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カテゴリ:政治・経済
こんばんは、グリーンアンドフラワーにふさわしくない、お堅い話題で恐縮ですが、
100年に1回と言われる不況の時代に生き、その恐怖と現実を体験している一人として、この不況を記録にとどめておきたいと思います。 最近、安売りがやたら目につきます。 マスコミなどでも、大きく取り上げています。 消費者にとってはうれしい「激安」 しかし、これは資本主義の終焉でもあります。 何故、激安の商品が出回るのでしょう? メーカーは、製品の開発が仕事です。 最近では「アウトソーシング」といって、製造は別会社や協力会社が引き受けます。 製品が出来ると、商品は代理店に売られます。 代理店は、小売りに卸すか、さらに手間を省くために、 問屋や大店(おおだな)と呼ばれる商社に売り、 商品は、やっと小売店に並びます。 こういうシステムにより、メーカーは、 あっちのお客に¥300、こっちのお客に¥150といった煩雑な販売管理から解放され、 まとまった資金を手にし、次の商品開発に専念できるのです。 しかし、大不況でものが売れなくなると、メーカーから商品を買い取った代理店や問屋、大店は大変。 メーカーには支払いがあるし、契約上、返品もできない。 思ったように入金も無く、たくさんの在庫を抱えて倒産してしまいます。 昔は、代理店の経営危機があると、メーカーは売り先確保のために、必死で援助したのですが、 今は、「代理店や問屋ならたくさんある・・・目をつぶってろ・・・」 平気で見殺しにしてしまうのです。 その結果、大量の激安商品が市場に出てくる。 それを消費者は大歓迎で受け入れるわけです。 例え倒産が無くても、赤字の損切りや在庫処分と、利益の出ない生産になっています。 ものには、必ずコストがありますので、どう見ても安すぎる商品は、誰かがどこかで流した「血」の結果なのです。 代理店や問屋、メーカーや生産者にも限りがありますので、ある程度の会社がつぶれると、そこで「激安商品」は無くなってしまうのです。 また、消費者であった人たちも、いつか順番が回ってきてしまい、自分が関わった何かが「激安商品」としてどこかで売られ、 激安になった分だけ、自分が何らかの形でマイナスのコストを負担することになってしまいます。 これは、雪山に不時着した飛行機と同じような状況です。 弱い人間から、一人一人死んでいき、その死んだ人間を食べながら残りの生存者は生きていく。 しかし、やがて400人いた生存者は200人に、100人に、50人へと減っていきます。 最後は・・・ 嫌みのようですが、激安商品の影に喜ぶ人はいないんです。 激安商品の数だけ、会社がつぶれ、人が解雇され、誰かがマイナスを負担しているんです。 しかし私たちも、この不況で仕事を失ったり、収入が減ったり・・・ 激安商品に頼らなくてはならない情けなさ・・・ 激安商品が出回る世の中に、未来はありません。 「私たちの子孫は、こんなものを作るために、こんな仕事をするために、 一生懸命勉強して、大人になって行くのか??」 子供たちの未来は、なんのためにあるのでしょう? 私たちは、未来のために何が出来るのでしょう? 「お金はたくさん出します、もっと、素晴らしい商品を作って下さいね」 こう言って見たいですよね。 また、日本に限らず、世界中でそう言えるような政治や経済にしなくてはなりません。 何か良い方法を考えねば・・・ って、私の頭じゃ・・・ そろそろ、原点・初心に立ち返る時期なのでしょうかねぇ・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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