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平成元年3月 私は名古屋市立保育短期大学保育科を卒業した。
短大の2年間、私は合唱団に所属し、1年目はアルトパート、2年目は指揮者として活動していた。 その時の仲間達とは個々に連絡を取り合ったり、近所に住んでいる者とは時々会ったりしてつながりあっていたが、今年は久しぶりにみんなで会うことになった。 こうして、昨日我が家に8人の合唱団OGとその子ども達が集まった。 中には卒業以来20年ぶりに会う者同士もいて、懐かしさ・嬉しさでいっぱいになった。 子ども達同士はと言えば、初顔合わせがほとんどで、最初はなじめないでいた子もいたけれど、1日一緒に過ごせば、もう再会を楽しみするほどになった。 下は8ヶ月から上は小学6年生まで、異年齢・同年齢が入り混じって遊ぶ・遊ぶ・遊ぶ・・・。 近くの公園にも子ども達で出かけて、サッカーやったりして楽しんだ。 ランチはサンドイッチパーティ。 おやつタイムをはさんで、夜はカレーパーティ。 母親達はとにかく、食べている時間以外は、しゃべる・しゃべる・しゃべる・しゃべる・ドンドンしゃべる・・・・・・・ 食べていても、しゃべる・しゃべる・しゃべる・まだまだしゃべる・・・・・・・・・・・・ 保育士・幼稚園教諭・小学校講師・障がい児のサポーターなど、子どもと現場でふれ合い、育む仕事に就いている者が多いだけに、話題の中心はやはり、子どもを中心とした現場での出来事になった。特に保育園・幼稚園での話題は印象的だった。 2歳児40人を7人の保育士で、ひとつの部屋で見ている現実。 どうやったって受け入れが難しい保育現場の状況などお構い無しに、収益優先の姿勢でドンドン園児を受け入れてしまう経営陣への不満。 現場を理解しない園長。 上司に対して、現状を訴えれば、凍るような雰囲気になり、冷たい空気が漂う職員室。 行事を回していくことを最優先にして、子どもの育ちに本当に必要なことが大事にできない現場。 我が子の大事な行事(運動会や入学式)と、勤めている園の行事が重なっても休めない現実。 公立保育園で働いていた時の様々なストレスがまざまざとよみがえってくると同時に、今でも保育現場の実態は余り変わっていない現実の重みを改めて感じてしまった。 現場の保育士はみな、本当によく頑張っている。 でも、どこかで空回りしている現実・・・ 友人達も、何とか現場をよくしていきたいと、もがき必死で動いている様子が伝わってきた。 そして、自分の生活、我が子との生活と、仕事の折り合いをどうつけていくか・・・みんな悩みながらとっても頑張っていた。 お手当ての話になると笑ってしまう現実があった。 ストレスいっぱいで納得のいかない保育現場・・・でも高給。 自分の納得のいく保育が存分にできて、毎日子どもに寄り添い、最高に楽しい森での日々を送れる・・・でも薄給。 私も公立保育園で働き続けていたら、それなりの給料を捨てて、森のようちえんの世界に飛び込めただろうか・・・。 小学校の非常勤講師ともなると、私が森のわらべで1日保育していただく日給が、時給だったりすることにも笑ってしまった。 時給600円の園長・・・ハハハ! 開園当時のエピソードとしてはなかなかいいじゃないか。もうこれは、笑うしかないね。 それと同時に改めて決意することは、森のようちえんが認知され、継続・発展していくためにも、きちんとしたお手当てが保障できるように、経営もやっぱり頑張んなくちゃ!!ということ。 でも、保育の質を落として高給取りになってしまっては、わざわざ立ち上げた意味がない。 やはり、どこまでも理想の保育と現場第一主義を貫きたい。 私はやっぱり、いつまでも保育の現場に立っていたい。 子どもとお母さん達と、楽しく、命の根っこを輝かせていたい・・・そう思った。 久しぶりのOG会、20年前と変わらない笑顔に加えて、子ども達もワイワイ楽しく過ごせた1日だった。 そして、お互いの近況報告に刺激を受け、よしまた頑張ろうと前向きになれた時間だった。 これから毎年集まりたいね・・・という言葉が誰からともなく自然に出てきた。 青春時代を共に謳歌した仲間達が、今もこうしてつながりあっていけることに、心から感謝。 来年もぜひ・・・ 遠くから集まってくれたみんな、忙しい中少しでもと顔を出してくれたみんな、本当にありがとう。 園長・智子 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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