森へ行こう(心とからだと子育てと)

2022/11/07(月)09:08

「子育ては頑張らない方がうまく行くのです」(ほどほどが丁度いいのです)

頑張るのが好きな人は、「完璧」を目指したがります。 そして「完璧」を目指す人は「こうでなければいけない」という「正解」を決め、その正解を一つずつクリアすることで、達成感を得ようとします。 頑張る目標がないと頑張れないからです。 実は、頑張ることが好きな人が求めているのはこの「達成感」なんです。努力して、頑張って、何かを達成すると、脳の中にその報償としてのドーパミンやアドレナリンが放出されます。すると、脳が幸福感や達成感を感じるのです。 でも、その「正解」はその人の頭の中にしかありません。心やからだの中にも、自然界の中にも「正解」などと言うものはありません。「朝の正解」が夜も正解であるとは限らないのです。 というか、自然界は「正解」を嫌うのです。「正解」が固定されてしまうと多様性や、循環や、全体性が失われ、生命力が低下してしまうからです。 でも、頑張ることが好きな人は、正解を決めて、その正解を他の人にも押しつけます。そうやって、自分の努力を正当化しようとするのです。 それでも、その「正解」を共有出来る人同士なら、その正解が、お互いの結束を強める働きをしてくれます。よりよい結果にもつながるでしょう。 でも、相手が自分とは異なった正解を持っている場合には対立が起きます。正解を持っていない相手には正解を押しつけようとして関係性がこじれます。 また、子育てにおいて「正解」を固定してしまうと、子育てが困難になります。 大人が決めた「正解」が、これから自分の可能性を広げようとする子どもの自由を奪ってしまうからです。「自由」を奪われた子どもは自分の人生を失い苦しくなります。 子どもは、一人一人、可能性も能力も異なります。 ですから、お母さんが「お母さん好みの正解」を子どもに押しつけると、子どもは自分らしく生きることが出来なくなり苦しくなってしまうのです。 そして、子育てを頑張ってしまう人ほどそれをやってしまうのです。 子育ては頑張らない方がうまく行くのです。 だからといって育児放棄は最悪の結果をもたらします。 私が言っているのは、「ほどほどが丁度いい」というということです。 ほどほどを楽しんでいれば、子育てはなんとかなるのです。 家事も、仕付けも、勉強もほどほどでいいのです。 才能があるのなら、子どもは自分で勉強をするようになるのですから。 追い立てなければ勉強しない子は、勉強の才能がないのです。そういう子を勉強に追い立てたら、余計に勉強が嫌いになるだけです。 でも、もしかしたら勉強以外の他の才能があるかもしれません。 そんな時、勉強を追い立ててしまったら、その「あったかもしれない才能」も消えてしまうのです。

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