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本日は、貧しさの中でも芭蕉の十哲のひとり「向井去来」の 棲家「落柿舎」が嵯峨野の風情にぴったりで、田園風景と共に ご案内します。
落柿舎 【嵯峨野巡り4】 「常寂光寺」の門を後にして、直ぐの所に、のどかな嵯峨野 を連想する広い畑に至ります。 写真に撮られるには、畑の手前から、彼方にひそかに佇む 【落柿舎】 (らくししゃ)は、一幅の絵に成ります。
田園風景
(むかいきょらい)が閑居した、極めて貧しそうな藁葺きの田舎風の 一軒屋で、蓑笠が掛っているのが、印象的です。庭の片隅には 「柿ぬしや 木ずえは近き あらしやま」 と記された「句碑」が立っています。 去来が貧しい生活で稗飯(ひえめし)を食していました。ある年の 秋に、庭の柿が豊かに実ったので、売買が商人との間で纏りました。 「よし久方振りに、白い飯が食べられるぞ」と夢を膨らませて一夜を 過ごしました。ところが夜半から嵐が吹きまくり、柿の実が全て落下 していて商談は、不成立と成ってしまいました。 「1升升は1升升だな」と観念して「落柿舎」と名付けたそうです。 無念の句碑が、嵐と嵐山に懸けている気持ちがよく理解できます。 更に歩を進めますと、右手の墓地と句碑に立ち寄りますと、 【去来の墓】がありました。
去来の墓
犬・猫の墓の様な、三角形の小さな自然石が置かれていました。 石には「去来の墓」と書かれていました。その直ぐ横に、句碑が 並んでいますその中に【虚子】の句碑を見付けました。 「おおよそ天下に 去来ほどの 小さき墓に 詣でけり」
虚子の歌碑 広い一帯は多くの歌碑で囲まれています。その一つです。
有り、そこには立派な墓があるそうですが、嵯峨野の居心地も まんざらではないと、未だにひそかに眠っているようです。 たいです。
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