カテゴリ:カテゴリ未分類
最初は、命と言う詩や、それを書いた女の子の完成に惹かれて見始めた。。。
観る度、いろんなことを考える。。 作られたドラマだと解っていても、実際の、現実の状態と、重ねて、比較したり、してしまう。。。 実際にあった出来事や、今も実在する施設や、状況だから、そうなってしまうのだと思うけど、どうも、病気や、命という事柄には、いつも感情移入してしまう。。 自分は全く悪くない、誰のせいでもない。 なのに、克服できない、どうすることも出来ない病に侵される。。。 今日のドラマの中で、陣内さんふんする医者が「なんでもぶつけて。」って言ってたけど、『ぶつけてどうにかなるものなら、ぶつけられるけど、言っても、どうにもならないとハッキリ解らされてる事は、言っても仕方ないじゃん』と思ってしまった。。 私自身の事と、姉が行った看護学校が、結核や、筋ジ(筋ジストロフィー)の人達の療養所で、姉の住んでる寮によく行ってて、筋ジの人達と出会えた縁から、病気という事、命や、生きるといういろんな事に思いを寄せるようになって、 病気だけじゃなく事故や、虐待や、殺人などの‘命’に関わる出来事に、人一倍感情が篭ってしまう。。 一人一人、みんな、たった一つの、欠くことも、交換する事も出来ない‘命’を与えられた、大切な同じ存在。 身分や、生まれた環境や、性区別などは、命という存在のカバー(洋服みたいなもの)でしかないと思う。。 命という存在の基で同じ存在を、どうして、優劣つけたり差別したり、さげすむことが出来るのだろう。。 みんなに等しく与えられた生命。 短い人、長い人、様々だけど、欠くことも、交換する事も出来ない、かけがえの無い大事な‘命’を与えられた、大切な同じ存在。そのことをもっと深く考えて欲しいと切に望む。 その基本(基盤)があれば、差別も、虐待も、殺人も、戦争も、あってはならない事だとわかるはずだと思うんだけどなぁ・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|