カテゴリ:おたく
とある、勉強熱心なひとの噂話になり。
だれともなく言い出した。 結局、その理論が現実に活かせるかどうかだよな。 もうひとりがいう。 今の環境じゃつかえないよ・・・あのひとがつかえないという意味じゃないよ。話が大きすぎる。 勉強していない人達のチャチャいれといってしまえばそれまでだが。 「知」の価値、位置づけというのはそういうものだと思う。 純金だけではつかいものにならない。 コンソメだけでは料理にならない。 リフティングだけではサッカーにならない。 グループサウンズはギャグでしかない。 大切なのはエッセンス。その割り切りである。 以前本宮ひろ志先生が劇画の書き方についてインタビューで答えていた。 ゼロから勉強するわけじゃない。時間がないからまず仮説をたてる。政治の仕組みにしろ商売の裏にしろ。たぶんこうなっているんじゃないか?と。仮説にもとづいて探せばだいたい日本の本屋にはなんらかの本が手に入るものだ。 そんな話だった。ビジネスにおける「知」とは多くはそういう消費するツールにすぎない。 もちろん、それだけでしのぐやつと地道に勉強するヤツとでは最終的には後者が勝つ、というのは言うまでもない。 理想としてはがむしゃらに吸収して、やがて自分のモノにする、という過程がとれればいいのだろう。 芝居を観まくって頭でっかちになっていた自分と彼とをつい重ねあわせる←おこがましいので説教まではしないけど。 知ることより大切なことはある。知に血をいかにかよわせるか? ちなみに私に必要なのは血に知をいかにとりこむか、ということだ、たぶん。 もうひとついい言葉を知っている。 余計なお世話 頭におくべきはそっちだな。(♂) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年03月26日 06時07分58秒
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