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カテゴリ:妻が語るC-C-B
ヒデキのお別れ会でファンが献花したのが「ピンクのバラ」だった。あらかじめ指定されて公式に呼びかけられていた。
1500人とも2000人とも報道されていたが、ともかくたくさんの「元少女」たちが献花に訪れた。 これはヒデキがメインボーカルの「Lucky Chanceをもう一度」の一節 Pinkの薔薇の束を 背中に隠しながら にちなんだもの。 粋だよね。 こういうのってやっぱりプロデューサーの松木さんが考えたのかな。 「Romantic~」のインパクトは別格としても、「Lucky Chanceをもう一度」は、実は1番 C らしさが出ているシングル曲だと思う。3人がボーカルを歌いつぐ感じとか、ハイトーンのふたりの声を最大限生かしたところとか、80年代王道歌謡曲メロディーでありながら演奏はハデなところとか。 歌いながらヒデキが弾いてるベースが効いてるのに気づいたのは最近いい音でCD を聞いたから。リマスター盤CD の素晴らしいこと。特に低音が、リズムがハッキリして密度の高い音として聞こえる。当時のAM ラジオのモノラル音声+カセットテープじゃぜんぜんわかんなかったよ。 ↑オリジナルはベストの方に入ってます。「僕たちNO-NO-NO」に入ってるのはリミックスバージョン。 鮮烈なキーボードのイントロ、間奏で盛り上げるギターも好き。 85年の紅白に「Romantic 」じゃなくてこの曲で出たのは、民放ドラマの主題歌などのタイアップがついてなかったからかなと思う。NHK も昔はそういうの厳しかったからね。 当時C がレギュラーを持っていたラジオ番組を本当によく聴いていた。いつもリーダーのでかい声で始まるラジオが楽しみだった。Gくんの脱退後はさらに、トークの多くの部分をヒデキが担っていた。彼らのラジオはキレがあってとても面白かった。自分たちの曲だけでなく、彼らの好きな洋楽を紹介するのも楽しみにしてた。 ヒデキが大阪でやってたABC ラジオファンキーズも必死でチューナーやアンテナを動かし、雑音の中の彼のトークを聞いていた。ヒデキがビートルズの弾き語りしてたのはこの番組だった。 ピンクのバラに埋め尽くされた祭壇の写真が彼のブログに載っている。ヒデキのブログは2015年6月11日まで本人が更新している。元気にツアーのリハーサルをしている写真が最後。12日に緊急搬送され、14日からのツアーが中止となった。7月2日に田口くんのニュースがあり、7月13日に亡くなった。 ヒデキがたくさんの元少女たちにC のことを思い出させてくれた。田口くんの件でのダメージも最小限にとどめた。お別れをもって、というのが何とも無念ではあるが、そんなところもリーダーとしての責任感からゆえと思いたい。 お別れ会「ヒデキファイナル」に出演したC 以外のバンドについてはその時わからなかったが後で見て知った。vothmは元ビーリパブリックの丸山さん、爆風のファンキーさんと、三喜屋野村モータースバンドは野村よっちゃん、元ジュディマリ五十嵐さんと一緒にやっていたバンドだった。C じゃなくなってからの音楽活動のほうが長いのにね。最後までC のリーダーだったのはまちがいないが、本人にとってはどうだったのかな。ゴーゴーヒデキで「ごぶさたしてます、C です!」って名乗る様子は嬉しそうだったけどな。満足してたかな。 85年の大晦日に、レコード大賞の会場から紅白の行われるNHK ホールに移動したときの思い出を、解散のころ語っていたのを覚えている。紅白歌合戦で「Lucky Chanceをもう一度 」を歌ったことは、リーダーとして嬉しかったんじゃないかな・・・と、これまた妄想。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年03月07日 17時36分47秒
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