ありがとう、ちょこちゃん
もりのねこ家の最後のねこ、ちょこちゃんが2月14日、バレンタインデーの日に旅立ちました。小さな頃、しゃとらんを世話してくれた保護親さんから引き取って欲しいと連絡があってうちに来たさびねこの女の子、我が家では唯一の女の子ねこで、女王様のように唯我独尊のねこでした。お兄ちゃんのしゃとらんとぶっちは、いつもべったりの仲良しでしたが、その輪にもあんまり入ることなく、人間の家族にも、さほどなれなれしく寄ってくることはなかったちょこ。もっとも、ぶっちゃんはそんなちょこの面倒もよくみていたし、家庭内野良猫ほどは懐いてないわけでもなく、ぶっちゃんが10年前に亡くなってからは、しゃとらんと程よい距離感で8年間ほど過ごしました。好き嫌いの多かったしゃとらんと違い、なんでも食べる良い子。もっとも、しゃとらんの闘病中、しゃとらんに一生懸命食べさせようとしていたために、気をつけてはいたものの、ちょこもお相伴でいろいろ食べちゃったせいか、7.5㌔ほどの巨大なねこに!体重増加のせいか、足に負担が増えてきたため、しゃとらんの没後はカリカリを計測してダイエット決行。体重は、息子が定期的に量ってくれてて、途中からは自動給餌器も導入してキッチリ量るようになったせいか、病気をする前には6キロ台に。病気発覚は春頃だったのですが、発病後も夏頃にはまだ、6.65キロありました。ここ数年は、わたしが実家の都合で長期で留守をすることも多く、家族も仕事や学業の都合でいない時が多かったのですが、ちょこちゃんは、いつも自動給餌器と良い子でお留守番していました。一回の量が少ないので、お腹が空くのか、何時間も前から自動給餌器の前でゴハン待ちをしていたのも、今となっては懐かしいです。そんなちょこに異変が訪れたのは、2020年の2月。コロナで自宅待機になってしまった息子が、耳の異変に気づきました。その頃の話は、ちょこちゃんとピルアシストの記事に。悪くなった頃のはっきりした日付を覚えていなかったのですが、領収書が出てきて日付を見たら2020/02/01。ほぼ、丸一年の闘病生活だということが、判明しました。この時の体重が6.95キロ。もっとも11月のはじめごろまでは、耳の症状はあっても、さほど大きな変調はありませんでした。体重も増減はあったものの、10月の半ばに6.25キロ。まだ、この頃はダイエットの成果だねと言ってた気がします。ただ、11月の半ばあたりから雲行きが怪しくなってきて、前の記事に書いたように、腫瘍特有の症状も出てきて、投薬もサプリに切り替え。耳から出血するようにもなり、不機嫌にも。隠れ家にこもったりするようになりました。ただ、ウェットなら喜んで食べるし、調子が上向きの時はカリカリも。ただ、12月に入ると、とうとうカリカリが食べられなくなりました。最初、食べないのは、出血するせいかと思ったのですが、この頃から、麻痺が出てきていたようです。食べた後、歩いてて転ぶし、三叉神経あたりに影響もあったみたいです。この頃から、ツイッターで記録をつけるようになりました。それでも12月は、持っていけばウェットのフードやちゅーるなど食べてたのですが、どんどん、口に入らなくなってきたようです。隠れ家に籠って出てこない日もあれば、ゴハンを要求に来る日もあり、体重は1か月間で1キロ減りました。耳のあたりも徐々に腫れてきて、目も圧迫されるのか、患部のほうの目は、瞬膜が出たままで完全には閉じなくなりました。目は、この後、さほど飛び出ることにはならなかったのですが、閉じない目にヒアルロン酸の目薬などやっていたものの、乾燥もしてきて、その後、見えなくなって、痛みも感じなくなったようです。それでも、なんとかお正月は越せたのですが、1月に入ったあたりから、水を飲みに何度も行くようになって、食べても飲んでも、よだれが出て、切れなくて、不機嫌な様子も増えてきました。ただ、ふらつくことも多いのに、階段を上がって2階にきて一緒にベッドで寝ようとしたり、いつもは行くことのなかったお風呂場から外を覗いたり……なんかやり残したことをやっておこうとしたのかもしれません。耳からの出血は、ここしばらく止まっていたのだけれど、頬のあたりがかなり腫れて重そうに。この頃のちょこちゃんは窓際の隙間と隠れ家(棚の下)が定位置でした。10日になって、さすがに水もまったく飲めていない感じになってきたので、ここから給水と強制給餌を開始しました。強制給餌や給水をするべきか、悩まなかったわけではありませんが、シリンジでやれば、ゴクゴクと飲むし、まだ生きる力はあるのにと思うと、やらない選択はできませんでした。もっとも、生きながらえて、病気がよくなることはないだろうし、さらに辛い目に合わせるのではと思うと、やっぱり悩まないわけにはいきません。この時は、まだ歩いて移動はしてたんだけど、トイレの制御が利かないことも多くなり、オムツも装着しました。1月17日に、腫瘍が自壊。頬に穴が開いて、大量の浸出液が溢れて出ました。この日は、まだ歩いて、隠れ家に行ったりしてたのですが、翌日から歩かなくなりました。ベッドの上で立ち上がったり、体位を変えたりはできるのですが、ベッドから出て歩くことはできません。数日後、病院で点滴を打ってもらった日は、少し元気が出たのか、何歩か歩こうとしたのですが。腫瘍自壊しても、浸出液は止まることがありませんでした。空いた穴は、粘りのある浸出液が乾くと、毛や皮膚で閉じてしまうため、耳の中にたまるようでした。耳穴からは出ていくのですが、これが気持ち悪い様子なので、前に空いた穴を発掘してドレナージは何度かしてみました。ただ、そのうち頬の穴の部分は毛がしっかり固まってしまい、取ると全部剥がれてしまいそう。ためらっているうちに、耳の前の毛の薄い部分に穴が開きました。ここも、数日すると、閉じるのですが……。給水と強制給餌、浸出の処理が三点セット。一日三回。給餌も最初の頃は、テリーヌ状のものを頑張って与えてたこともあったのですが、こぼす量も増えてきて入っていかないし、自壊が起こったり、食べなかったりもするので、結局は、猫用のスープパウチの具を茶こしで濾して、シリンジに入れて、口の中に流し込むことが多かったです。残ったのは、冷蔵庫に入れて保存し、与える前に湯せんで常温にしてたりもしました。寝たきりでトイレ小のほうは、ベッドに敷いたペットシーツとオムツ(結構、漏れた)で対応できたのですが、食べていないとはいえ、大のほうは……? まだ、強制給餌を開始していない1月4日に大量にした後は、自力でも、あまり食べられない期間が続いていて、強制給餌はほとんどスープという状況ではあったとは言え、心配だったので、1月25日に最後の動物病院受診の際に診てもらったところでは、便秘等はありませんでした。ただ、その後、27日に食後にスープを全部吐いた後、少しだけウンチ。2月4日にオムツ替えの時に出かかっているのが見えて、翌日、オリーブオイル浣腸(オイルをコットンに含ませて拭く)をしていたら、ゴルフボール大くらい出ました。1月25日の最後の受診の際の体重測定は4.05キロ。その前の13日が4.5キロ、年末の29日が5.25キロ。最期は背中をなでると背骨が触るようになってましたから、もっと減ってたとは思います。ただ、毛艶も手触りもまだふかふかで、ほっそり顎ができたちょこちゃんは、ますますかわいい感じになってました。オムツで圧迫された股の部分や下敷きになることの多い膝の毛は、ごそっと抜けたのですが、部位的にそれほど目立たなかったし。寝たきりになってからも、反応は薄いものの、寝返り?等動きはするし、スープや水は喉をゴクゴクやって飲むし、嫌なお手入れは拒否するし、浸出が煩わしそうな時が時折あっても、痛みがある様子はなく、あとは、一日中、スヤスヤ寝てたちょこちゃんでした。晴れた日が多かったので、昼は陽の当たる窓際で、夜は床暖房を入れてもらったまま寝てました。痩せてはきて、いつどうなってもおかしくはないけれど、2月に入っても大きな変化はなく、このまま猫の日くらいまではいてくれるかなと思っていたのですが、12日あたりから、シリンジを拒否するようになってきました。無理にやれば、なんとか入るかなの時もあるけれど、水もスープも首を振って拒否することが増えてきました。それでも、一日三食、起きてるときはトライしていたのですが……。2月13日は冬なのにとっても温かくて、日差しのあたる場所にいると暑いくらい。ちょこちゃんは、寝たきりになったころから、手足が冷えていることが増えていたのですが、この頃になると、身体全体がなんとなく冷たく感じることも多くて。その日は、暑いのか、なんなのか、気がつくと床に落ちてて、いつもとは違う様子な気もしました。やっぱり、水もスープもあんまり飲みたくない感じで、でも、まだよく動いてるし、でも、息も荒い感じもするし……。昼はそれでもスープを結構飲んで……と思ったら、全部、リバース。そして、爆睡。起きたら、ベッドから転がって床に。夕ご飯は少し食べれたけれど、その後、なんかせん妄っぽい動きが出てきました。しきりに前足を動かして、走るような動作を繰り返して、ベッドから出てしまう。床暖房の床だと暑く感じるのかなと思って、その日は暖房はエアコンにして、私もちょこちゃんのいるリビングのソファに布団を持ち込んで、見守ることにしました。……と、地震速報が鳴って、強い揺れが!でも、ちょこちゃんは走って止まってを繰り返しているだけで、何も感じていないみたい。そのまま翌日14日の朝を迎えたころには、動きは緩くなってて、息も浅い感じ。窓際に移動させて、いつものゴハンの時間にお水とスープを持っていくと、お水をちょっと口にしただけで、ちょっとせき込んで、そのまま息がなくなりました。ちょこちゃんは、まだ、ふわふわで、ただ、寝てるだけで、また息をするんじゃないかと思うほどだったけれど、もう昨晩から虹の橋に向かって走って行ってたんじゃないかと思います。翌日、ドイツの息子にLINEで一報を入れて、午後になって返信があったので、通話で話をしました。10月に出発した頃には、「ちょこの様子は?」と聞いてきたけれど、年末にビデオチャットで呼びかけた頃には、かなり不調になってきたころだったため、それ以来、話はしていませんでした。息子と話をしてから、しゃとらんの時にお世話になったペットセレモニーに電話をして、翌日、迎えにきてもらうことにしました。14日のバレンタインデーは良い天気だったのに、迎えに来てもらった15日は豪雨。ただ、ちょこちゃんが虹の橋に到着したのか、夕方には晴れてきて、虹も出ました。