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♪アトリエえんどうまめ 今季洋の日記。

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2019.02.01
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長年そこに住んでいたのに、ある朝、その日の瞬間にだけ、不思議な模様が部屋の壁にできたことがありました。

そのときできた光の模様は、ちゃんと写真に収めていました。それはこちらです。





この朝、
このちょっと不思議な光の模様を見て、
わたしはとても大切な気づきを
得たのですが。。。

そのことについて書いたのが、
《​こちら​》の過去ブログです。


この過去ブログでは、このとき、どのような気づきに至ったのか、それは書いてないのですが、それは何故かというと、きっと書けなかったのだと思います。

どうして書けなかったかというと、そういう気づきというものは、言葉よりもはるかに高速なものだから、言葉に落とし込むのは結構難しいものだからなのです。


でも先ほど、『​ブッダの夢​』という本を読んでいて、そこで中沢新一さんが語っている言葉と出合い、あぁ、あの時感じたものは、まさにこれだったのではないかと思いました。

この本から、そこの部分を引用したいと思います。

「それからジャック・ラカンの本を読んだら、わあ、この人も仏教徒だと思った。なぜかというと、中観(ちゅうがん)のことを言っているからです。ラカンを僕が面白いなと思うのは、人間はたしかに言葉の世界の虜にになっちゃって、ものすごく不幸な状態で生きなきゃならないけれど、幸福な瞬間もありうるということを言おうとしているからです。

言葉を使う人間でも幸福になれる。

それは、自分が見ている他人の像が、他人が見ている自分の像と合体するときで、その二つがイコールで結ばれるときで、そのときは、人間関係の中に、無理数である黄金数
(√5-1)/2)
という数字が出てくる。

要するにそういう人間関係は有理数としてはつくれない。」


ここに書かれている後半の有理数・無理数の解釈は難しそうですが、実際にこの本のこの文章の前後を読むと、ずっとわかりやすいです。

そうでない前半部分の、人対人の混じりけの無い「あるがまま」で結び付いた関係、それは何ものにも代えがたい歓びなのだ。

そこの部分の気づきが、この光の模様を見た時に、流れ込んできたのでした。


というのも、対人関係においては、自分自身が自分を認識していることと、相手がわたしを認識していることとの間には、ずいぶんとずれが生じていることが多いからなのです。

対人関係は、よく「鏡」に象徴されますが、たいてい対人関係は、お互いに「いびつな鏡」どおしであることがほとんどなのです。

そんななかに、「真正の鏡」同士となりあえる人間関係が立ち昇った時は、かけがえのない歓びに満たされる、という体験を認識できたのが、この不思議な光の模様を見た朝だったのでした。


そして、ホ・オポノポノでは、このあたりのことが、
『​アロハ!​』の中で、

「誰かになろうとしなくていい。あなた自身でいてほしい」という、
ヒューレン博士の言葉として、紹介されていると言えるように思います。

わたしがわたしであることは、
その場に一緒にいた
あなたがあなたでいることになります。

というようなこととして、
ここには書かれています。





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Last updated  2019.02.01 21:25:29
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