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ねこログ

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2020.08.08
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ハイビスカス、ブッソウゲ(アオイ科)

カバマダラ(マダラチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)

イソヒヨドリ(ツグミ科)・オス


目次:またしても、「ある」ことが、そのものを「立証」しているのに反して、「ない」ことは、なにごとも「立証」しないことについて/「夜がくる前に」レイナルド・アレナス、または、「海」に入ることの、いわば「精神的」な「治癒力」/水の中では、どうして「対象」が、近くに見えるのか?、昔取った杵柄/「燃える風船作戦」、そして、「11歳の子供が世界に向けてガザの生活をラップする」/もはや語ることの出来ない者たちのために、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの「レイプ収容所」の記憶/私たちは、過去三年間を、世界に向かって、私たちの境遇を伝えるべく、同じ話を何度も何度も繰り返してきた、ロヒンギア・キャンプからの記事二本/マックス・ウェーバーの言う「責任による倫理」、「究極的な結果に対する倫理」、そして「シャルリ」再論/アッサム、グワハチから「鰐の表皮をもったウリ科の果実」、そして、「我的・ゴーヤー・愛」/「地中海」と「漆喰」、から、「見かけの重力」と「コリオリ力」、という「宿題」/見晴るかす水平線までの距離、および、ダーウィンによるという「裾礁」の生成機序/冷房の効きすぎたアーケードの「浦島太郎」、とか、「私の人生に、何一つ関係をもたない『歌』」、とか?/
「ねこログ」総目次




何にでも「依存」する「依存症」患者は、「依存」することをや・め・て・い・る・状態にすら、「アディクト」出来るのだ(笑)。
連日、この島の中だけで、数十名に及ぶ「新規」感染者が発見され、それは、「発生源」の数が「伝播速度」に比例する、
dx/dt=kx
と言うのなら、その一般解は、
x=x0exp(kt)
であるから、文字通り「exponential/指数関数的」に、「幾何級数的」に増大するのは、理の当然なのだが、そういう「ニュース」を毎日眺めていると、さすがに気も滅入って来よう、と言うものだが、「何」に「気が滅入って」いるのかは、必ずしも定かではない。どこにもそうとはあからさまに書いてはいなくとも、「此処」が四囲を海に囲まれた場所であるならば、「それ」は、「外」から「持ち込まれた」と想定されることになる、感染症ならずとも、一般に「病」は、何か「邪悪」なものが、「外」から、すなわち、「他者」の手によって、もたらされた、という、「イデオロギー」の「温床」なのであって、ほら、もう「温床」などという、もっぱら「病原微生物」に用いられるべき言葉を、隠喩に使っている、「ウィルス」というのは、素人の理解によれば、遺伝情報の記載された、DNAとかRNAとかの「断片」のようなものらしく、「宿主」細胞の持つ遺伝子複製機能を、勝・手・に・流用する以外に、「増殖」することが出来ない、そうやって「乗っ取られた」細胞が、やはり「幾何級数的」増大の相に至ったことが、「発症」として表示されるんでしょう?生物には「免疫システム」というものがあり、自らと異なるたんぱく質組成を検知すると、直ちに攻撃を加え、もって「個体」の一体性を保全している、なおかつ、かつてそのような異種たんぱく質合成に関わった、「侵入者」の、いわば「プロフィール」をことごとく、「記憶」していて、二度目以降は対処するまでの時間が、劇的に短縮される、ウィルスや病原微生物の「世代交代」はものすごく速いから、突然変異の幅も大きくなり、だからその「記憶」を免脱する場面も、多くなるのであるが、それら、免疫の壁を突破し、それこそ「幾何級数的」繁殖の相に至るには、何らかの環境条件を要するのであろう?およそ「生物」とさえ言いがたい、ともされるウィルスについて、その喩えが、どれほど有効か分からないけれど、細菌の場合なら、生物の体内には、膨大な「細菌叢」と呼ばれるものがあって、「善玉」だろうが「悪玉」だろうが、相互に抑制、拮抗し、各種が一定の個体数を維持する段階で平衡状態にあり、ある特定の種のみが爆発的に増大するには、その平衡を破る条件が、整わなければならない、と言われるだろう?爆発的な増大が「症状」に発現するのだとすれば、これは、「存在/不存在」をめぐる「哲学的」難問と相同だが、「症状」がないからといって、病原微生物が体内に、「一匹も」いない、ということには、全然、ならない、ウィルスが生物でないというなら「一個」と言うべきかもしれないけどね、「検査」と言ったって、ある微量の体液中に、ウィルスの活動の痕跡があるかどうか見るのだろうから、ある程度の「濃度」をもって対象が存在していない限り、「ネガティブ」の結果になるのだろう、つまり、ここでは、症状が「ない」、検査結果が「ネガティブ」である、ということが、少しも、「病原」の不・存・在・、の証明に、ならない、のだ、「症状」があ・る・、検査が「ポジティブ」であ・る・ことが、間違いなくて存・在・を証明しているのに対して、・・・、「あなた」はその、何か「邪悪」なそ・れ・を、決してもってはい・な・い・、と立証することが出来ない、「あなた」は、だから「邪悪」、かも知れないのだ、ならばお互い様、他の誰でもが、「邪悪」、かも知れないではないか?万人の万人に対する闘争?、いや、と言うより、万人の万人に対する、猜疑、忌避?「社会的」距離確保、と言うが、まさにこれでは、どんな「社会」だろうと、それを繋ぎ止めておく「粘着力」のようなものを、真っ向から忌避してしまうものなのだね、「新大陸」を「発見」したヨーロッパ植民者は、後には、先住民絶滅への意図的な戦術として、それを採用することになるが、少なくとも、最初は、自らの持ち込んだ病原微生物が、相手の存在を、否認するものになることを、「知らなかった」であろう、「私」の存在が、「あなた」の存在を、否認する、vice versa、「私」が生き延びるためには、「あなた」の存在が、必要ではない、どころではない、存在しては、な・ら・な・い・、そんな場面が、どこにでもありうることを、我々はもう充分に、知っていた、つもりだったのだけれどもね、・・・、とまあ、ざっとそのようなことを考えて(笑)、この何とも漠然とした陰鬱さは、何なのだろう?いつも得意そうに(笑)「自殺念慮」を口にしていた君は、確かに「高リスク層」だろうが、改めて、「死にたくない」のかね?いや、それもあるが、発症して半ば強制的な入院、とでもなれば、うちの猫たちはどうなるのだ、と思うと胸潰れるようで、とか言いながら、実は大して「心配」しているわけでもない、人は、「死」の瞬間まで、まさか自分に限って「死ぬ」筈はなかろう、と思い込んでいるものなのだろう、・・・、だから、いっそのこと、「ニュース」を耳に入れることの方を、や・め・る・ことにした、「知らない振り」、と言う「躁的防衛」の、一種、「インターネット」は、自分の愚にもつかない文章とか以外、見ない、「スマホ」は「ゲーム」専用機(笑)となった、何にでも「依存」する「依存症」患者は、「依存」することをや・め・て・い・る・状態にすら、「アディクト」出来ることは、「禁酒」の経験から、知っていた、・・・、「非常事態宣言」、だったか、「緊急事態宣言」、だったか、それも「知らない振り」で、海にでも行くか?「人々」が集まるからいけないんだろ?私は、友達いないから、いつでも一人、迷惑は、かけない、溺れて、緊急医療の負担を増すような愚だけは避けるべく、注意怠らず、という事で、・・・、


クマゼミ(セミ科)

エリグロアジサシ(カモメ科)

コアジサシ(カモメ科)・幼鳥

ダイゼン(チドリ科)、コアジサシ(カモメ科)
前半は、まだ「非常事態」以前、もう夕刻だから、カメラを構えているときは、気付いていなかったが、アジサシ、「鯵・刺し」が二種、混在している、白地に黒い「鉢巻」みたいな、その名もエリグロアジサシ(カモメ科)、手前の方で、仲睦まじく、「愛の語らい」、を始めた、そう言えば、これら「夏鳥」は、当地で繁殖するのである、「渡り鳥」が何故、多大な「リスク」を敢えて抱え込んででも、長距離の「渡り」を採用したのか?「北半球」で言えば、「北」、寒い地帯の方が、「繁殖期」である夏期に、交尾、産卵、営巣、抱卵、育雛、など、多大なエネルギーを要するであろう仕事をやり遂げるために必要な、栄養源が、豊富にあるからだ、と言われている、年中夏のような(笑)、「南」の旺盛な繁殖力を目の当たりにすると、ちょっと不思議な気がするし、また、これも「豊かな北/貧しい南」という「イデオロギー」の変奏の一つなのでは、などと思わず疑い深くなってしまうが(笑)、これも、また、確かに「南北」をめぐる一つの背理ではあるかも知れない、
1.「南」の海が透明なのは、紫外線が強すぎて、プランクトンさえ棲めない、だから、それは、「貧栄養」の証なのだ、
と同様に、
2.「南」では、す・べ・て・の・生命活動が、旺盛なのであって、従って、地中や水中の「分解者」たる微生物もまた、活発に活動するから、生命活動に伴う、有機栄養分は、迅速に分解されてしまい、蓄積されることがない、
ということのようである。亜熱帯の当地で見られる「渡り鳥」は、夏場を、もっと「北」、シベリア、中国大陸、朝鮮半島北部、で過ごして繁殖し、冬場、暖を求めて、こちらや、更に南の島々を目指してやって来る「冬鳥」が、種数としても、個体数としても、圧倒的に多いように思える。カモ科、シギ科、チドリ科、などのほとんどがそれにあたるだろう、トロツキーの自伝には、シベリアでの鴨撃ちの情景が、チェーホフの紀行には、鴫の姿が描き込まれていた。カモメ科アジサシ類は、当地では「少数派」に当たる、「夏鳥」なのだ、図鑑などの記述を読んでも、その航跡ははっきりしないようなのであるが、おそらく冬場は、も・っ・と・「南」で過ごし、夏場、当地で繁殖する、彼らにとっては、ここが、「北」なのである(笑)!だから、ほら、こんな風に、おそらく、雌の上に雄が「マウンティング」しているのだろう、そんな風に鳥類の「愛の語らい」の現場を目撃するのは、とても、珍しいことなのだ。ということは、当地で繁殖しているのなら、当然、群れの中に、「子供」の姿があっても当然だろう、と、やっと気づいた、もう一種類の、コアジサシ(カモメ科)は、頭が黒く、くちばしがオレンジ、翼の先は少し灰色っぽい、のであるが、なんだ、こいつ、色がはっきりしない、別の種類なのか?と悩んでおったが、そうか、言われてみれば、表情も仕草も、「子供っぽい」(笑)、よく、「まだ、くちばしの黄色い奴」などというが、確かにヒヨドリ(ヒヨドリ科)の雛などは、本当に(笑)、嘴が黄色いのであるが、元来(笑)、くちばしがオレンジ色であるはずのコアジサシでは、どうやら、雛は、まだ、十分に黄・色・く・な・い・、のが、その徴のようである。沖縄本島最南端に近いこの海岸は、この先宮古八重山まで、三百キロ余りの「絶海」を隔てているから、渡りの途中の者たちの休憩場所としてもにぎわう、ダイゼン(チドリ科)、キアシシギ(シギ科)、ヒバリシギ(シギ科)、などを見かけたが、はて、それが、「北」へ向かう最終便なのか?はたまた、もっと「南」への第一瓶なのか?、は、依然として謎のまま、このダイゼン(チドリ科)、すっかり派手な「夏羽」の衣装になっているが。

クビワオオコウモリ(オオコウモリ科)

キアシナガバチ(スズメバチ科)、テリハノブドウ(ブドウ科)

カバマダラ(マダラチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)

イソヒヨドリ(ツグミ科)・オス

ホウオウボク(マメ科)

ハイビスカス、ブッソウゲ(アオイ科)

コメツキガニ(スナガニ科)

ルリマダラシオマネキ(シオマネキ科)

オキナワスズメダイ、ロクセンスズメダイ、デバスズメダイ(スズメダイ科)、セナスジベラ(ベラ科)

カザリキュウセン(ベラ科)・オス

ネッタイスズメダイ、ロクセンスズメダイ(スズメダイ科)



サザナミヤッコ(キンチャクダイ科)・幼魚

ツマジロモンガラ(モンガラカワハギ科)

アカヒメジ(ヒメジ科)

ヒレグロコショウダイ(イサキ科)

カザリキュウセン(ベラ科)・メス

オキフエダイ(フエダイ科)

ミナミハコフグ(ハコフグ科)・幼魚、ツノダシ(ツノダシ科)
後半は、それから一週間後くらいになるか、もう「非常事態宣言」下、である、堤防の入口は、高潮などのときのためのコンクリートのゲートが閉め切ってあって、「釣り等レジャーの行為は、お控えください」との市役所の貼り紙があるにもかかわらず、海岸には、浜遊びの「地元民」のみならず、駐車場のナンバープレートから判明する、「観光客」も、ちらほら、もちろん、自分も、その一人、なのである(笑)。透明度はそんなに高くないのだけれども、魚たちの動きは、活発のよう。二年に一度ぐらい、出会うことができる、サザナミヤッコ(キンチャクダイ科)、成魚となると、文字通り「さざ波」らしい斑点が多々、体表に現れるのだが、この、実線と破線をおり交ぜた渦巻き模様のようなのは、幼魚の印なのである、それにしても、「地上」の生物には、あり得ないデザイン、と考えて、でも、ということは、「地上」の生き物である私たちが、この図柄を見て、直ちに、「人工/アーティフィシャル」なものに違いない、と、「感じた」ということは、私たちが、クレヨンなり色鉛筆なりを手にしたら、思わず、こんな図柄を描いてしまうかもしれない、というのなら、それは、私たちの、どっか遠い記憶、「遺伝子的」記憶?、の中に、その源をたどることができるのかも?とか、妄想したりして。そう言えば、同じく、奇天烈なデザインである、ムラサメモンガラ(モンガラカワハギ科)を、初めて見たとき、「あ、私、こんな服、着たい!」といった人がいたな。元教え子の、「うつ病」休職中の数学の先生、教員免許取得の勉強を手伝うと称して、飲み屋のテーブルで「勉強会」をしてきた縁で、私がお魚たちの写真を見せると、「連れてってください」、ということになった、「若い女」と一緒に(笑)、「海に行く」という、ことが、とてつもなく(笑)稀有なことであることを、そのときは、充分に、堪能していなかったのでは?と、その後例によって「音信不通」となってしまった、今となっては、「悔やまれる」こと頻り(笑)、なのであるが、これまた例によって(笑)、どうして彼女が、私から「離れて」行ったのか?、は、「謎」のままなので、それは、「愛の作法」を学んでいない人間だから、「作法」にもとることをしたとしても、それに気が付くことができない、だから、「嫌われた」か「うんざりされた」か、に違いないのだろうが、「何」が「嫌わ」れ、「何」に「うんざり」されたか、は解き得ない難問で、従ってもはや「やり直す」こともできない、「次」があるとも思えない(笑)、「語り得ぬことは、語ってはならない」(ヴィトゲンシュタイン)(笑)、ことにして、ただただ、「冥途の土産」の一つのアイテムとして(笑)、大事に(笑)しまっておくことにする。

オオハマボウ(アオイ科)




彼らの「安心」にとっては、私がそこに「いない」ことの方が、望ましい、という事実。
現下の、うちの、ベランダの、お客人二人は、もう、だんだん違いがなくなってきたが、明らかに大きさが異なるから、少し異なる時期に、従って、異なる母親から生まれ、かつ、同じ頃に、同様に、母とはぐれた、という事情にあるものと思われ、少し大きめのが、「渦巻茶とら」、小さめの方が、「鉢割れ白黒」と、呼ばれている(笑)。警戒心が強いのは、「野」の生き物として生き延びるには必須の素養であって、「愛想がない」などと非難すべきでは毛頭ないが(笑)、一方、もうすでに、古代エジプト以来(笑)、四千年の歴史を刻む、「人間」との「共生」、という観点からは、若干阻害要因となるかも知れない、ということは否めない。それでも、少しは、「馴染んで」来てくれたようではある、以前も今も、こうして、窓越し、昨日は、やや小さめの台風が通過したばかりでもあるし、画面がやや汚れているのはそのせいだ、に、私と目が合うと、一目散に、階段の降り口に向かって駆けだすところは、変わらない、ただ、そういうことが何度も続いて、しかし結局、そう真剣に逃げ出すほどの「危害」があったわけではない、ということが「経験」から学ばれたのであろう、逃げ出す素振りが、次第に、「儀礼的」、「形式的」のものとなり、しばらくすると、すぐに戻ってくるようにもなった。こうして、生き物は、互いに「他者」が、自分にとって「安全」である、つまり、「弱い」ということを知ることによってはじめて、「心を許す」のだ、ということが理解されるのである。内田樹経由であるが、エマニュエル・レヴィナス、という哲学者は、「愛とは、他者の弱さを志向するものである」と、言ったそうで、ああ、それは、こんなことを言っているのか、と、勝手に(笑)納得した次第なのだ。中心気圧998ヘクトパスカル、という、そう強くはない台風が、ここから西に400キロばかり離れた海上、ということは経度で言えば、3.5度くらいになろうか、を南から北へと抜けて行った、雨風はそれでもかなり強かったから、昨日は一日、どこかの隠れ家に閉じ込められていたのだろう、こうして、今朝、ごはんを出しておくと、ごはんを出しに私が顔を出すと、まず、逃げ出しはするのだが、また戻ってきてくれて、どうやら、今日は、一日、ここで、くつろぐ「予定」なのらしい。朝顔に、鶴瓶とられて、貰い水(笑)。「非常事態宣言」下ではあるし、猫の餌も、自分の餌も、まだしばらく買い置きが残っているから、どこにも出掛ける必要はない、こうして、彼らが、ここに安心している様子で、くつろいでいてくれることが、私にとっても、何よりの「幸せ」なので(笑)、ただ、彼らの「安心」にとっては、私がそこに「いない」ことの方が、望ましい、という事実に気づくと、若干の寂しさを禁じ得ないのは確かであるが、まことに、この現下の「疫病」が、明らかにしてくれたのが、「あなたが、い・な・い・ことが、私が生き延びるための条件」、という、にわかには、受け入れることが、困難な宣言なのであるが、それは、「新大陸」に、ヨーロッパの植民者が、来・な・け・れ・ば・、彼の地に文明を築いていた人々は、滅ぼされてはいなかっただろう、という、「人類」の歴史への省察を促すだけでなく、「自然」を「保護」する、というのなら、それは、「人間」をそこから除去する以外方法がない、という背理をも、含んでいるのである。前回の「非常事態宣言」の後、人影も絶えた遊水地の芝生に、もう、あっという間に、腰の高さぐらいの「雑草」が生い茂り、決して靴に踏まれることのない、小さな花々が、文字通り、「咲き誇って」いるのを発見し、やや、パセティック、かつ、ナイーヴであることは知っているが、ああ、「人間」亡き後の「地球」というのは、こういうものなのか、と、考えてみたりもしたのだがね。


鉢割れ白黒

鉢割れ白黒、渦巻茶とら、二人で昼寝、まったく「出自」は異なるのに、たまたま、この家の二階には、いつもごはんが出ているらしい、とかいう「噂」を聞きつけて(笑)、やって来て、そうこうするうちに、「知り合い」となったに違いない、いつの間に、こんなに、「仲良く」なってしまったんだろうか?その「寛容さ」というか「リシリエンス・柔軟さ」というか、には、いつもながら、驚かされる。

鉢割れ白黒、渦巻茶とら

渦巻茶とら、後ろ姿(笑)


昔取った杵柄(きねづか)、を(笑)。


ハマフエフキ(フエフキダイ科)、方言名「たまん」、当地の高級食用魚、「王者の風格」(笑)、などという言葉が思い浮かぶのは、こちらと「目が合って」も、あまり、まじめに(笑)逃げようとしないようなのだ、こちらの追跡の能力を、正・し・く・「見くびって」いるからなのだと思うと、この場合、もちろん、ゆっくり写真が撮れるからでもあるが、何か、「頼もしい」気がしてくるのだ。

アミアイゴ(アイゴ科)、ミツボシキュウセン(ベラ科)、国際通りの土産物屋で、と、何度も言うが(笑)、国際通りの土産物屋、などというところにもう何年も足を運んでいないのだが、そこで、瓶詰めとして売られているであろう「すくがらす」は、この魚、アミアイゴ(アイゴ科)、方言名「すく」、を、「辛子」、ナス科の唐辛子の実、とともに泡盛につけこんだ薬味、ないし酒のおつまみなのであるが、その稚魚の巨大な群の中に、巻き込まれることがしばしばあったが、それが、もう、このくらい、長さ5cmくらい、に育ったのであろう。

クロサギ(サギ科)・黒色型、アオサギ(サギ科)、クロサギ(サギ科)は、「留鳥」、アオサギ(サギ科)は、「冬鳥」であるから、今、ここに、い・る・筈・がないのだが、「渡り」には、莫大なエネルギーを要するのである、準備が整わず、「サボって」しまった(笑)者があったとしても、当然なのだ、彼または彼女も、そんな一人なのだ、と勝手に想像している。

ミサゴ(タカ科)

キアシシギ(シギ科)

アオアシシギ(シギ科)、これらは、間違いなく、「冬鳥」の一番乗り、なのだと思われる。

オカヤドカリ科の一種

旧暦六月二十三日の月、月の出三時間後

ミツボシキュウセン(ベラ科)、ムラサメモンガラ(モンガラカワハギ科)

ハマフエフキ(フエフキダイ科)

ハマフエフキ(フエフキダイ科)、藻場用の「カムフラージュ」に変色

ハマフエフキ(フエフキダイ科)、また、たちまち元の色に戻る、この三枚は同一個体を追跡しているのである

ハマフエフキ(フエフキダイ科)、方言名「たまん」

キヘリモンガラ(モンガラカワハギ科)

地味な色合いの無地のもの、ブダイ科の一種・幼魚、網目模様、アミアイゴ(アイゴ科)・幼魚、黒、白、黄のトリコロール、インドヒメジ(ヒメジ科)

キヘリモンガラ(モンガラカワハギ科)、手前と奥のミツボシキュウセン(ベラ科)、と比較すれば、その大きさが想像できる

キヘリモンガラ(モンガラカワハギ科)

ダイシャクシギ(シギ科)、これは、また数日後、であるが、岸に上がってくると、そのあたりにいたのであろう、向こうにとっては迷惑な話だ(笑)、シギ、チドリたちが、一斉に飛び上がって、移動する、飛び上がるときに声を挙げるから、それとわかる、だから、着替えた後、今度は一眼レフを持ち出して波打ち際を見ると、今しも、サギ並みの大きさだが、飛び方が異なる、何者かがふわりと舞い降りた、「とぅるぃー」みたいな哀愁漂うシギらしい声も聞こえた、これも、「冬鳥」の第一便であろう、もっと南へ向かう途中かもしれないが。

シロチドリ(チドリ科)

シロチドリ(チドリ科)、キアシシギ(シギ科)

シロチドリ(チドリ科)、キョウジョシギ(シギ科)、シロチドリ(チドリ科)は、「留鳥」であるが、キアシシギとキョウジョシギは、やはり「冬鳥」の先駆けなのであろう。

スズメ(ハタオリドリ科)

I was familiar with all the nooks and crannies of the seashore around Havana, the places where a sudden deepening would attract fish of unexpected colors, the areas covered with red coral, the big rocks, the huge sandbanks where one could stand to rest. After my swim I would return home and take a shower.... But after taking a shower or rather, after dumping a bucketful of water over me (there was not enough pressure for the water to rise my shower), I would go to UNEAC feeling so alive that all those bureaucratic work seemed bearable. I had to check of horrendous publications like the UNEAC magazine, where I was supposed to be an editor but was actually only a proofreader, allowed to have neither an opinion nor the right to publish. But afer my ocean swim I could imagine all of it was only a nightmare; real life started near the shore in the glittering sea that would be waiting for me the next day, and into which I could vanish, at least for a few hours.
Before Night Falls/Reinaldo Arenas(Serpent's Tail)
私はハバナ一帯の海岸の、どんな片隅や割れ目も熟知していた、突然水深が増すようなところがあって、そんなところには、とんでもない色彩の魚たちが集まってくる、その辺りは、赤いサンゴで覆われていて、ところどころに大きな岩、人が立ったり、休んだりできるような巨大な砂丘もあった。泳ぎ終わると、家に戻りシャワーを浴びる。・・・それでも、シャワーを浴びる、というか、(水圧が低くてシャワーにならないのだ)、バケツ一杯の水を頭からかぶると、職場の「全キューバ作家芸術家連盟」に出掛けるのも、そこで、事務的な仕事をこなさなければならないことも、幾分かは耐えられるものに感じられてくる。その「全キューバ作家芸術家連盟」のおどろおどろしい出版物を、点検するのが私の仕事なのだが、一応私は編集者という名義ではあったが、意見を発することも、それを出版することも、権利として与えられていなかったから、やっていることは、単なる校正者に過ぎなかった。しかし、こうして、大洋を泳いできた後では、これらすべてのばかばかしい仕事は、単なるひと時の悪夢に過ぎず、真の生活は、あの海岸の、きらめく海、明日もまた、私がそこに飛び込んで、少なくとも、数時間の間は、消えてなくなってもよいように、私を待ち受けてくれている、あの海から始まるのだ、と思い込むことができたのだ。
「夜がくる前に」レイナルド・アレナス

UNEAC/Unión de Escritores y Artistas de Cuba/National Union of Writers and Artists of Cuba/全キューバ作家芸術家連盟
作中には、数多くの作家たち、それは、アレナスと同様に、「反体制/反・カストロ派」であり続けた者として共感を捧げられている者、どこかの段階で、国家安全省State Securityの、「手先informer」になった者、初めから狡猾な政府同調者であった者、として罵倒を投げつけられている者、様々であるが、そこで聞き覚えのある名前が、この↑サイトのリンクで見つかったので、備忘のために掲げておく。
Nicolás Guillén(1902-1989)
José Lezama Lima(1910-1976)
Alejo Carpentier(1904-1980)
カルペンティエールは知っているぞ、ハイチ革命に取材した、「この世の王国/El reino de este mundo/The Kingdom of this World」、の作者だ。アレナスは、ぼろくそに貶しているが。もう一人、キューバの作家として名前の思い浮かぶのは、フリオ・コルタサルJulio Cortázar(1914-1984)、こちらは、一度アレナスの作品を絶賛する論評を書いたことがあるようで、やや好意的に扱われている。

レイナルド・アレナス(1943-1990)が、キューバ革命後、ということは16歳ないし17歳、ということになるが、ハバナに出てくるまで育った土地は、島の東の端に近い、オルギンHolguínという町の、そのまたはずれにある、農村であった、中学生になってオルギンに出てくるまで、海というものを見たことがなかった、と書いてあったと思う。
ジュリアン・シュナーベル監督「ミラル」とのつながりで、その前作に当たる、「夜になる前に」のペーパーバック、十年以上前に購入し、半分ほどまでは、斜め読みしたらしいものを、読み直して見ることにした。ほかにも書くことは、また出て来るだろうが、ここでは、「海」に入ることの、いわば「精神的」な「治癒力」について書かれているように思えたので、共感のあまり(笑)、書き抜いてみた。彼は、フランス人の作家の友人が贈ってくれた、水中眼鏡と、足ひれ、当時のキューバでは、とても手に入らなさそうな品だった、を愛用していたようである。

「夜になる前に」レイナルド・アレナスBefore Night Falls/Reinaldo Arenasの中で、対岸から泳いで、ガンタナモ湾米海軍基地に亡命を試みた様子が描かれている。冷戦期の「敵性国家」キューバのど真ん中に米軍基地がある事情についても、調べてみた。
細かい疑問、脱走を幇助してくれる黒人の友に、所持金を全部巻き上げられたはずなのに、初日のバス代はどうしたのだろう?、とかは、さておき、一番下に掲げた海軍基地近傍の地図をご覧いただくと、カイマネラの町に着く少し前、西側2kmばかりの地点でバスを降りれば、確かに、「右に向かって川のところまで」行くことができるだろう、だから、そのあたりが、「(第一)検問所」ではなかろうか、と思う、川の土手に沿って、5kmばかり南下すれば、確かに、飛行場がある、だから、川が、海に注ぐちょうどその辺りで、海に飛び込めば、まっすぐ横切れば、3kmほどで、海軍基地に泳ぎ着くことができよう、地図の中でオレンジ色で示しておいたのは、「Border Rd(Road)」と、記されていたもの、これが厳密に「国境」を表わすものであるならば、そんなに簡単に超えることができたのだろうか?、さらに疑問なのは、侵入者であるアレナスを発見して、それを捕縛しようとした「兵隊」達は、キューバ軍なのか、合衆国のものなのか?「intruder」という用語からすれば、不法侵入者を摘発するアメリカ軍、とも読めるが、亡命者の存在に、神経を使っているのは、むしろキューバ政府であったかもしれない、とも言える、バスの運転手が、自分を「国境警備隊員」だと勘違いしたことだろう、との記述も、その推論を補強する、そんな訳で、この、冷戦期を通じて、「敵性国家」であり続けたキューバのど真ん中に、米軍基地がある、という由来を、あまりわかっていない事にも思い当たったから、その「地位協定」的なものが、どうなっているのだろうか、に、・・・、鳥の声喧しい干潟の上に、延々とフェンスが連なっているだろう光景は、当地の、例えば沖縄市泡瀬の通信施設の様子などを想いうかべれば少しは想像できる、だから、決して「他人事」とは思えない(笑)、興味が湧いたのだ、以下、wikipedia記事などから、キューバのガンタナモ湾に、米国のガンタナモ海軍基地が置かれている由来、について、
コロンブス前の時代、この湾の近辺は、タイノ人Taíno peopleの居住地であった。スペイン、イギリス間の「ジェンキンスの耳戦争War of Jenkins' Ear(1739-1748)」によりイギリス管理下に置かれたが、さらにサンチアゴ・デ・クーバまでの進軍に失敗したイギリスは、この土地から撤収。米西戦争Spanish–American War(1889)において、米軍はこの地を拠点として使用、キューバ軍が、米軍の支援を受けてスペイン植民者を駆逐した後も、その管理権を手放そうとしなかった。パリ条約(1898)により戦争終結、キューバは、スペインの植民地から解放されたが、アメリカ合衆国の軍事占領を受けることになる。1902年に、米軍が撤収し、キューバ共和国(1902-19059)が成立したのちも、ここが米軍支配下に置かれた法的根拠は、1901年のプラット修正条項Platt Amendment、その第7条は、次の様に謳っている、
That to enable the United States to maintain the independence of Cuba, and to protect the people thereof, as well as for its own defense, the government of Cuba will sell or lease to the United States lands necessary for coaling or naval stations at certain specified points to be agreed upon with the President of the United States
合衆国がキューバの独立を維持し、従ってその人民を保護すると同時に、合衆国自身の国防のためにも、キューバ政府は、燃料備給、あるいは、海軍のための基地となるべき土地を、合衆国大統領と合意されたしかるべき場所に、売却または、賃貸することとする。
・・・
キューバ共和国の立憲議会は、当初、この条項に抵抗したが、最終的には、1901年のキューバ共和国憲法に、この条項は編入された。1903年の、キューバ・アメリカ関係条約 Cuban–American Treaty of Relations、によって、その賃貸借契約関係が明らかにされた、
Agreement – This is a lease between the U.S. and Cuba for properties for naval stations, in accord with Article VII of the Platt Amendment.
合意事項、これは、プラット修正条項第7条に規定する、合衆国とキューバ間の海軍施設のための財産の賃貸契約に関するものである。
Article 1 – Describes the boundaries of the areas being leased, Guantanamo Bay and Bahia Honda.
第1条、賃貸借にかかる地域の境界について記述する、それはガンタナモ湾Guantanamo Bayおよび、バイーヤ・オンダ(オンダ湾)Bahia Honda、である
Article 2 – The U.S. may occupy, use, and modify the properties to fit the needs of a coaling and naval station, only. Vessels in the Cuban trade shall have free passage.
第2条、合衆国は、燃料備給施設及び海軍施設のみの目的に、必要な財産の、占有、使用、及び変更を行うことができる。キューバの商船は、自由通行券を有する。
Article 3 – Cuba retains ultimate sovereignty, but during the occupation, the U.S. exercises sole jurisdiction over the areas described in Article 1. Under conditions to be agreed on, the U.S. has the right to acquire, by purchase or eminent domain, any land included therein.
第3条、キューバは当該土地に対して、絶対的な主権を保持するが、占領期間中は、合衆国が第1条に記載された地域に対する、唯一の裁判権を行使する。合意された条件に基づき、合衆国は、売却または強制収容によって、その地域に属する土地を獲得する権利を有する。
・・・
Bahia Hondaという地名は、ハバナの西側50kmの海岸に発見できた。1912年まで米海軍基地として使用されていたが、ガンタナモ湾の租借地の拡張と引きかえに、放棄された、とのこと。




屈折率

平行光線が屈折率n1の媒質から、入射角iで入射、屈折率n2の媒質に入り、屈折角rで、境界面から遠ざかるように(ir)屈折した。
l,l'は、平行光線の中の2本の光線で、位相がそろっている。
l'が媒質n2に入った点をA'、lが媒質n2に入った点をBとすると、光軸に垂直な波面A-A'、B-B'は、それぞれ同位相である。
したがって、それぞれの媒質での、波の進行速度v1,v2、および波長λ12の比は、

と、表される。
ここで、∠A'AB=i,∠B'BA'=rだから、AB=dとおくと、

したがって、

「疎」な媒質から、「密」な媒質へ入射(n1n2,n12>1)するとき→境界面から遠ざかるように屈折(ir)
「密」な媒質から、「疎」な媒質へ入射(n1n2,n12<1)するとき→境界面に近づくように屈折(ir)
この場合、屈折角がr=90°となることがある。このときの入射角icを、「臨界角」と呼び、iicで、「全反射」が生じる。

この、キヘリモンガラ(モンガラカワハギ科)、という、何とも「奇天烈」(笑)、なお魚が、ふと振り返ると、ほんとにすぐそばにいた。上の方に、これは別の個体だけど、写真があるでしょう?いつも、慌てて、その豊かな、まことに「フリルのような」(笑)、ヒレをはためかせて、というよりは、文字通り「振り乱して」というのがふさわしい、逃げていくところばかり目撃していたのだけれど、なるほど、どうも、それは、彼らが、いつもは、こんな風に、藻場の目立たないとこに隠れて、じっと、いわば「佇んで」いる、ことが多かったのに、迷惑な「シュノーケラー」などというものが、下手な泳ぎでじたばた近づいてきたものだから、やむなく逃げ出さざるを得なかった、という事情だったのだね、今日は、すぐそばで、ブダイ科の幼魚やら、インドヒメジ(ヒメジ科)という色鮮やかな奴だとか、いずれにしても体長10cmばかりの小さな魚の動きに没頭していたから、気が付かなかった、相手もまた、こちらが比較的同じ場所にいたから、警戒を怠っていたのかもしれない、ほんの、「手を伸ばせば届くような」距離で、目が合い(笑)、お互いに、仰天した、という訳なのだ。逃げていく場面のものと、著しく色合いが異なるのも、背景に対する「保護色」のなせる業なんだろうな。これもまた「地上」の世界では、あり得ない、デザイン、色合い、初めて会ったときは、ぎょっとした、「不気味」とも感じたのは否めないが、何とも不思議なことに、そんな「不気味」なものに「慣れる」ことがあり得る、ということが、やはり、海に入ることの「教育的効果」(笑)の一つなので、この頃では、この顔が、「愛らしく」思えてくるほどなのだ(笑)。図鑑によれば、成魚の平均的な体長が、30cmなどとあるが、もっと大きく見える、大人の猫(笑)ぐらい?そんな、手を伸ばせばそこに寝転んでいる猫の腹を撫でるみたいに、こいつにも、「手が届きそう」に思え、もちろん、うっかり手が届いたら、多分、大変なことになる、それこそ、猫たちにお出ししている、魚のあらを観察すればわかるが、ヒレの付け根の骨などは、刃物の如く鋭角的、慌てて逃げる際に、うっかり手が触れようものなら、けがをしてしまうに違いない。「地上」の生き物である私たちの目は、水の屈折率を組み込んでいないので、対象との間を隔てる距離も、従って対象の大きさも、実は読めていない、という話をしようとして、では、何故、屈折率が高い媒質、今調べたら、水は、1.33、とのこと、の内部では、物がより「近く」に、見えてしまうんだろう?あれ、あんた、物理の「先生」だったんだろう?そんなことも、説明できなくなっていることに我ながら愕然、という訳で、「昔取った杵柄(きねづか)」、自分で作った講義用のテキスト、まだ、ウェッブ上に残っている、私が死んでも(笑)、当分は残ったりするんだろう?を、引っ張り出してきた。ここまでで、一応「屈折の法則」、その発見者は、あの、数論で有名な、フェルマーなのだそうだが、の説明にはなっている。引き続き、では、たとえば、プールの底が、実際よりも(笑)、「浅く」見える理由は?

深さhの水底にある物体R、そこからの光が、入射角i、屈折角r、で、観測者Eに到達、しかるに、水の屈折率を組み込んでいない、観測者の錯覚では、空中の光の経路の延長上I、その深さh'、に、その物体の虚像を見る、
h'/hの比は、充分微小な角度に対しては、tanはsinで近似できるから、これは屈折率の逆比となり、空気1、水1.33、とすれば、約0.75、
これは屈折による「錯覚」の話だが、同じく、水の屈折率が組み込まれていない観測者が水中で体験する「錯覚」も、同様に考えられる、と思う(笑)、つまり、例えば、実は、1.33m先にいるキヘリモンガラが、まるで「手が届きそう」な、1m先に、見えるような気がする、という訳だ。


きっと「生き返る」に違いない、と、「強迫的」に(笑)思い込んでいる、で、思い込んでる「病人」は、そのとおり、ちゃんと「生き返る」のだし、それを「知っている」からこそ、やめられない。


マトフエフキ(フエフキダイ科)

アカハチハゼ(ハゼ科)、サラサハゼ(ハゼ科)

ヒレグロコショウダイ(イサキ科)・幼魚

オキナワスズメウリ(ウリ科)

クロマダラソテツシジミ(シジミチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)

ウスキシロチョウ(シロチョウ科)

クロマダラソテツシジミ(シジミチョウ科)
潮目もよくなければ、来てみると、透明度もあまり芳しくない、それでも、それこそ、上で引用した、レイナルド・アレナス、ではないけれど、海でひと泳ぎしたならば、きっと「生き返る」に違いない、と、これはもう、ほぼ「強迫的」に(笑)思い込んでいるから、そして、もちろん「強迫的」に思い込んでいる「病人」は、そのとおり、「自己暗示」だろうが何だろうが、ちゃんと「生き返る」のであって、もちろん、それを、「知っている」から、繰り返すのだ。だから、そんなに見るべき写真はないよ、この、ひょろひょろっとした、白黒縞模様のは、そういえばデザインが似ている、いつももっと沖の方で、見かける、イサキ科のヒレグロコショウダイの子供であるらしい、家に帰って図鑑を調べて初めて分かったのだけど。海の近くに、ずっと以前に、大幅望(アオイ科)の群落に絡まって、オキナワスズメウリ(ウリ科)、が実っていたのを思い出したので、同じ場所に行ってみると、おお、ちゃんと、やっぱり実っていた、うちのベランダでも、ひと時は、毎年のように、繁茂していたものなのに、この頃は、ちっとも見ないから、懐かしく、撮影した。最後の、ウスキシロチョウ(シロチョウ科)、という琉球列島固有種だそうだが、これは、子猫が風邪気味のように思えるので、動物病院に、インターフェロンを求めに出掛け、その帰り道、王朝時代のさる城(ぐすく)跡の公園に立ち寄ったときのもの、クロマダラソテツシジミ(シジミチョウ科)、がとまっている石灰岩は、その石組なのだ。


隣の庭の、月見草は、・・・?
ほら、こちらと目が合っても、いきなり「逃げ出そう!」とするのではなくて、少し、「様子を見る」、という余裕が出てきたでしょう?こんな風に、まだまだ時間はかかりそうだが、少しずつ「警戒」を解除してくれて、ま、「仲良く」(笑)、なれれば、いいんですがね。もちろん、「世界」は、君の希望通りに、出来ているわけじゃないから(笑)。今しも、ドアを開けて出て行くと、もちろん、「脱兎のごとく」(笑)、走り出す、きっと階段の途中くらいまで、「逃げ」た筈だが、こちらが、ほら、こうして、ご馳走(笑)の、マグロの血合いの缶詰を出して引き下がると、早々に戻ってくる。
1.なんだか「縦長」の、巨大な生き物が、出て来る、
2.もちろん、物騒だから、避難する、
3.でも、しばらくして様子を見に戻ってみると、どうも、その「縦長」の生き物が出て来た時に限って、「ご馳走」が、現れているのだ、
などという、観念同士の、「つながり」といったものを、彼らがどのくらい、「認識」しているのか?は、分かり得ないことだけれどもね。
トイレの窓から覗いてみると、おや、こうして二人、仲良く、隣家の豪邸の庭で遊んでいる、ああ、そこでうんこしたら、怒られる、いや、怒られるのは、だらしなく野良猫に餌を出したりする「私」という人間の「非常識」なのだが、そのとばっちりで、君たちまで「憎悪」の対象となっては、申し訳ないからね。隣家の主は、元弁護士会の重鎮だとかいうご隠居で、かつては、近隣住民を、路上駐車などをめぐって、生硬な(笑)法律用語を、駆使して、怒鳴りつけたりする、ちょっと「困った」人だったが、今は、「心が広く」なられたか、早朝、シロガシラ(ヒヨドリ科)の「トワイライト・ソング」にあわせて、口笛で、「ぴぽぴぽぴぽ」、などと歌われている、またそれが全然似ていない(笑)ところも微笑ましい、もう、自力で庭いじりなどなさることもないようだから、猫たちの粗相も、大目に見ていただけると、ありがたいのであるが。
ピンクの花が映り込んでいるでしょう?撮っているときは、アカバナ科のユウゲショウの近縁種、ヒルザキツキミソウ、だと思っていたが、今見てみると、クロッカス(アヤメ科)の桃色品種のようだね、でも、
富士には月見草がよく似合う
隣の花は、赤い
で、思いついたタイトルは(笑)、このままにしておく。









二つの点が横に並んでいたら、私たちはもう、それを「目」だと思い、あ、「目が合った」と思う、ということは、「相手」もそうなのかも知れない、という想定が、直ちに、成り立つことになる。






ヒヨドリ(ヒヨドリ科)、いつもながら(笑)、トイレの窓から、ちっとも声を挙げないから、メスかもしれない。



オニハゼ(ハゼ科)、トウゾクテッポウエビ(テッポウエビ科)、穴掘り作業のエビも、「見張り」役のエビも、共にサイズが大きい、当然、「穴」も、大きいのだろうな。

アカオビベラ(ベラ科)、コクテンサザナミハギ(ニザダイ科)、透明度はそんなに高くなくとも、干潮の浅い場所に、快晴の陽光が存分に差し込めば、魚の色も、自然、明るくなる。

ヤエヤマギンポ(イソギンポ科)

イナズマベラ(ベラ科)、何年か前に名護の東海岸で、お目にかかったことがあるきりだったな、不思議な「幾何学模様」、背びれに「眼状紋」があるのは、雌、とのこと。

アミアイゴ(アイゴ科)

アミアイゴ(アイゴ科)、ブダイ科の一種、アカハチハゼ(ハゼ科)、アカオビベラ(ベラ科)

アミアイゴ(アイゴ科)、ダンダラトラギス(トラギス科)

シマハギ(ニザダイ科)



クマササハナムロ(タカサゴ科)、方言名は、「ぐるくん」、著名な食用魚で、から揚げにしたものなど、売れ残りの値引き品を持ち帰ると、うちの家族たちが大喜びする、そんな、有名な魚だ、水深1m程度のごく浅い場所で、あっという間に、大群に取り囲まれる、一つ一つの個体は、15cmばかりもあろうか、そんなものが、高速度で衝突したら、かなりの打撃であろうが、しかし、決してそんなことが起こらないのは、流体力学上の問題もさることながら、「彼ら」の泳ぎの技術が、卓抜しているからであろう。

サザナミフグ(フグ科)、これまた錯覚だが、「ほんの目と鼻の先」、長らく食事に没頭されていたようで、たくさん撮影できた、「見慣れた顔」と思ったが(笑)、図鑑を繰っても、これというものに当たらない、白いみぞれ状の細かい斑点があれば、サザナミフグ、なので、そういうことにしておいた。

アミアイゴ(アイゴ科)・幼魚、下は、初めて見たが、ひょっとしたら、ハマフエフキ(フエフキダイ科)、方言名「たまん」、の子供かもしれない、成魚が藻場の中で見せる「カムフラージュ」の模様に、似ているではないか?



ハマフエフキ(フエフキダイ科)・幼魚、図鑑などを探しても、「子供」の写真は見つからないのだが、一度「そういう目」で(笑)見てしまうと、もう、それ以外に「有り得ない」、とさえ思えてくるものだ。

アミアイゴ(アイゴ科)・幼魚、ヤエヤマギンポ(イソギンポ科)、今日の月は「三日月」、「中潮」の干潮時、大潮のときなら露頭するような岩の上だから、水深はごく浅い、そんな場所に「混み合って」いるからだろう、様々な、「出会い」(笑)を記録できるのだ。

アミアイゴ(アイゴ科)・幼魚、何かを「訴え」かけているような。



先日と同じ「組み合わせ」、オニハゼ(ハゼ科)と、トウゾクテッポウエビ(テッポウエビ科)、初め、警戒して引っ込んでしまわれたから、場所を覚えておいて、海の中ではそれはなかなか難しい、しばらくしてから再訪すると、このように、「仕事」が再開されていたのだ。

尾びれの付け根に一点「紋」があるのが、ミツボシキュウセン(ベラ科)、「三ツ星」のあと二つが、このタイプ、雌性先熟魚の、若いメス、と思われるが、には、まだ現れていないのだ、と思う、中央に、アミアイゴ(アイゴ科)、ブダイ科の一種の、これらも「子供」であろう、そして、左上と、右上、互いに異なるが、どちらも、種名が決められない、ニザダイ科の一種、左の方は、テングハギに似ているが、額の出っ張りが小さいし、右のは、ナミダクロハギ、メガネクロハギ、と似ていなくもないが、背びれの色も違うようだし、「涙」も「眼鏡」も、ないし(笑)。

コクテンサザナミハギ(ニザダイ科)、「漣/さざなみ」というのは、水面に干渉によって生じた細かい波頭のことを言うのだろうから、小さなドットが並んだデザインのものがそう呼ばれるんだろうな、サザナミヤッコ(キンチャクダイ科)の成魚もそうだし、でも、光の加減とか、成長の段階とかで、はっきりしないことが多い、前回のサザナミフグ(フグ科)も、それ以外の特徴は似ているのに肝心の「さざ波」模様が見つからないので困っていたところだ(笑)、このコクテンサザナミハギ(ニザダイ科)も、ちゃんとその模様が見えるように写真を撮るのが、むずかしかった、ちなみに「黒点」は、尾びれの付け根の上下。

シノビハゼ(ハゼ科)と、モンツキテッポウエビ(テッポウエビ科)

ヤエヤマギンポ(イソギンポ科)

上から順に、オキナメジナ(メジナ科)、と思われるもの、通りすがりの、アカオビベラ(ベラ科)、その背後に、ヤエヤマギンポ(イソギンポ科)が隠れてしまった、下のは、色合いが異なるが、やはりアカオビベラ(ベラ科)の、メスかもしれない。

ヤエヤマギンポ(イソギンポ科)、と、オキナメジナ(メジナ科)、と思われるもの、ヤエヤマギンポの「視線」は、この「隣人」に向けられているように見える。

ミツボシキュウセン(ベラ科)



旧暦七月三日の月、月の入一時間前




記事にあるKaram Abu Salem (Kerem Shalom) Crossing、は、下の地図に見るように、ガザ地区の南端、エジプト、イスラエルとの国境が交差する地点のようである。


(1)Abdulrahman al-Shantti、またの名を(aka:also known as)、MCA、自身の、映像が、YouTubeにある
11-year-old Gaza school boy goes viral for rapping skills(YouTube)
(2)Waheeb Nasan、wikipedia記事はなし、YouTubeに以下をはじめ多数
See You Again Cover (Palestine Version) Waheeb Nasan ft. Kareem Ibrahim(YouTube)
(3)Wiz Khalifa/Cameron Jibril Thomaz(1987-)、wikipedia記事によれば、ノースダコタ生まれ、両親は合衆国軍人だったため、ドイツ、イギリス、日本など、世界を転々とする。3歳のときに両親が離婚、母とともにピッツバーグに住む。ティーンエージャーになる前から自作の歌を歌っていた。「Khalifa」は「承継者」ないし「知恵」を表わすアラビア語だが、これをステージ名として採用したのは、ムスリムであった祖父にちなむものだという。YouTubeで「シー・ユー・アゲイン」を発見できた。
Wiz Khalifa - See You Again ft. Charlie Puth [Official Video] Furious 7 Soundtrack(YouTube)
(4)DJ Khaled/Khaled Mohamed Khaled(1975-)、wikipedia記事によれば、ニューオーリンズにパレスチナ人の音楽家の両親のもとに生まれる、自身を敬虔なムスリムと表現しているようである。
DJ Khaled - I'm The One ft. Justin Bieber, Quavo, Chance the Rapper, Lil Wayne(YouTube)
(5)Masari、wikipedia記事はなし、YouTube上にも見つからず
(6)Akala/Kingslee James McLean Daley(1983-)、wikipedia記事によれば、イギリス西部サセックス州生まれ、母親はスコットランド人、父親はジャマイカ人、十代の頃から、カリブ系住民の主催する、パン・アフリカニズム土曜学校に通った。ジェレミー・コルビンの労働党を支持する政治活動家であり、「先住民:帝国の廃墟の中の人種と階級/Natives: Race and Class in the Ruins of Empire(2019)」の著作がある。
Natives: Race and Class in the Ruins of Empire(amazon)
Natives: Race and Class in the Ruins of Empire/Akala...1 Born in the 1980s(画像ファイル)
Natives: Race and Class in the Ruins of Empire/Akala...1 Born in the 1980s(訳出作業中)
Find No Enemy/Akala(YouTube)
(7)Lowkey/Kareem Dennis(1986-)、wikipedia記事には、ロンドン生まれ、という以外に、出自等の記載はない。反シオニズムの主張を公然と発する活動家であり、「パレスチナ連帯キャンペーン/Palestine Solidarity Campaign」の主宰者でもある。2009年2月には、ヨルダン川西岸地区の難民キャンプ各地で、コンサート活動を展開、この際、短時間ではあるが、ベン・グリオン国際空港で、イスラエル警察の拘束を受けている。同年、医療品支給などの援助活動のために、アメリカ合衆国のラッパー「M-1/Mutulu Olugbala」とともにガザを訪れている。以下に掲げる「Soundtrack to the Struggle」は、このときに成立したコラボレーション。
Terrorist?/Lowkey(YouTube)
Soundtrack to the Struggle/Lowkey(YouTube)
(8)Eminem/Marshall Bruce Mathers III(1972-)、wikipedia記事によると、合衆国ミズーリ州生まれ、イギリス人、スコットランド人、ドイツ人、ドイツ系スイス人、ポーランド人、ルクセンブルク人の家系であるという。両親はバンドのメンバーで、後に離婚、彼は母親の下で育った。「政治的傾向」などという項目はないが、2004年の大統領選挙では、反戦を掲げ、ブッシュ再選阻止のために、キャンペーン・ヴィデオを公開した、というエピソードがあげられている。それが、以下に掲げる「Mosh」。
EMINEM MOSH - Original Version(YouTube)
(9)Tupac/Tupac Amaru Shakur(1971-1996)、wikipedia記事によると、ニューヨーク、マンハッタン生まれ、1988年、サンフランシスコ・ベイエリアに移住。一歳のときにインカ帝国の王の名にちなんで「Tupac Amaru」と名前を変えたのは、母親の意思で、「世界的な先住民の革命家の名前を、息子に贈りたかった、生まれ育った地域だけではなく、世界的な文化の一部として自分が存在していることを知って欲しかった」、と語っているという。母親は、ブラック・パンサー党の活動家で、裁判も受けていたらしい。下に掲げる「ディア・ママ」の冒頭には、「あの子がおなかの中にできたとき、私は監獄にいた」という女性の語りがある。彼自身の「政治的傾向」を示すエピソードなどは、見つからなかったが、不平等に対する抵抗と闘争のシンボルであった、と指摘されている。テューパック・アマル―、という名を聞けば、ペルーの「MRTA/Movimiento Revolucionario Túpac Amaru/テューパック・アマル―革命運動」を想起せずにはいられないが、1996年12月、リマの日本大使館を四カ月間にわたって占拠、大統領アルベルト・フジモリ指揮下の特殊部隊が突入して、その場で、裁判なしの、「簡易処刑sumuary excution」として、全員が殺害された、かの組織も、この、スペイン植民者に抵抗を試みたインカの最後の王、にちなんで命名されていた。
Changes/Tupac(YouTube)
Dear Mama/Tupac(YouTube)
The Rose/Tupac(YouTube)
(10)Mike Shinoda/Michael "Kenji" Mike Shinoda(1977-)、wikipedia記事によると、カリフォルニア生まれ、父は日系アメリカ人
(12)Ahmad Dennaoui、wikipediaにも、YouTubeにも、発見できなかった。
(13)DAM、1999年に結成されたパレスチナ人のヒップ・ホップ・バンド。アラビア語、後には、英語およびヘブライ語で作曲、当時のヒップ・ホップにとって活動場所は、イスラエルのクラブに限られていたようで、第二次インティーファーダに際して、以下に掲げる「Innocent Criminals/無実の犯罪者」を発表したのが、彼らにとって、初めての「政治的」なメッセージ、と、wikipedia記事にあるのは、そういう事情と関係があるのかもしれない。
Innocent Criminals - DAM ft. Aviv Geffen (With English translation) פושעים חפים מפשע(YouTube)
(14)Ramallah Underground、このwikipedia記事には、ディスコグラフィー以外の記述がないので、由来などはよくわからない。以下の「Sijen ib Sijen」は最初のシングルのようで、「監獄の中の監獄」というアラビア語のようである。
Ramallah Underground - Sijen ib Sijen(YouTube)
(15)Revolution Makers、wikipedia記事は見つからなかったが、YouTubeには、何曲か掲載があった。
Ala Khair - Revolution Makers Music Video - على خير - صناع الثورة - فيديو كليب(YouTube)
(16)Linkin Park、(注10)のMike Shinodaの参加するバンド。
(17)Kris Kross、アメリカのヒップ・ホップ・グループ
Kris Kross - Jump(YouTube)
(18)Fort Minor、もまた、(注10)のMike Shinodaのプロジェクトの名称のようである。以下のYouTubeには、その「Fort Minor」と題される、ものが、日本語字幕付きで掲げられている。それは、第二次世界大戦中の、日系アメリカ人の強制収容を題材にしている。
Fort Minor - Kenji日本語訳(YouTube)



そこに宿泊するすべての旅客は、たとえかつては知らなかったとしても、今は、もう知っているのです・・・ボスニアの「レイプ収容所」を観光地としての検索から除去するようグーグルに申し入れ/メルシハ・ガッゾ2020年8月26日アル・ジャジーラ

ドリナ川Drina river、ダニューブ川Danube(ドナウ川)↓右岸側の支流の一つサヴァ川Savaの支流で、ボスニアヘルツェゴビナとセルビアとの国境をなす。

記事中の「オーストリアの女優、キム・ヴェルコーKym Vercoe」について、wikipediaにはその項目は見つけられなかったが、概ね次のような事実はわかった。
下の↓「Vilina Vlas」の説明によると、オーストリアのパフォーマンス・アーチスト、キム・ヴェルコーKym Vercoeは、このホテル滞在の経験をもとに、「seven kilometres north-east: A performance about geography, tourism and atrocity/北東に7キロ:地理学、旅行、そして残虐行為についてのパフォーマンス」という作品を制作した。この作品は、後の2013年に、彼女自身が主演を演じて、ジャシミラ・ズバニッチという、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの女性映画監督によって映画化された、そのタイトルが「For Those Who Can Tell No Tales/もはや語ることの出来ない者たちのために」。
Vilina Vlas
For Those Who Can Tell No Tales/Jasmila Žbanić(2013)
Jasmila Žbanić(1974-)





ミャンマー、ラキネ州とバングラデシュ、コックス・バザール↑
International Court of Justice (ICJ)、国連の常設司法機関、国家間の係争案件に裁判権を持つ、オランダ、ハーグ
International Criminal Court (ICC)、国連とは独立の組織で、個人の国際的犯罪を扱う、オランダ、ハーグ
Rakhine people、ミャンマー、ラキネ州、及びバングラディシュ、チタゴン周辺に居住、宗教は仏教、言語は、Arakanese languageおよびビルマ語
Arakanese language、シノ―チベタン語族チベット―ビルマ語派Sino-Tibetan/Tibeto-Burman
Burmese language、シノ―チベタン語族チベット―ビルマ語派Sino-Tibetan/Tibeto-Burman
Rohingya people、宗教はスンニー派ムスリム、ヒンズー教の少数派が存在、言語は、Rohingya language
Rohingya language、インド―ヨーロッパ語族インド―イラン語派Indo-European/Indo-Iranian




  • マックス・ウェーバーの言う「責任による倫理」、「究極的な結果に対する倫理」、その第三の道は?・・・どうして私は、ジョー・バイデンに投票しないか/ハミド・ダバシ2020年9月5日アル・ジャジーラ
    Arundhati Roy(1961-)、アルンダティ・ロイ
    Walking with the Comrades/Arundhati Roy「ゲリラと森を行く」(2011)(amazon)
    マックス・ウェーバーの引用部分に、強い印象を受けたと同時に、よく呑み込めない部分もあったので、取り急ぎ、岩波文庫版「職業としての政治」を取り寄せ、斜め読みしてみた、
    This is the crucial point.
    We have to understand that every ethically-oriented action can be divided into two entirely different, irresolvably opposed maxims: an ethical action can be based on "ethic of moral convictions" that does not contemplated the consequences of the action based on the decision [Gesinnungsethik], or it can be based on ethics of responsibility, in which consequences for the ordered actions are anticipated and full responsibility is taken [Verantwortungsethik].
    This does not mean the ethics of moral conviction is identical with irresponsibility, and that the ethics of responsibility is void of ideology. None of this is true, and no one can say that. However, it is an abysmal contrast, if one acts on the ethics of moral convictions; religiously speaking, this means: "The disciple of Christ does the right thing but the outcome is left to the discretion of God." Or one acts on the ethics of responsibility; this means that one is responsible for the foreseeable consequences of one's actions.
    For example, you might present to a syndicalist, who acts according to the ethics of moral convictions [Gesinnungsethik] in a very pragmatic and convincing fashion, that the consequences of his actions are going to increase the exploitation of his class [and] will hinder its rise. Nevertheless, this reasoning will make no impression at sll on the syndicalist.
    [The convention with this type of reasoning] is that the consequences of such an act resulting from a purely ideological conviction(1) are evil, so this cannot be blamed on the one who is acting; rather, the world is to be blamed for the evil consequences, the stupidity of the other people, or it must be the will of God who created them that way.
    On the other hand, the politician who believes in and acts on the ethics of responsibility [Verantwortungsethik], expects these normal defects of men. He knows that he has, like Fichte [the German idealist philosopher] said correctly, no right to assume kindness and perfection in man. And he thinks that he has no right to blame the foreseeable consequences of his own actions on others.
    He will take responsibility for his actions and its consequences. But the politician who ascribes to the ethic of moral conviction feels only "responsible" for preventing the flame of true belief from being extinguished, for example, the protests against the injustice of the social order. Thus, to constantly fuel the flame of belief is the purpose of his actions. If one wants to evaluate these actions in the light of their success, they totally irrational, but these actions can only have, and should only have, "exemplary value(2)."
    Politics as Vocation/Max Weber
    ここに決定的な問題点がある。まずわれわれが銘記しなければならないのは、倫理的に方向づけられたすべての行為は、根本的に異なった二つの調停しがたく対立した準則の下に立ちうるということ、すなわち「心情倫理的」に方向づけられている場合と、「責任倫理的」に方向づけられている場合があるということである。心情倫理(Gesinnungsethik)は無責任で、責任倫理(Verantwortungsethik)は心情を欠くという意味ではない。もちろんそんなことを言っているのではない。しかし人が心情倫理の準則の下で行為する―宗教的に言えば「キリスト者は正しきをおこない、結果を神に委ねる」―か、それとも、人は(予見しうる)結果の責任を負うべきだとする責任論理の準則に従って行為するかは、底知れぬほど深い対立である。確信をもった心情倫理的なサンディカリストに向かって、君の行為の結果は反動のチャンスを増し、君の階級に対する圧迫を強め、階級の上昇を妨げるであろうと、どれほど噛んでふくめた説明をしてみても、彼には何の感銘も与えないであろう。サンディカリストは、純粋な心情(1)から発した行為の結果が悪ければ、その責任は行為者にではなく、世間の方に、他人の愚かさや―こういう人間を創った神の意志の方にあると考える。責任倫理家はこれに反して、人間の平均的な欠陥のあれこれを計算に入れる。つまり彼には、フィヒテがいみじくも語ったように、人間の善性と完全性を前提してかかる権利はなく、自分の行為の結果が前もって予見できた以上、その責任を他人に転嫁することはできないと考える。これこれの結果はたしかに自分の行為の責任だと、責任倫理家なら言うであろう。心情倫理家は、純粋な心情の炎、たとえば社会秩序の不正に対する抗議の炎を絶やさないようにすることにだけ「責任」を感じる。心情の炎を絶えず新しく燃え上がらせること、これが彼の行為―起こりうる結果から判断すればまったく非合理な行為―の目的である。行為には心情の証(エクゼンプラーリッシュ)(2)という価値しかなく、またそうであるべきなのである。
    「職業としての政治」マックス・ウェーバー(岩波文庫)
    筆者が引用した部分らしいところを発見した、下は岩波文庫版、上は、web上で発見した、英訳版、もちろん、ドイツ語の原文、講演の速記録の起こしなのだろうから、それ自体に複数の版本があるのかもしれない、をそれぞれ、日本語、英語に訳したのだから、異同があっても不思議ではなかろう。また、記事の中で引用されているものと、英文版との間にも、用語法の違いが見えるから、これも別のテキストを参照したのか、あるいは、失礼だが、筆者がテキストに当たらずに記憶で書いたか、によるのかもしれない。
    「ethic of moral convictions」と「ethics of responsibility」との対立、が描かれているのだが、岩波文庫版では、前者に「心情」という用語が当てられているので、少しわかりにくい気がしたが、「道徳的な確信」に基づいて選択された行為なら、その結果如何にか・か・わ・ら・ず・、正当化される、というニュアンスなのだろう、これに対して後者は、たとえ「道徳的な確信」に基づいて選択された行為であっても、そこから生じた結果が、「悪」であるときには、そして、そのような結果が生じ得ることを「予見」できたのであれば、行為者は、その「悪」の結果についても責任を負わねばならない、・・・、歴史的な事件においても、また、私たちのささやかな経験においても、思い当たるところの多々ある、したがって、やや胸が痛む議論ではあるが、・・・、若干細かいことを言うと、同じく「心情」と訳されている言葉のうち、(1)は、ここで例示されたサンディカリストの行為が、「純粋にイデオロギー的な確信に基づく」と言っている場面、(2)は、訳者もドイツ語のカタカナ読みをルビに振っていることからも、誤解される懸念を憂慮されていたことが窺われるが、「exemplary」という単語は、模範的、規範的、という意味の様である。
  • 自由の名において支配を正当化するなら、自由の中には、守られるべきものと、そうでないものがある、ということを確認することになるではないか・・・シャルリ・エブドの漫画を再掲載することは、言論の自由とは何の関係もない/アスマ・バルラス2020年9月11日アル・ジャジーラ




「ゴーヤー」、鰐の表皮をもったウリ科の果実、子供時代は「天罰」にも思われたその苦味、輪切りにしてマスタード・オイルでかりかりになるまで揚げたのが、今では切なく懐かしい・・・インドから日本へ、苦瓜と故郷の味/プリヤンカ・ボルプジャリ2020年8月31日アル・ジャジーラ

アッサム州とその周辺地図

アッサム州詳細図

ガンジス―ブラーマプートラ―メグナ水系、流域図

ムンバイ→コルカタ→グワハチ→ナガオン→ジョルハート、ムンバイ→デュバイ、直線距離(地表面上の弧長)計算表

  • 確かに、ムンバイ→コルカタ1651.14km、ムンバイ→コルカタ→グワハチ2173.78km、に対して、ムンバイ→デュバイ1930.76km、グワハチまで直行便があったとしても、デュバイの方が近いことになる。
    グワハチ→ナガオン→ジョルハート、96.96+157.32=254.28、だから、もちろん、実際の道路の距離はこれより1割2割長いだろうが、8時間のバス旅行というのなら、時速にして、254.28÷8=31.78、そんなものだろう。
  • アッサムの言語構成は、
    Assamese(46.81%)、インド―ヨーロッパ語族Indo-Europeanインド―イラン語派Indo-Iranian
    Bengali(28.15%)、インド―ヨーロッパ語族Indo-Europeanインド―イラン語派Indo-Iranian
    Bodo(4.51%)、シノ―チベタン語族Sino-Tibetan
    Hindi(3.21%)、インド―ヨーロッパ語族Indo-Europeanインド―イラン語派Indo-Iranian
  • アッサムの宗教構成は、
    Hinduism (61.47%)
    Islam (34.22%)
    Christianity (3.74%)
    Buddhism (0.18%)
    Jainism (0.08%)
    Sikhism (0.07%)
  • Diwali、ヒンズー教の暦は、アジアの「旧暦」やユダヤ暦と同じく、春(太陽暦上の「春分」)に一年が始まる太陰太陽暦のようで、約3年に一度閏月を挿入する調整システムも、同様らしい。「ディワリ」は、グレゴリオ暦上の10月ないし11月に当たる「Kartika」月の間の祭日。

我的「Goya Love」
元「教え子」の高校生が、「内地」の大学に進学して、夏休みに戻ってきたりすると、「ああ、今は、そこら辺のスーパーでも普通に売ってますよ」と教えてくれたりする。私が「内地」を離れた(笑)のは、20年前、「ちゅらさん」ブームで、沖縄食材が、初めて注目を集めるようになる直前のことだから、それは不思議な気がしたものだ。「でも、あの『ゴーヤ』って書き方、ちょっと『イラッ』としますね、あれ、どう考えても『ゴーヤー』じゃないですか?」、と憤懣やるかたない風に語っていたな。当地の言語習慣として、語尾の、いや、語尾のみならず、ほとんどすべての母音を、長く伸ばして発音するようで、例えば、先ごろ亡くなった、うちの飼い犬の「はな」ちゃんも、動物病院の「うちなーんちゅ」の看護師さんにかかると、「はーなー」になってしまうのを、こちらはこちらで、「ちょっと『イラッ』」としていたものだが(笑)、この頃では、すっかり「適応」したのであろう(笑)、確かに、あれは、「ゴーヤ」ではなく「ゴーヤー」だと思う。この筆者が描いている食べ方、1cm幅の輪切りにして、マスタード・オイルで揚げる、に、思わず、膝を打ち、感激したのだ(笑)。当地の著名な、「チャンプルー」なる料理、それこそ、ここに描かれている「カリー」と同じく、何も特定の「レシピ」をもった料理の名前ではないのだろう、一説には「長崎ちゃんぽん」と同根の語だとも言われるが、有り合わせの食材を、一緒くたにして炒めた、という由来ではないかと思う、今日、当地で食されている「チャンプルー」は、食堂で出されるものでも、「友達」がいないからよく知らないけれども(笑)、ご家庭で食べられるものでも、各種野菜を、ポークの缶詰、または、シーチキン、とともに炒める、のが定番となっているようなのだが、それは、想像だが、占領時代以来の文化、なのではないかと思っている、これらの缶詰は、どちらも、一時代の沖縄住民がそれによって命をつないだはずの、米軍「レイション(配給品)」の品目なのだからね、では、それ以前、「チャンプルー」はどのようにして食べられていたのだろう?古波蔵保好という、沖縄出身でもっぱら東京で活躍したエッセイスト、料理評論家の書物などを読めば、戦前の沖縄の家庭には、どこにも、豚の脂身から採った油が壺に保存されていて、それが、ほとんどあらゆる料理の、味付けとなった、といったことが書かれているから、あるいは、そういうものだったかもしれない、ただ、この人にしても、あるいは、伊波普猷なんかにしても、幼少期の生活を記録にとどめることの出来た人びとは、首里王朝の貴族の家柄だった、裕福な人びとが、当然、大半を占めるわけで、徳田球一や瀬長亀次郎でさえ、そうだ、では、「庶民」はどうだったのか?薩摩藩―首里王朝、引き続き明治政府、の苛斂誅求の下で、米は、現在この島はほとんど稲作をやめてしまっているが、当時多少生産していたとしても、ほぼすべてが、租税として収奪されていたのだろうな、主食は、芋でした、という述懐を、読むことが多い、野国総管という役人が、中国の福建から、サツマイモの栽培法を学んでこの島に持ち込んだ、その人の顕彰碑が、嘉手納町にあるけれども、荒れ地でも比較的容易に生育するこの救荒作物が、多くの住民の命を救ったこと、それほど人々が飢えていたのだ、ということが偲ばれる、そんな訳で、いつの頃からか「ベジタリアン」になってしまった私は、ポーク缶やシーチキンを購入することはないので、シーチキンの缶など、思わずふたを開ければ、うちの猫たちが「暴動」を起こしかねない、自分なりに考案したつもりの、「ゴーヤ―」の調理法が、それは、当地のころもの厚い「てんぷら」はたいそう美味であるが、独居老人には、小麦粉の大袋を買っても使い切れないので、ころもなしで揚げてはどうか?と考えたのがきっかけだが、私の場合は、こればかりは贅沢であるが(笑)、エクストラ・バージン・オリーブオイルを用いて、これを、熱したフライパンに薄く敷き、炒め・揚げるのである、そう、かりかりになるまで!「うつ病」再発した十年前、正直に雇い主に告白すると、就業時間が著しく短くなったのはありがたかったが(笑)、ちゃんとそれに比例して貧乏にもなったから、毎日、手作りの「弁当」を作ったものだ。「うつ病」患者は、新しいこと、イノベーション、とかが、心的に負担になるから苦手で、だから毎日同じことをする、「お弁当」のメニューも、毎日同じで(笑)、それが、切り干し大根の炊き込みご飯に、この「ゴーヤー」の揚げ物を載せる、「ゴーヤ―」を、炒め・揚げた後、余った油を吸い取ってもらうために、「島豆腐」をスライスしたものもまた、炒め・揚げ、それも載せる、まことに、油によって出た、ほどよい、粘りが、米と相性がいい、との、この記述と、そっくり同じことを経験していたから、感激した。インディカ種の長粒種の米で炊いた、ピラフ風、これも「まがい物」料理、いわば料理の「クレオール化」、の一つだな、のものだと、なお、よいかもしれない。沖縄の野菜は、ニンジン、ピーマンなど、こちらが心配になるほど安い値段で手に入ったものが、7月中頃、マンゴー出荷の季節と時を同じくして、一斉に姿を消す、農協スーパーなどの売り場が、マンゴーだらけになってしまう、かろうじて、手に入るのが、ゴーヤーとオクラ、今年は、収穫期に台風の直撃がなかったからか、どちらもとても安かったし、「内地」での大雨の影響で、空輸されてくる野菜は、著しく高価だったから、一時期、ゴーヤーばかり食べることになった、もちろん、賞味期限間近値引き品ばかりであるが(笑)、一週間あたりまえから、今度は、「旧盆準備」と銘打って、スーパーの野菜売り場は、「お供え物」の輸入果物類に占領されて、また、品薄になる。今年は、もう、ほぼ、ゴーヤーも終りであろうか?記事を読んで、熱烈に(笑)、食べたくなったのだが、ああ、来年は、生きているだろうか(笑)?


翌日、また次の台風が近づいているようだけど、晴れたし、猫と私の食糧買い出し、そんなに安くなかったけれど、多分、今年最後になるだろう、ゴーヤー、そう、鰐の皮膚をもったウリ科の果実(笑)。
(注)好い加減な憶測で書いてしまったかもしれない、と不安になったので(笑)、取り急ぎwikipediaに当たってみたが、はっきりしない。著作の自伝的な部分を読んだおぼろげな記憶で、徳田球一の「家柄」は、薩摩藩士族、つまり「占領者」の役人、だったぐらいしか思い出せない、伊波普猷も、瀬長亀次郎も、高等教育を受けるくらいだったから、どうせお金持ちだったんでしょ?、みたいな、雑な断定だったかも知れないことを恥じなければならないが、当然ではあるが、その時代に、「文字」によって自らを書き残すことの出来た彼らはいずれも「エリート層」だったのだ、と、やはり雑な一括りで、ご容赦いただくことにしよう。



子供心に(笑)、そんな訳ないだろ?とあまり納得いかなかった筈なのに、・・・。
もう、眠くて眠くてしょうがないのに、また、あの、なんか「縦長」の、が、四角い箱捧げてうろうろしてるから、気になって仕方がないじゃないか?右側二人はきょうだいだが、一番左は、「無関係」、たまたま色、デザインが同じだと「気が合う」とでも言うように(笑)、仲がよい。猫が、隣にいる猫を、「猫だ」、もちろん言葉は異なるだろうが(笑)、と、どういう判断基準の「枠組み」、そう、ゲシュタルト、というやつね(笑)、で理解しているのか?不思議でならないね。同じ「茶とら」だから、などと言う、私たち人間から見た「外見」なんかには、全然左右されていないことは確かだろう、三毛がトラを見て、白黒が茶とらを見て、仲良くなるにせよ警戒して威嚇するにせよ、それを一瞬にうちに、躊躇なく、「同類だ」と見て対処しているのは、疑いがないと思う。私たちも、「人間」という「同類」を、もろもろの「先入見」を取り除けば、そんな風に見ているんだろうか?昔、木のまわりを、二匹の、いや、もっとたくさんだったかもしれない、虎が、お互いを追っかけまわしたあげく、あまりにも目まぐるしい動きだったために、融合してしまい、バターになってしまった、という童話があった、子供心に(笑)、そんな訳ないだろ?とあまり納得いかなかった筈なのに、それに、あのとらさんたち、何処へ行ったの?と、心配(笑)だった筈なのに、その絵本のページの絵柄だけは、おぼろげではあるが覚えており、そうして、今、こいつらが、あまりにも身をぴったり寄せ合ってまどろんで、しかも、どいつもこいつも(笑)、同じような色合いなもんだから、思わず「茶とらバターになってしまうぞ」などと、思い出してしまった。その絵本は、アフリカ人の子供と想定されるものが、主人公で、その名に、ヨーロッパ植民者が「黒人」に対して伝統的に侮蔑的な文脈で用いてきた呼び名を、採用していることから、議論が起こった。その童話を擁護する一群の人びとが、その「政治的」な支持者とともに、「子供たちの夢を奪わないで」風なことを言い始めたのを、いや、そんなの、虎がまじりあってバターになる、なんて、「夢」、見たことございません、と、心の中で反駁していたのは、もう、こちらが「子供」ではない頃だった(笑)。だいたい、トラ、アフリカに住んでないし(笑)。


海の彼方にあると目されるその国から、おそらく「大潮」干潮の干瀬を伝って、やって来る、・・・。


ヒヨドリ(ヒヨドリ科)、おや、頭の毛、いや、羽、生え代わるところなのかな?、どこかで見たことがある(笑)、と思ったら、ああ、「お茶の水博士」、ね。





遠目に見ても、動きが「ぎごちなく」思えたんだ、やっぱり、「くちばしの黄色い奴」、シロガシラ(ヒヨドリ科)が、歌っていると、つ・ら・れ・て・、電線に登ってきた、ヒヨドリ(ヒヨドリ科)・幼鳥

旧暦七月十日の月、南中二時間前

旧暦七月十日の月、南中二時間後、この月が、まもなく「満月」になれば、「旧盆」、なのだ。ちなみに、自作のカレンダー、今年から、「春分からの日数」を入れてみたんだが、今年は、旧暦七月十三日が、ちょうど「二百十日」に当たるらしい、「中稲(なかて)」、これはその名の通り「早稲(わせ)」、「晩稲(おくて)」の中間に実る稲の品種だそうで、その開花時期に当たるが、台風到来が多いので、農家では、それを恐れて忌避するようになった、との由来、おりしも、9号、Maysak、発達しつつ、こちらに向かって接近中、とのこと、「旧盆」期間中、これは十三夜から、十五夜迄のようである、には、海の彼方にあると目される「ニライカナイ」、「後生(ぐそう)」、死者たちの国から、おそらく大潮干潮の干瀬を伝って、大挙、「この世」に戻ってくるから、「連れて行かれてはかなわない」、とも言われるが、というより、この期間、海岸は、いわば死者「専用」として、「聖別」される、ということなのだろうか、と思うが、海に近寄るべきではない、とされているから、それを遵守するとすると、年季の入った「移住者」、としては、「ものを知らない」観光客(笑)、と思われるのが嫌だからね、その大潮になる前に、一度潜っておこうと考えていた矢先、おや、台風到来、予定を若干繰り上げて、すると、干潮は、昼前になるのだが、無理をして二日も続けて(笑)、出掛けた、という訳だ。



キアシシギ、ヒバリシギ、アオアシシギ(シギ科)

ヒバリシギ、キョウジョシギ、タカブシギ(シギ科)



アオアシシギ(シギ科)、その、一日目、出発に手間取ったから、海から上がって別の海岸に回って、そうこうしていると、ほぼ、夕方の満潮時になってしまうが、それはそれで、乾いた陸の部分が狭くなってしまうから、向こうにとっては、あるいは居心地がよくないのかもしれないが(笑)、こちらとしては、ほら、ご覧の如く、たくさんの異種たちが、ひしめき合っている様を、近い距離から、一葉の写真に収められる、という利点があるのだ。海岸の防風林の中だとかなのだろうか、群れを成して飛び去って行くのを目撃したこともあるから、「仕事」のない満潮の間は、そんなところで休息している筈なのだが、こうして、海辺で、あるいはまどろみつつ、足を折りたたんで「座り」込んだりしつつ、時間をやり過ごしている者たちもいるのだ。いつものことながら、種の同定は、いい加減(笑)である、千鳥よりも小さい鴫の中から、羽の模様の感じから、多分、ヒバリシギだろう、おや、こちらのはキアシシギで、足が黄色いのは似ているが、少し小さめで、翼の模様が複雑、ならば、タカブシギに違いない、などという、事情、「たかぶ」は「鷹斑」だからね、キョウジョシギ、アオアシシギ、キアシシギ、は、間違いない、と思う(笑)。

旧暦七月十一日の月、月の出二時間後

「南国」の(笑)、月

旧暦七月十一日の月、月の出三時間後

ツノダシ(ツノダシ科)

ヨメヒメジ(ヒメジ科)



キヘリモンガラ(モンガラカワハギ科)・幼魚



クロコショウダイ(イサキ科)、追伸、ずっと後日、図鑑をパラパラめくっていて、おや?こいつが似ている、ということで、クロコショウダイ(イサキ科)、改め(笑)、イシガキダイ(イシダイ科)

ヒレナガハギ(ニザダイ科)、タレクチベラ(ベラ科)

コクテンサザナミハギ(ニザダイ科)、オキフエダイ(フエダイ科)、タレクチベラ(ベラ科)

カザリキュウセン(ベラ科)、デバスズメダイ(スズメダイ科)

ツマジロモンガラ(モンガラカワハギ科)

アカオビベラ(ベラ科)

オキフエダイ(フエダイ科)

ミツボシキュウセン(ベラ科)

ロクセンスズメダイ(スズメダイ科)

ミスジチョウチョウウオ(チョウチョウウオ科)、ミスジリュウキュウスズメダイ(スズメダイ科)

ミスジリュウキュウスズメダイ(スズメダイ科)、スズメダイ科の一種・幼魚

オジサン(ヒメジ科)、ミツボシキュウセン(ベラ科)

カイワリ(アジ科)

イソヒヨドリ(ツグミ科)・オス

キジバト(ハト科)

旧暦七月十二日の月、月の出一時間後

旧暦七月十二日の月、南中時













まるで「地中海」、みたいな、いや、行ったことないけど、・・・。
一日に一度くらい、なんだか、「縦長」の、でっかいのが、扉を開けて出てくる。物騒だから、もちろん、こちらは逃げるんだけど、どうも、そいつはすぐにまた引っ込んでしまうらしく、あとになって戻ってみると、すると、いつも、お皿にご馳走が盛られている、ことになっているようなんだな、だから、近頃では、「逃げる」と言っても、もっぱら形式的、儀礼的、「セレモニアル」ってやつだな、、逃げる「振り」、にとどめておいて、階段の途中とか、扉の陰、とか、安全なところから、「様子を見る」、ことにしたんだ。ほら、やっぱり、缶詰の缶と、スプーンと、お皿の触れ合うかそけき音(注1)、あれが、「ご馳走」の音なんだな、だんだん、わかってきた。こっちとしては、用事が済んだら、その「縦長」には、さっさと消えて欲しいわけなんだが、おや?なんだか、数歩引き下がったものの、まだ引っ込まない、なんだか、四角い箱みたいなのをこっちに向けて、にやにやしている、仕方ないから、まだ、お皿には近づけないから、相手の速力とこちらのそれとを見計らって、「安全」な距離、ディスタンス、というものがあるからね、じゃあ、ここで、そいつが引っ込んでくれるのを、「待つ」態勢に入ることにしよう、実のところ、もう、こいつ、そんなに「恐く」はないんだ、でも、念のため、ってやつね、だから、このコンクリートのところで、「懐手」、リラックスしながらね。
・・・
この、古い賃貸集合住宅は、元は、個人の二階建て住居として建設されたものらしく、コンクリートの上に、漆喰(注2)が、施されてあるのかな、表面に凹凸のある白壁が、年代を経て、なかなか、「いい味わい」を出しているじゃないか?、と、写真を眺めて見ると、そう思えてきた、「南国」の強い陽光には、やはり「白」が映えるのである、そう、まるで「地中海」みたいな、いや、行ったことないけど、と言ってみて、気になったから調べたけど(笑)、緯度から見たら、ここに比べて、「地中海」って、ちっとも「南国」じゃないじゃないか?「地中海」が「南国」にな・っ・た・のは、北ヨーロッパに発祥した「資本主義」が、世界の覇権をとったからだろう(笑)?「北」に対する「南」が、「右」に対する「左」のように、「白」に対する「黒」のように、「西」に対する「東」のように、「優/劣」の階層性を含意するようになったのも、そのときからのことに違いない。
那覇、北緯26.2
アテネAthens、北緯38.0
アルジェAlgiers、北緯36.8
ダマスカスDamascus、北緯33.5
(注1)幽けし(かそけし)、光などが消えてしまいそうなさま。
(注2)漆喰(しっくい)、消石灰(水酸化カルシウム)Ca(OH)2、を主成分とした建築材料、旧約聖書のバベルの塔の記述に、「しっくいの代わりにアスファルトを得た」とある、ああ、だから前も調べたんだ、何度も忘れる(笑)、だから、洋の東西を問わず、古代から用いられている、「漆喰」は、「石灰」の転訛ではないかと言われているそうな、「石灰」は、まず、生石灰、酸化カルシウムCaO、これに水を加えると、ただちに反応して、いや、見たことないが(笑)、消石灰、水酸化カルシウムとなる、というか、これは強塩基なので、水溶液中ではほぼ100パーセント電離した形で存在している、
CaO+H2O→Ca2++2OH-
それを乾燥させれば、Ca(OH)2の結晶が得られるのだろう、これも、見たことないが(笑)、これが、建築材料として優れているのは、空気中に存在する二酸化炭素を、容易に吸収して、
Ca(OH)2+CO2→CaCO3
右辺は、炭酸カルシウム、これがいわゆる「石灰」、石灰岩であるが、「岩」になるくらいだから、当然、固い結晶で、施工してから時間が経つごとに、固くなっていくから、なのであると言われる。
海中のサンゴという動物は、海水中に溶解した二酸化炭素と、カルシウムイオンを原料に、石灰岩の「住居」を作る、
Ca2++CO32-→CaCO3
これが、サンゴ礁であって、それが、隆起沈降を繰り返し、地層の中に固く押し込められたのが、石灰岩、当地の地盤を構成するのは、もっぱらそんなサンゴ由来石灰岩なのであるから、海の青と、白い壁、に親和性があるのも、あながち故なしとしないわけだな。
炭酸カルシウムCaCO3は、不溶性だが、炭酸水素カルシウムCa(HCO3)2には、水溶性がある、まわりの環境、つまり水中の二酸化炭素分圧の多寡、によって、次の平衡が左右に移動し、こうして、石灰岩が、溶けてはまた固まる、ということを繰り返し、あの「鍾乳洞」の、奇怪な景観を現出するのである。
CaCO3+H2O+CO2←→Ca2++2HCO3-


鉢割れ白黒、階段の途中まで、「逃げた」振りをして、ほら、こちらの様子をうかがっている。ご馳走が出てくるかもしれないからね。

渦巻き茶とら、と言えば、ほとんど「逃げ」もせず、扉の影の「安全」な場所から、偵察しているのだ。

左、渦巻き茶とら、と、右、鉢割れ白黒、その、縦長の巨大な生き物が、ご馳走を置いたらさっさと引っ込めばよいものを、なんだか四角い箱をこちらに向けてぐずぐずしているものだから、仕方がない、懐手をして、ゆっくり、待つ、ことにしたのだ。


台風Maysakは、「旧盆」の直前、「十二夜」の日まで、気楽に泳いでいたんだから(笑)、多分その翌日から、ちょうど「盆」に重なるように、これは、沖縄本島と宮古島の真ん中あたりを、南島から北西に向かって通過、そののち、久米島の西方100kmあたりに来て、針路を北に変え、進んだ、「盆」の間は、海には近寄らないのが、土地の約束、「ニライカナイ」からの客人たち、つまり「死者」達、のために、海岸は、専用の出入り口として、とっておかれなければならないのだろう、だから、盆明け、の、「十六夜」、台風一過の快晴となったから、また、海に行ったのである、これは、もう、「反復強迫」という、「病状」(笑)、だと思ってよろしい、見ておかなければ、気が済まない、心配で心配で、何も手に着かない、いや、そうでなくても(笑)、何も手に着かない、のが「うつ病」なのだが(笑)、モンツキハギ(ニザダイ科)の、見る見るうちの変色、の様、とか、今季初めてのクマノミ類、ハマクマノミ(スズメダイ科)とタマイタダキイソギンチャク(ハタゴイソギンチャク科)、とかが、このときのもの、すでに次の台風、Haishenが接近していて、帰る頃には、心なしか、リーフの外側の波が高くなり始めているように見えた。Maysakも中心気圧930hPと、相当強力であったが、Haishenは、最盛期910hPのスーパータイフーンとなるであろうと言われ、屋上の給水塔が壊れたらどうしよう、それは、修理してもらえばいいんだが、不動産管理会社に電話で連絡したり、直しに来てくれる人が、この汚い猫屋敷、ゴミ屋敷(笑)を見て、卒倒されるのでは、という「心配」に過ぎないのだが、それより気がかりなのは、ベランダの通い子猫二匹、ちゃんと隠れ場所を見つけられるだろうか?、・・・、結局、大東島地方には、甚大な被害をもたらしたようだから、「よかった」などと胸を撫で下ろすのは、無礼なのだが、この台風は、南大東島に、南東から接近、その西側、東経130度の経線に沿ってほぼ真北に進む結果となった、中心気圧も、920hPにとどまった。以前から、「経験」的に、感じていたことではあるが、台風は、その進路の、西側と東側で、天候の荒れ方がずいぶん、異なる。図を見ていただくと、誰も見ていないけど(笑)、予備的な説明として、緯線の間隔は、地球の半径Rとして、πR/180で計算でき、約110km、補助目盛として5等分、12分間隔にしてあるが、これが、22kmということになるが、経線の方は、球体を、平面に投影しているのだからひずみが生じ、その間隔は、これに、緯度θとして、cosθを乗じなければならない、那覇市あたりでは、100km弱、補助目盛一つが、20km弱、と見ることになろう、だから、Maysakは、当地那覇から見ると、「西側」100kmあたりを南から北へ通過、Haishenは、「東側」300kmあたりを、やはり南から北へ通過、ということになるのだが、もちろん距離は異なるものの、台風の勢力を加味しても、雨風ともに、前者の方が、よほど、激しかった。こっそり、「チャート式地学」を繙き(笑)、カンニングしてみると、
1.低気圧では、まわりより空気が希薄な場所なのであるから当然、外から中心に向かって、風が吹き込む、
2.ところが、地球の自転の影響で、その風向は、北半球では、等圧線に対する法線方向より、進行方向右向きに曲げられ、反時計回りの渦状になる、
3.台風の西側では、南に向かう風の速度成分に対して、北に向かう台風自体の進行速度は、マイナスとして加算されるのに対し、
4.東側では、北向きの速度成分に、台風の進行速度がそのまま加算されるので、より、風が強くなる、
なるほど、そこまでは、わかった、以前にも、物凄く勉強のできる生徒さんに質問されて、慌てて、付け焼刃(笑)、しどろもどろの説明を試みたことがあったので、少しは学び直した記憶があるが、また忘れてしまった、教養課程「力学」の教科書の埃を叩いて、「回転座標系における運動方程式」に現れる、見かけ上の「外力」項として、「遠心力」及び「コリオリ力」、それが、この渦を形成する速度成分のもとになるはずだから、根気のありそうなときに(笑)、また、数式を並べてみることにしよう、よかったじゃないか(笑)?、「宿題」ができたのだから。


同一の点Oを原点とする2つの座標系S,S'があり、S'系はOを通る定軸の回りを角速度ωで、S系に対して相対的に回転している、
下図左側のように、S'系に対して相対的に静止しているベクトルBの時間変化率
ここでは、中心角が小さければ、扇型の「弦」の長さを、「弧」の長さで近似してもよい、ことが用いられる。微小時間Δtの間の、Bの変化を表わすベクトルの、「長さ」が、ωBsinθΔtであって、かつ、角速度ベクトルω、「右ねじの法則」から、その「向き」が決まる、を、Bに重なるように回転させたとき、これまた「右ねじの法則」で決まる方向を、向いていることから、これは、「外積」の定義に基づき、ω×BΔt、と書けることがわかった。
次に、下図右側のように、これを一般のベクトルAに拡張したい、時刻tのその位置、点Pに固定された観測者から見たものを、ダッシュ「'」を付して表すと、(1)式のように、P点から見た時間的変化は、S系から見た時間的変化に加えて-ω×Aなる項が現れることがわかる。この式にωを代入すれば、その時間微分は、両系で変わらないことがわかるから、これを現すのに新たに、頭にドットをのっけた記法を定義しておく、これが(2)、
続いて、(1)の両辺をtで微分、ここに(1)で得られた関係をもちこむと、(3)式が得られる。
(4)は、S系における運動方程式、(3)を用いることによって、S'系における運動方程式(5)が得られる、右辺に、外力F以外に、3つの項が登場する。
これを、自転している地球表面上の問題に適用し、そこでの運動方程式の一般形を得たい、一定の各速度で回転している系であるから、ωの時間変化率は、ゼロベクトルであるから、(5)の右辺に現れた3つの項のうち、最後のものは無視できる、こうして得られたのが(7)式であるが、右辺に、外力F以外に現れた2つの項のうち、前者が、「見かけの重力」項、後者が、「コリオリ力」の項、と呼ばれる。


「見かけの重力」に現れる、「-ω×(ω×r)」、が、固定座標系、つまり地球の外のどこか絶対に動かない場所(笑)、の観測者から見た「向心力」、地球とともに開店する座標系、つまり、地表面上の観測者から見た「遠心力」、ここでは、「マイナス」を付して、右辺の「外力」項に一括しているのだから、後者の表現がふさわしい、に外ならないことを、以下で確認している、確かに、その「大きさ」は、(Rcosθ)vωv=rω
、であるから、ω2Rcosθ、であり、次に「向き」についてみると、下の図を見られたい、左が「北半球」、右が「南半球」であるが、
1.ωrに重なるように右ねじ回転すれば、いずれも、x軸の負の方向、つまり「東」を向く、
2.さらに、ωが、このx軸の負の方向を向いたベクトル(ω×r)に重なるように右ねじ回転すれば、今度は、y軸の負の方向、を向くことになろう、これが、ω×(ω×r)、の「向き」なのである、
3.そこに「マイナス」がついているから、これは、y軸の正の方向、なるほど、「遠心力」、である、

左図のように、北半球では、重力mg、遠心力「-ω×(ω×r)」、と釣り合うように、垂直抗力Nを描いてみると、そのベクトルの根元は、地球中心より少し「南極」寄り、を指すことになり、右図のように、南半球では、今度は、少し「北極」寄り、を指すことになる、

そして、「コリオリ力」、d'r/dt、は、地球表面に固定された座標系から見た、rの時間による微分、つまり、移動「速度」である、
左図のように、北緯θの地点で、北向きに速さvで進行する質点には、ωvに重ねるべく右ねじ回転すれば、x軸負の方向、これに「マイナス」がついているのだから、x軸正の方向、の力を受ける、これは、進行方向「右向き」の力になる、のに対して、
右図のように、南緯θの地点で、南向きに速さvで進行する質点には、同じくx軸正の方向、の力を受けるが、今度は、これは、進行方向「左向き」、となるのである、

こうして、「気圧傾度力」によって低気圧の中心に吹き込む風には、
1.北半球では進行方向「右向き」の力がかかるので、反時計回りの渦巻きを描き、
2.南半球では進行方向「左向き」の力がかかるので、時計回りの渦巻きを描く、
ほら(笑)、説明できた!「宿題」、終わり。


よかったじゃないか(笑)?、「宿題」ができたのだから。


ブダイ科の一種、ホウライヒメジ(ヒメジ科)

カンモンハタ(ハタ科)

ニセカンランハギ、モンツキハギ(ニザダイ科)

コクテンサザナミハギ、モンツキハギ(ニザダイ科)

ハマクマノミ(スズメダイ科)、タマイタダキイソギンチャク(ハタゴイソギンチャク科)



ニザダイ科の一種

マトフエフキ(フエフキダイ科)

オヤビッチャ(スズメダイ科)、ミツボシキュウセン(ベラ科)

旧暦七月十六日の月、「十六夜(いざよい)」、月の出4時間後

旧暦七月十六日の月、「十六夜(いざよい)」、南中2時間後


思わず、懐かしく(笑)、「お帰りなさい」、などと声を掛けたくもなるが、・・・。


旧暦七月十七日の月、「立待」、月の出一時間後、Maysakが来ていたから、「十三夜」から「十五夜」は見えなかった訳だ、その次のHaishenが、近づいてきている筈なのに、まだ空は晴れている。

旧暦七月十九日の月、「臥待」、南中一時間半後、そして、Haishenが去った翌日

旧暦七月十九日の月、「臥待」、月の入一時間半前、の、「有明」

ミナミダテハゼ(ハゼ科)、モンツキテッポウエビ(テッポウエビ科)

アケボノチョウチョウウオ(チョウチョウウオ科)、と、その、カワハギ科の一種とおぼしきもの

アケボノチョウチョウウオ(チョウチョウウオ科)



カワハギ科の一種、だと思ったのだが、二冊ある図鑑を繰ってみたり、webに問い合わせてみたりしたが、似たものが見つからない、台風のあとだから、巻き上げられた砂が沈降する際に諸々の細粒を吸着するので、透明度は高くなる、と期待して出かけたのだが(笑)、そうでもなかった

またお会いしましたね、どうして今まで気づかなかったんだろう?キヘリモンガラ(モンガラカワハギ科)・幼魚、とおぼしきもの

マトフエフキ(フエフキダイ科)

クロサギ(サギ科)・白色型

クロサギ(サギ科)・白色型
カメラを構えて座っているこの海岸が、海抜1mとしよう、次の理屈から、そこから望む水平線までの距離は、
hRに比べて十分小さければ、
r=√2hR=√2×0.001×6400=80√0.002=0.8√20=1.6√5≒1.6×2.24=3.584
なるほど、3.6km先、白い波頭が立っているのが、リーフエッジ、航空写真で見ると、岸からおよそ500m先と思われる、そこから更に3kmが、見・え・て・い・る・、のである。

地球は厳密にいえば球ではなく楕円体なのだそうで、どこで測るかにより半径も異なるが、平均としては、6371kmとされているとのこと、それを用いて、厳密に計算すれば、このようになる、グラフの方は、もっと昔に作ったから、R=6400で計算している、しかも、近似を入れてないかもしれない、何のために作ったかと言うと(笑)、池上永一「テンペスト」に、真鶴が、石垣島に幽閉され、於茂登岳の頂上なら、懐かしい首里が望めるかと思い、夜を徹して駆け登る、しかし、どこまでも、島影ひとつない海が広がるばかりだった、という一節があり、では、
1.於茂登岳、標高525.5m、の頂上から、望みうる水平線は、何キロ先か?
2.これに対して、石垣市―那覇市の直線距離、経線間隔をどう処理したかは忘れたが、まあ、概ね正しいだろう、405.93km、が見渡せるには、どのくらいの高さにのぼる必要があるのか?
答えは、1.約80km、2.約13km、
飛行機というものが、どのくらいの高度で飛ぶものかよく知らない、もう、20年ばかり、乗ったことがないし(笑)、これからもないから、「当機は現在高度○○フィートで巡航中」などと言う機内アナウンスを聞くこともない、はっきりしないが、6000ft~8000ftあたりであるらしく、「フット、フィート」は元来人の足、ああ、靴のサイズね、これも、もう靴というものを買わなくなって何年にもなるが(笑)、2年に一度くらい買い替える(笑)「島草履」は、最大の、28cmのをいつも買うな、1フィート(フット)は、約30cm、正確には、0.3048m、だそうで、ならば、7000ftは、約2100m、そこから見渡すことの出来る地表面は、半径160kmの円、石垣島於茂登岳上空を巡行中の航空機からも、首里を見ることはできないのだ、人工衛星はどうだろう(笑)?、錆びついた頭を無理やり動かして、自分がかつて作った物理の教科書なんかカンニングして、質量mの人工衛星が、質量Mの地球からの万有引力を向心力とする等速円運動の運動方程式を立て、その周期Tが、地球の自転周期と等しくなるようにすれば、例えば、「静止衛星」の軌道半径を算出することができる、そうして、r=42400(km)を得た、wikipediaに掲載されている、「赤道上の高度35,786キロメートルの円軌道」、ということは、
35786+6371=42157
おお、なかなかいい線だ、多分合っているだろう、しかし、今度は高すぎる(笑)ね、この高度では、地球のまるまる半面近くが、見えてしまうだろうね。

「リーフエッジ」とは?「裾礁」の端、今は絶版になってしまったようだが、本川達雄「サンゴ礁の生き物たち」(中公新書)、今手元にないから、うろ覚えで書くが、ダーウィンの、多分、手に入りにくいどれかの書物の中で、最初に提出された理論、とのことだが、海洋上に円錐形に突き出した、一つの小さな島があったとしよう、太陽光が透過できる、したがって光合成が可能な浅い海に、サンゴが造礁する、その上で、地殻が変動、
1.隆起すれば、サンゴ礁は地上に露頭し、サンゴ虫は死滅するから、石灰岩の礁のみが、平らに、残され、その外側に、かつてもっと深かったから、サンゴが生育できなかった海底に造礁される、
2.沈降すれば、太陽光が届かなくなって、やはり造礁はストップ、やはり、平らな石灰岩が残り、今度は、その内側の、新たに海に没した部分に、造礁が起こる、
こうして、長い長い年月の間に、島のまわりには、何層もの、帽子をかぶったような、段々畑のような、地形が形成される、だから、このような海では、海岸からの距離に「比例」して、水深が深くなる、という訳ではなく、いくつもの平らな層が、いくつもの不連続面を介してつながっている、という具合になる、その、一番上の、つまり、一番、「最近」、礁になった層の、突端が、「リーフエッジ」ということになる。
下手な説明をするより(笑)、wikipediaに、ありましたね、ここには、沈降の過程しか書かれていないけど、隆起が起これば、そうやってできたものが露頭し、地上の景観を作る訳でしょう、ここ、沖縄本島南部は、そんな隆起サンゴ礁低島地形の典型だと言われている。

Darwin's theory starts with a volcanic island which becomes extinct
ダーウィンの理論は、まず、活動を休止した火山島があったとする、というところから始まる

As the island and ocean floor subside, coral growth builds a fringing reef, often including a shallow lagoon between the land and the main reef.
その火山島と、海底が沈降するにつれて、サンゴが生育し、裾礁が形成される、陸と、主要な礁との間に、浅い礁池が挟まれることもある

As the subsidence continues, the fringing reef becomes a larger barrier reef further from the shore with a bigger and deeper lagoon inside.
沈降が続くと、裾礁は、より海岸から離れた場所に広がる、もっと巨大な、堡礁、へと生育する、大きく、深い礁池を含むこともある

Ultimately, the island sinks below the sea, and the barrier reef becomes an atoll enclosing an open lagoon.
最終的には、島が海面下に沈み、堡礁、は、海に対して開口部をもつ、礁池を取り囲む、環礁、となる



シロチドリ(チドリ科)

キアシシギ(シギ科)

イソシギ(シギ科)、今季第一号、お尻を激しく上下にゆするので、すぐ判る、この嵐の最中を渡って来られたのであろうか?
アオアシシギとキアシシギ、キョウジョシギと、多分ヒバリシギ、と思われるもの、それに一度だけ、これは移動の途中かもしれないが、チュウシャクシギも見たな、これらがすでに到着していることは知っていた、キアシシギを撮影していたら、それより一回り小さいのが飛び込んできた、その、典型的な尾の動き、イソシギではないか?お尻を振るのは外にもあるが、翼の付け根の白い切れ込み模様、間違いないね、うちの近くの遊水地でも、冬のあいだ、毎日のように見かける、いや、この頃「毎日」は、こちらの方が出掛けないから、わからないけれども(笑)、「常連さん」だから、思わず、懐かしく(笑)、「お帰りなさい」、などと声を掛けたくもなるが、いや、それは、「種」と「個体」、「集合」とその「要素」の混同、という、一つの「イデオロギー」の源泉であることに、気付く(笑)。ちなみに、本日の他の登場人物、クロサギ(サギ科)・白色型及黒色型、シロチドリ(チドリ科)は、いずれも「留鳥」。

シロチドリ(チドリ科)

台風一過の、空

旧暦七月二十日の月「更待」、月の出二時間後

旧暦七月二十日の月「更待」、月の入二時間半前、つまり翌朝の「有明」


したがって、「主」は(笑)、遠慮して、また一層、「引きこもり」となるのだ(笑)。
そんな訳で、Maysakのときほど、Haishenでは、彼らのことを心配しないですんだのだ。邪魔をして、居づらく思われては心外なので(笑)、嵐の間中、ベランダをのぞき込まないようにしていたが、ひょっとしたら、この、小汚い(笑)、ゴミだらけの(笑)、どこかに、格好の、雨宿り、風よけの隠れ場所を見つけていてくれたのかもしれない。台風は低気圧だから、外から内に向かって風が吹く、だから、当地の西側を北上してMaysakが通過したときは、おもに、東から西に向かって、東側を北上した、Haishenのときは、おもに、西から東に、それぞれ強風が吹く、それに伴って、雨も吹き込む、そういうことを、猫たちは、ちゃんと知っている、としか思えない振舞を、これまで、多くの猫たちが、ここで台風を過ごした際に目撃してきた、このベランダは建物の、西側に張り出しているので、東風は建物自体がブロックしてくれるが、西風だと吹き込んだ雨で水浸しになる、翌日、気に入ったのか(笑)、この、ベランダの南面に置かれている、元、犬小屋、したがって、北側以外の三方向の風を遮ることができる、で、こいつらが昼寝をしていたところを見ると、嵐の間も、そこで過ごしてくれたのかも知れぬ。
「定住」は、「農耕」に伴う、やむを得ない「必要悪」なのであるから、彼らに、それを要求するのは当たらない(笑)、それでも、いつでも餌が出ているらしく、昼寝の居心地もいい、とくれば、しばらくは滞在する気になったのかも、台風一過の晴れの一日、ほぼ一日中を、ここで過ごし、したがって、「家」の「主」は(笑)、遠慮して、また「引きこもり」となるのだ。

台風一過のひと時(笑)、渦巻き茶とら君は、シロ、ペペ、はな、という皆故人となってしまったが、彼ら、順に、男、女、女、だが、が、かつて住まわれていた犬小屋を、昼寝場所に選んだらしい

これも、台風一過の昼下がり、同じ犬小屋の屋根で寝ていたのに、私が出て行くと、慌てて、「逃げる」態勢(笑)、をとった、鉢割れ白黒君

「定住」という訳ではなかろうが、当分、ここが気に入って頂けたようで、今日も、昼寝、私が出て行っても、この背後は、猫しか通れない狭いひさしなので、「余裕がある」とでも言いたげに、逃げようともしない、ほらまたそんな、迷惑そうな顔しなくても、ご馳走お出ししに来たんですから





今日はどういう「風の吹き回し」、いや、「潮の吹き回し」とでもいうべきだろう(笑)、・・・。


ミナミダテハゼ(ハゼ科)、モンツキテッポウエビ(テッポウエビ)、半身が穴の中に隠れているのに、どうしてわかるのだ?ほら、隙間から、白い「紋」が覗いてる。

手前、ニセカンランハギ(ニザダイ科)、背後、初めて見るものだが、漠然と、ハタ科ではないか、と思った、シロブチハタ(ハタ科)と言うのが、似ていると思われるが、しばしば体色を変える、と言われるし、ほら、ここでも見る見る白くなったり黒くなったり、だから、よくわからない。

額の左右に並んだ白い斑点が、何か「つり上がった」眼の様で、遠目には「嶮しい」表情に見える(笑)、もちろん、それが「狙い」なんだろう、本・物・の・目は、ご覧のように、なかなか温厚そう(笑)なのである。

ミナミダテハゼ(ハゼ科)、モンツキテッポウエビ(テッポウエビ科)、同じ組み合わせだけれども、これは、別の巣穴、今日は旧暦七月27日当たりの「小潮」、干潮は日没後になるから、それより少し前の夕刻、この時間が、「忙しい」のか、「作業中」の巣穴が、いたるところに発見できたのだ。

ニセカンランハギ(ニザダイ科)、アミアイゴ(アイゴ科)、いつもはすぐにそそくさと(笑)、逃げてしまうように思われるこの、ニセカンランハギ(ニザダイ科)、今日はどういう「風の吹き回し」、いや、「潮の吹き回し」とでもいうべきだろう(笑)、ごく間近で、それこそ「舞い踊り」を見せてくれた、もう、夕刻だから、光量が足りないけどね。




冷房の効きすぎたアーケードの「浦島太郎」、とか、「私の人生に、何一つ関係をもたない『歌』」、とか?


チョウチョウウオ(チョウチョウウオ科)、カスミチョウチョウウオ(チョウチョウウオ科)、ハゲブダイ(ブダイ科)、コクテンフグ(フグ科)

アオアシシギ(シギ科)

キョウジョシギ(シギ科)

ダイシャクシギ(シギ科)

イソシギ(シギ科)

オオシオカラトンボ(トンボ科)・メス

ショウジョウトンボ(トンボ科)

キセキレイ(セキレイ科)

こんな美味しいお菓子を送って頂いたのに「なしのつぶて」、なんと無礼な!とお怒りでしょう。四年使ったスマホがついに壊れ、機種交換、初期設定とかめんどくさ、いっそ「脱スマホ生活」もいいかも?とか思ってた矢先だったのです。そんな訳で古風な「お礼状」になりました。・・・
京都にいた頃の、数少ない「お友達」、いや、見栄を張るのは止そう、数・少・な・い・、どころではなく、今や、唯・一・人・となった「お友達」、年賀状と、年に一度の、贈答品のやり取り、だけの、かすかな関係だけれども、どこか、小旅行をされたのであろう、その土地の銘菓を送ってくださったみたいで、昼寝していると、ドアをノックする音がする、・・・、うちには十年前からテレビがない、と繰り返しているのに、決して催促をやめてくれない、N○○、とか、ろくでもない「客人」しか敢て訪れることのない、この、廃屋、と言えばなお聞こえがいいが、いわゆる「ごみ屋敷」(笑)、ほら、宅配便の青年も、猫の糞尿の臭気のただなかから(笑)、蓬髪の老人が、それにしては、なんか奇妙な真赤なTシャツを纏って不機嫌そうに現れたから、動転しているではないか?きっと、「送り状」メールが今頃、私のサーバーには到着しているのかもしれないが、四年間、世間一般とはずいぶん、使い勝手は異なっていたかも知れない、「アプリ」など、ほとんど一つも「ダウンロード」していない、ブラウザで、インターネットを見る以外、決して使わない、「友達」いないから(笑)、電話もメールもほぼ要らない、SNSとやらは、律義にどれもアカウントをもっているが、これも「友達」いないから(笑)、文字通り、本来的な意味で(笑)、自分に向かって、「つぶやく」だけ、それでも、一人前に、「中毒」状態で、部屋にいる間は、何もする気の起こらない時、そして、たいがい、いつも何もする気が起こらないので(笑)、手放すことはなかったから、「フリーセル」、一万回連勝記録(笑)、とか、まあ、よく働いてくれたのである、突然、前触れもなく画面が暗くなって、それきり、手の下しようがなくなった、・・・、そんな訳で、その、スマホが壊れてしまったから、連絡が取れなくなってしまったのだな。機種交換だとか、そうすれば、また、なんだかよく覚えていない、いくつもの「アカウント」だの「パスワード」だの、もろもろの「初期設定」だの、嗚呼、めんどくさい、・・・、ばかリでなく、大事にしていたものが壊れる、というのは、仲良く暮らしていた生き物が亡くなる、のと同じくらい、「人間」の場合はよく知らないけれど、やはり、それは「死」を、暗示するものだから、とりわけメランコリー者としては、ただちに「喪の作業」が起動されるのは、当然なのである、だから、ラッキー、新しいのに買い換えられる!、などと言う、資本主義社会では、「正常」な、「消費者」としての身振りが、とれないのだ、最近読み直し始めた「精神分析入門」の冒頭「錯誤行為」のところで、フロイトは、持ち物が壊れる、という場合にも、無意識下にに、それが壊れたら、新しいのに買い換えられる、という欲望が伏流していて、それで、雑に扱ったということもあり得る、と説明しているが、もちろん、それもあったかもしれないが、でもその「欲望」と、「対象喪失に伴う抑鬱」、とは、共存し得ると思う、・・・、そんな訳で、やがて「孤独死」を迎えることになるだろう「独居老人」(笑)、このまま、「脱スマホ生活」のままでいるのも、やはり「不安」ではあるから、そのうち、そのめんどくさい「機種変更」、「初期設定」だとかに、臨むことになるだろうが、いやしかし、それは、今しばらく、「喪が明けて」、からのことにしよう、・・・、と決めていた矢先だったので、さあ、困った、贈り物の荷物届きましたよ、とお礼を言いたいのだけれど、携帯電話でしかやりとりしたことがないから、アドレスが、わからなくなってしまっているのだ、しばし熟考、住所なら、その宅配便の送り状にも記載されているし、年賀状もとってある、はがきだ!という訳で(笑)、翌日、おぼろげな記憶で、ちょっと気の利いた絵葉書を売っている店が、ちょっと遠いのだが、占領初期に米軍総司令部だった場所、だから、Ryukyu Commandで「ライカム」と呼ぶ、司令部自体は、もう少し南に移転、そこは、米軍人専用ゴルフ場だったのが、ずいぶん前に「返還」され、長らく放置された後に、数年前だったか、巨大なショッピング・モールになった、そこにあった記憶があったので、疫病蔓延の折柄、でなくても、「人間」が苦手なのであるから(笑)、そんな人ごみの中に出掛けたくは決してないものの、こうして、「目的」というものが、ささやかであっても出来てみれば、それなりに「盛り上がる」ものなのである、・・・、仕事をやめてから、いや、馘首になったのだけど(笑)、ペンで字を書く、ということもほとんどしない、だから、例の「10万円給付金」申請、の際も、通帳や免許証のコピー取るのに、それだけでへとへとになったばかりでなく、めったに開けない引き出しをひっかきまわして、やっと一本、かすれたボールペンを発見したのだったから、しかし今度は、もう、「最後の」(笑)、「友達」かも知れない人へのお礼状なのである、ちゃんと、新しい筆記具も必要、それに、え?今、はがきに貼る切手って、何円なの?それも知らない、切手も買わねばならない、・・・、で、無事、その「任務」を、完了し、常人にとってはわずかな額だろうが、私にとっては手痛い出費ではあるのだが、それでも、久方ぶりの「消費」の「快楽」に、躁的に高揚、ほら、こちらが、その、成果です、「美ら海水族館」の、ジンベイザメなどを、モチーフにしたもの、ね、可愛いでしょ(笑)?高級ブティック、なのだろう、そういったものが軒を連ねる、慣れない者には、冷房の効き過ぎた、アーケードを歩きながら、改めて、まるで、「浦島太郎」の気持であった、並み居る数々の店舗、どれ一つとして、「私」に、「関係」のある、ものを販売してはいないのである、したがって、いかなる意味でも、「購買意欲」を、喚起されることがない、その意味では、「ちっとも楽しくない」のであるが、その「楽しくない」加減も、ここまでくると、しかし、なんか、笑える、ポスト・バンク時代に、こんな歌があったな、記憶は怪しいが、こんな感じ、
Hang the blessed DJs, because the music that they constantly play, it says nothing about my life.
私の生活に指一本触れないような音楽ばかりかけるから、そんなDJは縛り首にしろ、という穏やかでないものだが、と、そんなことを考えつつ、エントランスのところにおりていくと、まさに、その「美ら海水族館」の、「出店」みたいなものなんだろう、強大な水槽に、色とりどりの魚たちが泳いでいるではないか、やっと、「仲間」に会えたような、気がして(笑)、海の中で会ったことがあるの、おお、もちろん、これも「種」と「個体」の混同であるが、もあれば、見たことのないものもある、上に写真を掲げておいたが、巨大な、ハゲブダイ(ブダイ科)、と多分、思われるものが、こんなに明るい照明の中なんだが、そんなに居心地が悪いわけでもないのか、砂地のところに、「どっかと腰をかける」風情で、休んでいるところに、チョウチョウウオ類だの、おなじみヒレナガハギ(ニザダイ科)、コクテンフグ(フグ科)、などが集まってくる、ハゲブダイが、あんまり「落ち着いて」いるので、隣で観ている人、言葉遣いからして、観光客ではなく土地の人と思う、え、これ、本物、動かないから作り物かと思った(笑)、とか、囁き合っておられるのが、聞こえてきたりもしたが、いつまでも眺めていたい気がする一方、やはり、自分が「場違い」である感、に抗しがたく、そそくさと立ち去ったのであった。せっかく遠出をしたから、帰りに干潟に寄って、もう、潮が満ちつつあったのだが、いくつかのシギ、チドリ類、ダイシャクシギは、今季第一号であるな。
後半は、戻ってきてから、近所の遊水地を久々に散歩、タイワンクズ(マメ科)の、花時を、「引きこもり」のために逃してしまったらしいことが悔やまれる、はて、来年のこの季節まで、生きているだろうか?、が、また始まった(笑)、と、聞き覚えのある声、ああ、キセキレイ(セキレイ科)が、もう、渡って来たのだ、ハクセキレイより、先にやって来て、先に去る、ことは記憶していたが、いつごろ来るのだったかは、一向に、覚えられない。



カバマダラ(マダラチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)

イソヒヨドリ(ツグミ科)・オス

ホウオウボク(マメ科)

ハイビスカス、ブッソウゲ(アオイ科





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Last updated  2020.10.12 20:21:25



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