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とても「幽玄」な、啼き声。 柳田國男が、河童の啼き声に比定していたのは、ムナグロ。こちらは、同じチドリ科の近縁種、ダイゼン(チドリ科)、と思われる。ムナグロとダイゼンの区別は素人にはとてもむずかしいようだから、よくわからない。 でも、「素人」としては、この「ひゅる~ぃ、ひゅる~ぃ」という啼き声は、とても「幽玄」(笑)で、河童であるならば、さもありなん、と思える。 こちらも、「河童の啼き声」に擬せられた、 ムナグロ、によく似た、同じチドリ科の、ダイゼン、と、思われる。 長い嘴で、入念な羽づくろい。 長い嘴で、入念な羽づくろい。セイタカシギ(セイタカシギ科)。通り過ぎたのは、ハシビロガモ(カモ科)、メス。 久しぶりの快晴、四月中旬であるが、「冬鳥」たちは、まだ旅立たないらしい。 依然として、アカアシシギ、キアシシギ、アオアシシギの区別は、つきにくいのだが、これは、ちょっと嘴が上に向いて反っているだろう?、そのかすかな特徴から、アオアシシギ(シギ科)、ということにしておく。久しぶりの快晴、四月中旬であるが、「冬鳥」たちは、まだ旅立たないらしい。 快晴だ!、水面、「みなも」、と読みます(笑)、が陽光に煌いている、「きらめいて」、こちらはルビをふっとかないと、自分でも読めなくなりそう。 四月下旬ともなれば、もう少し南の宮古・八重山諸島では、あるいはここ沖縄本島でも場所によっては、そろそろ「海開き」なのである。冗談ではない、風邪気味の私は(笑)、今日はまだセーターを着込んでいる。 でも、夏が近づいた「華やぎ」は否定できないね。 これらのシギ、チドリ類、カモ類の「冬鳥」たちは、まもなく北の繁殖地に向かって旅立つ。代わりに、各種アジサシ(カモメ科)たち「夏鳥」が、南からやってくる。 つまり「夏」は、辛い冬を「栄養生長」(ディプロイド体)(笑)によって乗り切った生き物たちが、「生殖成長」(ハプロイド体)への期待を謳歌する季節なのである。 実際に(笑)、「ハプロイド化」して繁殖するチャンスがあるかどうか?、は多分、問題では、ない。生命の圧倒的大多数は、繁殖に、「失敗」する。例えば「私」も(笑)、その一員であるが、それでも「夏」が「華やぐ」(笑)のは、私たちが、「隠喩」によって事物を感得することが出来るからではないのか?、ほんとか? シマアザミ(キク科)。海岸植物。 南の方の分校での初仕事、昼休みには、こうして海岸までやってこれる。何も不満はないはずなのだが、どうしたんだ?、全然ココロ楽しまないのは、「ペットロス・シンドローム」ということにしておいてもよい。 ただ、四月が毎年憂鬱なのは、・・・、「会社は自分を十分評価してくれていない」(笑)、とか、「同僚の誰かが、嫌がらせをしているに違いない」(笑)、とか、そんなありふれた被害妄想とは別に、・・・、 青少年たち(笑)が、「私は○○大学に進学して△△になりたいです!」、と目を輝かせて言い、「そうですか!、ではその『夢』を持ち続けてください!、こちらも協力を惜しみません!」、などとこちらも思わず引きづられて、力強く握手してしまったりする「茶番」(笑)が、・・・、実は耐え難いのであった。 人が何をしたいか、何になりたいか?、そんなことは、「私事」だろ?、「私事」はこっそり胸に秘めるべき事柄で、声高に語るのは「恥ずべき」こと、・・・、ましてや、その「欲望」を「市場経済」が組織して、「自己実現」、うぁ~、気持ち悪い!、を手助けするための他者の労働を、「サーヴィス」として、金銭を対価に受け取れることを「当然」と感じる「世界」なんて、・・・、私には「不道徳」(笑い)極まりないものにしか、見えない。 ルイス・ブニュエル「欲望のあいまいな対象」、であったかな?、いや、「ブルジョワジーの密やかな楽しみ」、であったかな?、観たのはもう30年ほど前であるが、・・・、 「排便」という行為(笑)と「摂食」という行為の、モラル上の位置が逆転してしまう世界の戯画、 人々が、「便座」の並んだ応接室でにこやかに談笑している。と、一人が、恥ずかしそうに、「ちょっと、失礼」とばかりに席をはずし、個室に駆け込む。そこは小さなキッチンになっており、彼は、ものすごい勢いで、スパゲッティーをかきこむのだ(笑)。 あれ?、そんな話してたら、スパゲッティー、食べたくなってきた?、もう少し「夏」になれば、当地で作られたオクラが市場に出回る。オクラを刻んで少し細めのスパゲッティーと和え、オリーブオイルを垂らす。オクラ・スパゲッティーの季節になれば、この「憂鬱」も、もう少し、「薄まって」いるだろう? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.16 12:04:00
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