主婦の祈り。
「家事は主婦の祈り」というテーマで描かれたテレビドラマを少し前に見ました。この「祈り」が実は「呪い」と紙一重であることをそのテレビドラマは描きだそうとしていました。主人公の主婦には多感な思春期の一人息子が居て彼が帰宅して後ろで聞いているとは知らずに旧友と携帯で話しています。「そうよ。私だって結婚して子どもなんか居なかったらバリバリ働いてキャリアを積んでたわ。」これを耳にしてしまった息子が荒れるというストーリーでした。が、この主婦の心理は良くあることなのではないでしょうか。一方の価値観や生き方にフォーカスして生きる時必ずそこに影の生き方や価値観は発生します。その影となった生き方や価値観とどのように向かい合いか。それを自分のなかにどのように取り組むのか。によって家事は家族への「祈り」にもなれば「呪い」にもなるのだと思います。「呪い」という言葉を使うととても恐ろしい感じがしますがこの底に働いているのは「私はこれだけ我慢して家族の犠牲になって生きてきたのだから」という知らず知らずの気持ちであることが多いのではないかと思いました。これは目には見えない大きなエネルギーとして家族たちを実はさまざまに突き動かしてしまうこともあるわけです。この家事が持つ「祈り」も「呪いも」裏と表のように分離できないものとしてその両方を意識化してみることも大切なのではないかと最近は痛切に感じたりもしています。どちらか一方だけでは無くて両方存在しているのだということを受け入れてみるだけでも良いのではないかと思ったりもします。