旅だった友のこと/石川為丸
「―への旅」という何か目的を持つ旅は、往々にして外れてしまい、失敗しがちなものである。それに対して「―からの旅」という何かをふっ切るような旅は、大抵うまくいくものだ。もつれた愛からの旅。展望の見えない闘争からの旅。それらは、「関係」から、さっぱりと切れてしまうことを意味する。
「わたしたちの/うちの一人は/留学のために/羽田をたった/ばかりで/もう一人は/72年の2月の/暗い山で/道にまよった」(樹村みのり「贈り物」)。昔語りで恐縮ではあるが、こんなふうに表現されているように、総じて1970年代初頭の旅は、失敗ばかりの「―への旅」であった。中でも「暗い山で/道にまよった」者たちは無残な結果を残した。その頃、私の友人Kは「―からの旅」として、インドあたりを放浪していた。彼が「暗い山」から救出しようとしていた同級生(女性)の「暗い山」での暗い「死」を知った直後のことである。重苦しい関係の一切を断ち切る旅、すなわちそれは「―からの旅」であったはずだ。
だが、その旅は、彼にとっては失敗だったようだ。数年後に帰国した彼は、鉄路から小さな谷川へ永遠にジャンプしてしまったのだから。彼の旅は、結局、悲しい「―への旅」だった。
その時、彼は最低料金で行ける区間の切符を、手にしていたそうである。これが、残された私たちへの、永い宿題となってしまった。それは、私たちが「夢を/抱いたまま/この世界に/つなぎとめられて/いきねばならない/ことへの切符/だった」(同上)に違いない。
―石川為丸「旅だった友のこと」(琉球新報「落ち穂」1997年3月28日文化面、抜粋)
その暗い山道の深さは、おそらくわたしには想像もできないものなのだろう。
「永い宿題」に、正対して取り組み続けていたのだと思う。
石川為丸さんは、2014年11月に亡くなった。
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