦九月十日の月、ほぼ「上弦」だ。


車の中から、信号待ちの間に撮ったから、ボブ・マーリー「バビロン・システム」まで(笑)聞こえてくる、旧暦九月十一日の月。

We refuse to be what you wanted us to be.
We're what we are, that's the way things are going to be, if you don't know.
私たちは、あんたたちが、私たちにこうあれ、と望むものであり続けることを、お断りする。
ご存知ないのなら、お伝えするが、私たちは、私たちのあるがままでいる、それが理というものだから。


「ペンキ塗り」現場の屋根の上から、すでに、月の出三時間後あたりのこの月が、ぽっかり青空に浮かんでいた。でも「仕事中」だったしね(笑)。旧暦九月十二日の月、明日が「十三夜」だ。


「海中道路」のパーキングエリア、そう、ブルーシール「黒糖/ブラウン・シュガー」をSさんにご馳走になっているとき、青空を背景に白いこの月がぽっかり浮かんだのを見たが、その後はこの通り、全天曇り(笑)。

たぶん、江戸時代か、それ以前からの習慣なのだろう、旧暦八月十五夜、旧暦では、一、二、三月が「春」、四、後、六月が「夏」、七、八、九月が「秋」で、十、十一、十二月が「冬」だから、これは「秋」の真ん中、「仲秋」になる、の「仲秋の名月」とともに、ほぼ一月後の旧暦九月十三夜、の月をもいわば「セット」にして、「月見」をしていて、そのうちの片方しか見ないのを、「片月見」として、忌み嫌っていたらしい、ということを知ったのは、もちろん、樋口一葉「十三夜」を読んでからだ。「十五夜」のみならず、「十三夜」でも団子を作ってお供えする決まりだったことも、主人公の母が「いしいし」、どういう語源か不明だが、これが「団子」を表す幼児語であるらしい、を用意した、というところからもうかがわれる。その母が、「旧弊なれど」とある種自嘲していることから、一葉が生まれたのが、ほぼ「明治改暦」の頃、当時は、「旧暦=太陰太陽暦」に執着することが、そのような言葉であざ笑われるような、「文明開化」的風潮だったことも読み取ることができる。


ついさっき、昇ったばかりの、旧暦九月十四日「待宵」の月、を、お届けしましょう。「仲秋の名月」とセットで祝われる「十三夜」の翌・日・、というわけで(笑)、なんら特筆すべきところがない(笑)月ですが。


また、ヴィム・ヴェンダース「ベルリン」風(笑)。ショッピングモール駐車場、孤独な男が月の写真を撮る。隣の区画に駐車中の女、男が邪魔だったにもかかわらず、とがめることもなく微笑んで・・・旧暦九月十六夜。

「きれいな月ですね!」と声をかけてくる。孤独な男(笑)もつられて微笑み、「そう、『十六夜』なんですよ」などと答えてしまう。
・・・
旧暦九月十六日の月「十六夜(いざよい)」、例のごとく、明け方まで待ち受けたにもかかわらず(笑)、西の空は厚い雲に覆われ、「有明」を望むことはできなかった。


またもショッピング・モールの駐車場、植木の樹冠の上にぽっかり浮かんだ、旧暦九月十七日「立待」の月、そして、翌朝、青空を背景に、少し赤っぽい「有明」。


旧暦九月十八日の月「居待」、「昨日は、車の中で、寝た」、忌野清志郎の「市営グランドの駐車場」ではないが(笑)。夜半雲が切れて、ようやく姿を見せてくれ、「有明」の頃は、また見事な快晴。

「有明」のバックに聞こえる「ちちちっ、ちちちっ」の声は、キセキレイ、あるいは、最近到着したばかりのハクセキレイ、いずれもセキレイ科。


寝過ごしてしまって(笑)、煌々と明るい青空に「有明」を探すことになった。旧暦九月十九日の月「臥待」。



「労働法入門」(岩波新書)、「解雇予告と期間制限」
・・・
(解雇の予告)
第二十条 使用者は、労働者を解雇しようとする場合においては、少くとも三十日前にその予告をしなければならない。三十日前に予告をしない使用者は、三十日分以上の平均賃金を支払わなければならない。但し、天災事変その他やむを得ない事由のために事業の継続が不可能となつた場合又は労働者の責に帰すべき事由に基いて解雇する場合においては、この限りでない。
② 前項の予告の日数は、一日について平均賃金を支払つた場合においては、その日数を短縮することができる。
③ 前条第二項の規定は、第一項但書の場合にこれを準用する。
第二十一条 前条の規定は、左の各号の一に該当する労働者については適用しない。但し、第一号に該当する者が一箇月を超えて引き続き使用されるに至つた場合、第二号若しくは第三号に該当する者が所定の期間を超えて引き続き使用されるに至つた場合又は第四号に該当する者が十四日を超えて引き続き使用されるに至つた場合においては、この限りでない。
一 日日雇い入れられる者
二 二箇月以内の期間を定めて使用される者
三 季節的業務に四箇月以内の期間を定めて使用される者
四 試の使用期間中の者
労働基準法第二十条、第二十一条「解雇の予告」



エミール・クストリッツァEmir Kusturica(1954-)、インタヴュー/沖縄タイムズ2002年5月19日
・・・
引っ越しのための片づけをしていたら、押し入れの中から、こんなとんでもない日付の古新聞、発見。とりあえずの「スクラップ・ブック」として・・・。




(7)リヒャルト・ワーグナー通りRichard-Wagner-Straße
・・・

(10)マヤコフスキーリングMajakowskiring



ウォルフガングは溜息をついて、椅子に腰をおろした。「右翼団体が外国人を襲う話は聞いたことがあるだろう。でもナチスに一番よく襲われるのは黒人でもトルコ人でもない。ロシア帰りのドイツ人だよ。彼らは祖先はドイツ人だけど、ロシア文化の中で育っている。自分と似ているけれど違う者がいるというのが、右翼にとっては一番怖いことなんだ。」「でも、わたし、彼らに似ているかなあ。」「全然似ていない。似ていないけれど、モスクワと言われると、いろんな感情にかっと火が付くのさ。」
・・・
ドイツ統一後にこんなことを言ったら、「鴉のお母さん」と呼ばれてしまったかもしれないが、当時は国営の保育園に子供を預けっぱなしにして週末にしか会わない母親がたくさんいた。職種によっては何ヶ月も子供の顔を見ない女性もいた。母性愛という神話が囁かれることはごく希だったし、宗教は弾圧されていたので聖母マリアが幼子イエスを抱く絵も見たことがなかった。これはずっと後になってからの話だが、東ドイツの終焉とともに母性愛の神話が蜃気楼のようにドイツの地平線に現れ、トスカが息子を育てなかったことであれほどマスコミの非難を浴びたのが可哀想でならない。「トスカは東独出身だから生まれた子供を人に任せて、自分で育てない」などと悪口を言う人がたくさんいて、「社会主義サーカスで働いていたためにストレスで育児本能を失った」などとまことしやかに書きたてる新聞さえあった。
・・・
・・・
・・・どう、可愛いだろう。このロバは臆病ではないけれど、向こう見ずではないので、芸に適しているのだ。教授の連れてきたロバはプラテーロという名前だった。・・・
・・・
「ところで君の名前は何と言うの?」とピエロに訊かれたのはだいぶたってからのことで、それまでは「そこの君」と呼ばれていた。ピエロにとっては名前なんてどうでもよかったのか、それとも名前を知ってしまうと責任が出てくると思って避けていたのか分からない。「ウルズラ」と答えると、「それはいい名前だ。ウルズラというのは、ラテン語から来た名前で、小さな牝熊めすぐまという意味だよ」と教えてくれた。
「雪の練習生」多和田葉子(新潮文庫)


「プラテーロとわたし」J.R.ヒメーネス(岩波文庫)
Platero y yo/Platero and I(1914)/Juan Ramón Jiménez(1881-1958)
Ursula
「仏教暦」の「新年」の話題から、星と月に関する冗長な話、そして、月の「クレーター」談義から、ブレヒト「ガリレオの生涯」を読み直すことに
大熊座(Ursa Major)、小熊座(Ursa Minor)




The Name of the Rose(1980)/Umberto Eco/The Name of the Rose(1986)/Jean-Jacques Annaud
The Name of the Rose/Umberto Eco(pdf)*
The Name of the Rose/Umberto Eco(pdf)

「パッション」は「受難」である、談義は続き、アッシジの聖フランチェスコの見た夢、「宣教師団」研究、聖書の「典故」研究と、そのタイトルを有するゴダール映画についてのオチのない話、エンツェンスベルガー、津村喬、「政・治・映画を作るのではない、映画を政・治・的・に・撮るべきなのだ」
8:7 The first angel sounded, and there followed hail and fire mingled with blood, ...
8:8 And the second angel sounded, and as it were a great mountain burning with fire was cast into the sea: ...
8:10 And the third angel sounded, and there fell a great star from heaven, burning as it were a lamp, ...
8:12 And the fourth angel sounded, and the third part of the sun was smitten, and the third part of the moon, and the third part of the stars; ...
9:1 At the sounding of the fifth angel a star falleth from heaven, to ...
9:13 And the sixth angel sounded, and I heard a voice from the four horns of the golden altar ...
10:7 But in the days of the voice of the seventh angel, when he shall begin to sound, the mystery of God should be finished, as he hath declared to his servants the prophets.
Revelation
8:7第一の御使ラッパを吹きしに、血の混りたる雹と火とありて、・・・
8:8第二の御使ラッパを吹きしに、火にて燃ゆる大なる山の如きもの海に投げ入れられ、・・・
8:10第三の御使ラッパを吹きしに、燈火のごとく燃ゆる大なる星、天より隕ちきたり、・・・
8:12第四の御使ラッパを吹きしに、日の三分の一と月の三分の一と星の三分の一と撃たれて、・・・
9:1第五の御使ラッパを吹きしに、われ一つの星の天より地に隕ちたるを見たり。・・・
9:13第六の御使ラッパを吹きしに、神の前なる金の香壇の四つの角より聲ありて、・・・
10:7第七の御使の吹かんとするラッパの聲の出づる時に至りて、神の僕なる預言者たちに示し給ひし如く、・・・
ヨハネの默示録
ベネディクト会Benedictine Order/Ordo Sancti Benedicti:529年、ヌルシアのベネディクトゥスBenedict of Nursiaが、モンテ・カッシーノ修道院Abbey of Monte Cassinoを創建。
ドルチーノ派Dulcinians:14世紀イタリアの異端、ジェラルド・セガレルリGerard SegarelliがパルマParmaに創設の「使徒兄弟団Apostolic Brethren」に由来するが、後に、ノヴァーラのフラ・ドルチーノFra Dolcino of Novaraが指導者となり、ローマ教会との間の武装衝突に至る、フランシスコ派Franciscan的清貧主義に根差すが、ヨアキム主義Joachimites、フィオーレのヨアキムJoachim of Fioreが唱えた、12世紀カトリック教会内の終末論思想、の影響もうけていると言われる
イタリア



1898年、アウグスブルクAugsburg生まれ、プロテスタントの母、カトリックの父
1917年、ミュンヘン大学医学部入学、ロシア革命、アウグスブルク衛戍病院に衛生兵として勤務
1918年、ベルリンなど、大ストライキ、キール軍港反乱、バイエルン・レーテ成立、ドイツ共和国誕生(ワイマール共和国)、スパルタクス団一月蜂起
1919年、独立社会民主党加入、アウグスブルク・レーテに参加、「バール」、「夜打つ太鼓」、「夜打つ太鼓」の主人公は「モロッコ戦線から帰還した兵士」
1923年、ナチ、ミュンヘン暴動
1924年、ミュンヘンを去り、ベルリンへ
1926年、カール・コルシュの下で、マルクス主義を学ぶ1927年、「家庭用説教集」、クルト・ヴァイルとの協力はじまる
1928年、「三文オペラ」
1929~1930年、ハンス・アイスラーによれば、この時期ブレヒトは、集中的に墨子を研究
1930年、ワイマール共和国の崩壊
1931年、バプスト監督による「三文オペラ」映画化、「三文訴訟」、メッキーをブルジョワに変えたシナリオ変更をめぐって
1932年、「三文小説」、「三文訴訟」で主張した形の変更
1933年、国会放火事件、共産主義者への弾圧、プラハへ脱出、チューリッヒ、パリを経てデンマーク、スヴェンボルグ近くのThurøという島に住む、以降6年にわたって、スヴェンボルクに住む
1936~1938年、モスクワ裁判、第一回:「合同本部陰謀事件」(1936)、第二回:「並行本部陰謀事件」(1937)、第三回:「右翼トロツキスト陰謀事件」(1938)
1938~1939年、「ガリレイの生涯」
1939年、「肝っ玉おっかあとその子供たち」
1939年、第二次世界大戦開戦の予兆の中で、ストックホルムに移住、そこに一年間居住、・・・、ナチの軍隊が、ノルウェイおよびデンマークに侵入するとともに、フィンランドのヘルシンキに移る、そこで、アメリカ合衆国へのヴィザ発布を待ちつつ、1941年3月まで居住
1941アメリカへの亡命
1947年、10月31日、非米委員会審問
1947年、11月01日、パリ経由スイスへ脱出
1949年、一年間、チューリッヒ滞在の後、東ベルリンに移住、劇団「ベルリナー・アンサンブルBerliner Ensemble」結成、
1953年、「ベルリン暴動/East German uprising of 1953」、当初、「社会主義の達成したものを防衛せよ」と、弾圧を執行した「社会主義統一党Sozialistische Einheitspartei Deutschlands/Socialist Unity Party of Germany(SED)」ウルブリヒト第一書記Walter Ulbrichtへの手紙の中で、書いたが、数か月後には、「解決/Die Lösung/The Solution」という詩を書いた
1956年、死去
・・・
Die LösungNach dem Aufstand des 17. JuniLieß der Sekretär des SchriftstellerverbandsIn der Stalinallee Flugblätter verteilenAuf denen zu lesen war, daß das VolkDas Vertrauen der Regierung verscherzt habeUnd es nur durch verdoppelte Arbeitzurückerobern könne.
Wäre es daNicht doch einfacher, die RegierungLöste das Volk auf undWählte ein anderes?
The Solution
After the uprising of the 17th of June
The Secretary of the Writers Union Had leaflets distributed in the Stalinallee
Stating that the people
Had forfeited the confidence of the government
And could win it back only
By increased work quotas.
Would it not be easierIn that case for the governmentTo dissolve the people
And elect another?
解決
6月17日の蜂起のあと「作家同盟」の書記長はスターリン大通りにパンフレットをばらまいた
人民は政府に対する信頼を打ち固めたというのだ
でもそれによって得られたのは、ますます大きくなった「ノルマ」だけ
ならば、この場合政府にとってより簡単なのは人民を解散して別のを選出することではなかったか?
・・・
スターリン大通り/Stalinallee、カール・マルクス大通り/Karl-Marx-Allee:「スターリン大通りStalinallee」での、土木建築労働者のデモが、1953年の労働者蜂起の発端となった、・・・、以降毎年、東ドイツの「メーデー」軍事パレードの場所となり、1961年、「脱スターリン化De-Stalinization」の中で、「カール・マルクス大通りKarl-Marx-Allee」に改名
ベルリナー・アンサンブルBerliner Ensemble:当初、シューマン街Schumannstraßeの「ドイツ劇場Deutsches Theater」を拠点としたが、1954年には、ミッテ区、ベルトルト・ブレヒト広場Bertolt-Brecht-Platzの、「シフボイエルダム劇場Theater am Schiffbauerdamm」に移った
・・・
2015/05/18君が見ているのは、天と地には何の区別もないという事実だ。
2017/09/22チェシー・キャット、じゃ、あるまいし。
2018/08/05友情のために大地を、耕そうとした私たちだが、自らは友情的にはなり得なかった・・・。
2018/12/29「We Are the People」から、「怒りの葡萄」、そしてジョン・フォード「あんたが代表しているもの、そして、あんたが今夜ここで言ったこと、言おうとしている事柄が、嫌いだ」
2019/01/27「修正第五条」の、リリアン・ヘルマン
2019/03/21ブレヒトの「島」は何処?、「イースターの日曜日」は何時?
2019/10/15ブレヒト「三文オペラ」、ワトソン博士
2020/05/19木々についておしゃべりをすることさえ犯罪なのだ、それは、不正に対するある種の沈黙だから!・・・ハンナ・アレントとベルトルト・ブレヒト、まだ先は続くと思うが
2022/04/15「仏教暦」の「新年」の話題から、星と月に関する冗長な話、そして、月の「クレーター」談義から、ブレヒト「ガリレオの生涯」を読み直すことに
Bertolt Brecht(1898-1956)
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Drums in the Night(1922)
Baal(1923)
In the Jungle of the Cities(1923)
The Life of Edward II of England(1924)
The Elephant Calf(1925)
Man Equals Man(1926)
Downfall of the Egotist Johann Fatzer(1926-1930)
三文オペラThe Threepenny Opera(1928)
Happy End(1929)
Lindbergh's Flight/The Flight Across the Ocean(1929)
He Who Says Yes(1929)
Rise and Fall of the City of Mahagonny(1930)
He Who Says No(1930)
The Measures Taken(1930)
Saint Joan of the Stockyards(1929-1931)
The Mother(1932)
The Seven Deadly Sins(1933)
The Roundheads and the Peakheads(1936)
The Exception and the Rule(1936)
Fear and Misery of the Third Reich(1938)
Señora Carrara's Rifles(1937)
The Trial of Lucullus(1939)
The Resistible Rise of Arturo Ui(1941)
肝っ玉おっ母とその子どもたちMother Courage and Her Children(1941)
Mr. Puntila and His Man Matti(1941)
ガリレオの生涯Life of Galileo(1943)
The Good Person of Sezuan(1943)
Hangmen Also Die!/Fritz Lang/Hanns Eisler(1943)
Schweik in the Second World War(1944)
The Visions of Simone Machard(1944)
The Caucasian Chalk Circle(1944)
The Days of the Commune(1949)
The Tutor(1950)
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生没年/一覧表




七十歳を過ぎ、ぼくに「戦争」の話をしてくれた人たちは、みんなこの世を去った。どうしてあのとき、彼らの話を聴いておかなかったのだろう。そこには、学ぶべきことがたくさんあったのに。おそらく、彼らもそう思っただろう。彼らの父母や祖父母たちに対して、話を聴きたいと思ったときには、聴くべき誰かはもういないのだ。「ぼくらの戦争なんだぜ」高橋源一郎(朝日新書)
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「散華」太宰治(青空文庫)
「十二月八日」太宰治(青空文庫)
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「惜別」「『惜別』の意図」太宰治(青空文庫)
「『吶喊』原序」魯迅/井上紅梅訳
「村芝居」魯迅/井上紅梅訳

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「フランス領インドシナ」の探索、マルグリット・デュラス「愛人(ラ・マン)」と、林芙美子「浮雲」
「とてもとても想像の及ばぬこと」については、「とてもとても想像の及ばぬこと」とのみ、表記するという作法、について・・・古山高麗雄を、読み直す
現下の「戦争」に、かこつけて、そんなことをするのは不謹慎でもありうるのだが、ウクライナ―ロシアの二つの文化間を「往還」した、と言われる作家、ニコライ・ゴーゴリを読んでみる、そしてもう一人、ウクライナ生まれの「ユダヤ人」、レフ・トロツキー
四か国語の「福音書」、「ドレフュス事件」への言及、それから、話は前後するが、フリーダ・カーロ、アンドレ・ブルトン、・・・、トロツキー「わが生涯」を読む、続編
110年前の、「彼岸過ぎ」、まで、「小川町停留所」探訪、マクシム・ゴーリキー、そして「いつも、一番大事だと感じていたものに限って、先に失われてしまう」、という感慨について。
マキシム・ゴーリキー「イゼルギリ婆さん」とともに、中央ヨーロッパ、「多言語地帯」を行く
「ウクライナ・ナショナリスト」から「汎スラブ主義」への「変節」、「転向」という「入れ知恵」、「先入観」のもとに、・・・、ゴーゴリ「隊長ブーリバ」を読む、続編
旧「レーニン主義者」、としては、旧・レニングラード、と呼ばせてもらおう・・・ハミド・ダバシ氏のすすめに従い、ドストエフスキー研究を始める、フロイト「ドストエフスキーと父親殺し」とともに



ショウジョウトンボ(トンボ科)

アキノノゲシ(キク科)

イソシギ(シギ科)





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Last updated  2025.11.13 08:22:26


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