愛媛県回想
悪い癖で夜中にテンパっている。
仕事のことが常に頭から離れず、でも仕事に行くと逃げ出したくなるというネガティブな日々。
先週末の愛媛県は遠い昔に思える。
あまりにも凄すぎて、自分の身に起きているとは思えなかった。
想像以上に観客が多くて、舞台は照明も華やかで、何のショーかと思うほど。
皆さんのエッセイ、写真も素晴らしすぎて、なぜ私がこの舞台に…と緊張しまくった。
舞台の袖から。
わわ、こんなんだと思わんかった。
司会は愛媛テレビのアナウンサーだし、県知事も来ていて、新井満さんに紺野美沙子さんに…
私が来ちゃってどうしよう。
私のエッセイは紺野美沙子さんが朗読してくださった。
そして、私は作者として壇上に上がり、テンションも、上がり、アナウンサーの質問も前もって知らされていなかったので、これまた悪い癖で緊張しているくせに、ペラペラとよく喋るのだった。いや、ほんと、自分に引いてしまい、体もどんどん引いてしまうので女子アナ様にこれ以上後ろへ下がらないよう、背中を支えられる始末だった。同じ受賞者の女性が、一人で参加している私のためにご主人に撮影を頼んでくださり、後から動画を送っていただいて、行きずりの私になんと、親切にしてくださることか。血の繋がらない人たちってどうしてこんなに親切なんだろう。
受賞者全員でラストに会場で、自然と手を振っていた。みんなが振るから私も振った。そして、はたと気付いた。みんな、家族に手を振っているのだ。私は誰に手を振っているのだろう。
こんなことが遠い昔にもあった。
娘の中学受験の時だ。
私は仕事のやりくりで、受験校へ送っていくのが精一杯だった。しかし、殆どの家族(主に母)は体育館でこどもが試験を負えるのを待ち、お迎えするのである。
そこは併願の多い中学だった。試験が終わると受験生は受験番号ごとに区切られてプラカードを持った先生に案内され体育館へ向かう。混雑を避けるためだ。娘は誰も待っていないとわかっている体育館へ仕方なく向かい、みんなが母親に迎えられるのを冷静に見ながら、一人帰路につく。初めて行った学校だが、行きに来た順路で、バスに乗り、電車に乗る。それで娘は電車を間違えながらも一人でなんとか帰宅した。
後からこの話を聞いて胸が締め付けられた。早生まれの娘はたったの11才で、試験のプレッシャーを受けながら、誰もいないとわかっている体育館へ行き、現実を受け入れながらバスや電車を乗り継いだのである。電車を間違えたので聞いたこともない駅についてしまった時はどこへ来てしまったのかとさすがに不安になったそうだ。
数日、娘はそんなことばかりしていた。朝は私と受験校へ向かい、帰りはいつも一人ぼっち。雪の日に景色がわからなくなり、駅と反対方向へ向かったり、反対方向の電車に乗ったり、11才のこどもなんてそんなものかもしれない。
娘が一人で体育館へ向かった時の気持ちを思ったら、授賞式会場で誰も知り合いがいないなんてなんてことはないのだ。
私は笑顔で手を振った。
父のことを書いたエッセイなのできっと父が見ているのではないかと勝手に思いながら。見ず知らずの私に温かい拍手を送ってくださった愛媛の方々、ありがとうございました。
愛媛県は文化の街。「坊っちゃん」の舞台になった街。
だから坊っちゃん列車にも乗ったし
松山城では俳句の投稿箱に感動したり
食べ物は美味しくて
みかんはめちゃくちゃ甘かった。
そして道後温泉は神秘的で柔らかい包み込むようなお湯
松山城
みかん色の市電
旅館の人達も親切で一人旅の私に親切に相談に乗ってくださりありがたかった。
方向音痴なのにガイドさんいなくて不安だったから人力車にも乗っちゃった!
ありがとう、愛媛県、大好きです!