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2003.08.15
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 今日は終戦記念日である。然し乍ら事実上は『敗戦が決まった日』であろう。第一次大戦での圧倒的勝利(半ば強制的なものである)に酔いしれた「時の日本政府」が更なる領地拡大と日本国の存在を誇示しようと躍起となった事が第二次大戦のきっかけである。戦争に勝つというのは即ち軍が政権を揺さぶる立場に立つ事でもあり、当時の日本政府も軍が大きな顔を出してきて、第二次大戦の火ぶたを切ったのも、軍部の詰まらぬ欲望がそうさせてしまったとされている。その結果、国民は我が子を強制的に国に差し出す羽目になり、多くの若い命が南方の彼方に消えていった。そんな国民を納得させるかの如く、政府は圧倒的な戦況有利を伝え、それを盾にして人力や私財を提供させ、子供たちには『兵隊さんは偉いのだ』と教育させてきた。然し乍ら、そうさせる事こそが戦況不利の最大の証ではないか、日本軍は負けが込んできたのではないかという意見も当然出てきたが、政府はそうした人たちを犯罪者として弾圧・処罰してきた。ところが沖縄が戦火に包まれ、米軍機が上空を飛び交う様になると『一億総玉砕』と号令をかけ、命が尽きるまで戦う様にけしかけた。とはいえ、広島と長崎に原子爆弾が相次いで落とされ、ソ連までもが参戦するという運びになった事が、政府としても敗戦を決断せざるを得なかったのである。

 今更戦争の方法が間違っていた云々を語る気持ちはないのだが、日本が方向性を誤ったのは真珠湾攻撃をした事だろう。戦前に日本政府の役人が幾度も渡米している。当然アメリカの国土の広さ、資源の豊富さ、頭脳の高さを直視してきた筈である。それが判っていたならば最初から勝ち目のない戦争になると判断できた筈である。勿論当時の政府に軍が介入していたから、彼らを納得させる材料にはならなかった(圧倒的な立場が役人の口を封じさせてしまったのだと思う)といえるだろう(東京裁判で時の軍部が軒並み逮捕され処罰された事からみても、それは明らかである)。そして実際に戦いに踏み切り、アメリカの圧倒的な破壊力を直視する段になって諦めを感じたのである。だがそれに伴う代償は大きすぎた。歴史上の大きな汚点・傷痕にもなってしまった。だからこそ連合国はポツダム宣言を受け入れさせ、武器を持たないのは勿論の事、戦争そのものをしないと戦艦ミズーリ号の上で日本に約束させたのである。真摯に受け入れた日本としては、それを忠実に守り、未来永劫に伝えていかなければならなかった。ところがGHQの統制下が終わり、独り立ちしてから数年もしないうちに警察予備隊というものを作りだした。警察予備隊とは自衛隊の前身である。

 自衛隊の定義には「日本国を外敵から守る」「災害などが起きた時に救助に向かう」などがある。後者に関しては一向に構わないと思うのだが、前者に関しては本来の筋道から外れている。武器を持たない、戦争は絶対にしないと約束しておきながら、彼らが富士山の麓でやっている事は(外敵を想定した)戦争の練習に外ならない。その為に税金が湯水のごとく使われている。そうした現実を商売に利用した(不発弾などをインターネットで売りさばいた)人間が逮捕されたのは記憶に新しいところ。法律が湾曲されているのならば、その下にいる国民の意識も湾曲している。そんな中でイラクへの自衛隊派遣が正式に決まった。然し乍らこの背景にはアメリカ・ブッシュ大統領の要請依頼があるのだが、小泉総理大臣にしろ歴代の総理大臣にしても、日米同盟を大義名分にしてアメリカの言いなりになっている。沖縄をはじめとする米軍基地の縮小は侭ならないし、その米軍兵士による日本人への暴行事件は後を絶たない。相変わらず「思いやり予算(米軍への援助)」は減らないし、なくそうという動きも見えない。況して現在の政府は「戦争になったら国民は軍隊に力を貸せ!」という有事法案を半ば強制的に可決させてしまった。正しく第二次大戦時代に逆戻りの行為である。

 例年この時分になると政府要人が挙って靖国神社へ参拝に出掛けている。今年は亀井静香が行ったそうだが、時の軍部の要人を未だに参拝するのは、彼らを崇拝しているとしか思えない。日本が戦争に負けたのではないと思っているかの様である。世界的レベルにおいて「戦争犯罪人」として処罰されたというのに、未だに彼らの亡霊を追いかけているかの有様である。靖国神社へ参拝できるのは(処罰された戦犯の)遺族及び親族だけである。政府の役人が堂々と出掛けるのは明らかに間違っている。先日の日記にも記したのだが、戦前生まれの人間にはこうした傾向が強い。やはりこれからの時代を推し進める為には戦後生まれの人間が政権を握るべきである。

 本当は(電力不足で)日本で起きていたかもしれないのに、アメリカではニューヨークやカナダのトロントをはじめとする数々の都市で大停電が起きた。これは一つの危機である。その前に同時多発テロという大きな危機に直面してきたが、譬えそれがなかったとしても政府の動きは機敏だっただろう。国民の安全を守る為にも、国民にパニックを起こさせない為にも、主である政府は的確な情報を早急且つ迅速に出さなければならない。果たして現在の日本政府にそれができただろうか? 一つの物事を満足に決められない・論議できない・足並みが揃わないのに、直面した危機を乗り越える事ができるだろうか? 今回の電力不足は幸か不幸か冷夏の影響で乗り越える事ができたが、これは単なる「神頼み」が通用したに外ならない。古い言葉で例えれば『神風が吹いた』だろう。とはいえ、こうした事が未だに続くからこそ、実際に危機に直面した時にも神風を期待してしまうのである。現在の不況は自国が起こした問題だが、この場合でも政府は神風を期待しているのだろうか。もしや政府は戦争を契機にして好転を期待しているのではないだろうか?





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最終更新日  2003.08.15 21:07:34
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