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先日、新聞を目にして、飛び込んできた記事。
作家の灰谷健次郎さんの訃報だった。 灰谷さんの作品に出会ったのは小学校5年の時。 担任の先生が「せんせい けらいになれ」という本を毎日少しずつ読んでくれたのが最初の出会い。 これは小学生の普段着の気持ちが飾る事なく綴られた詩。 なのでとってもおもしろくて大笑いしながらクラスのみんなで聞いた。 その本をよんでもらって 「詩を書く」という苦手意識から解放された覚えがある。 それまで『詩』ってちょっとかっこつけないといけないと思って書いてたから、 後から読むとなんだか自分のキャラと違ってこっぱずかしかった。 なんだ、そのまま思ったこと自分の言葉で書いてよかったのか。 小学校5年にして、それに気付く私。(苦笑) 男の子の節句は休みなのに、なんで女の子の節句は休みじゃないんだという不満をぶちまげた詩が 初めて学級通信に載せてもらえたのが自慢。(低次元?) 今思うと、そんな何気無い事なんだけど灰谷さんの作品との出会いから。『太陽の子』 『兎の目』 『ろくべえ まってろよ』他色々、最終『天の瞳』出してる作品の8割は読んだかな? どの作品を通してもありのままの飾らない子どもの姿と気持ちがそこにあって まるごとうけとめようという大人の姿と気持ちがあった。 お互いに色んなことで傷つきながらも苦悩しながらも 他人と歩みよろうという姿がある。 そんな姿がとてもいとおしい。 自分さえよければいいのだ。 イヤなものはシャットダウン。 違うものは排除。 それは簡単だけど、生きてる意味がない。 違う所があるものだからこそ、歩み寄ろうとする気持ち。 誰かや世間のせいにするのではなく、 『自分に今出来ること』を模索しながら生きていくこと。 だから、今問題になってる「いじめ」もずっっと続く「戦争」も 世間や誰かのせいにはしたくない。 自分には何が出来るのか考えたい。で、動きたい。 灰谷さんの作品を読んで、そんな事を感じてきたこと嬉しく思います。 ありがとうとの気持ちとご冥福を心よりお祈り申し上げます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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