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テーマ:感じたこと(2892)
カテゴリ:チャーリーの。。。
やぁびっくりしました、介護支援専門員の研修に参加して・・・
段取り8割! なにごとも段取りで決まります。 特に会議も・・・ で、ステーションの会議・・・ 彼らも、人を共育するために、自分自信を育てるために努力しています。 その手助けの一つ このようなメッセージを・・・? 「作話」という行為は周辺症状(BPSD)によって あらわれる症状とされていますが、私たちも「いいわけ」という作話をしていませんか? 彼らは、自分自身を正当化しようとしているのではありません、 ただ普通に生活したいだけなのです。 その脳の障害で生じる生活のズレを埋めようとしているだけです。 「誰が」が問題ではなく、「自分自身が」問題だということに気づいて下ださい。 ある人は、その行為や事柄を障害の「個性」だという人がいます。 それは、本当に「個性」でしょうか? 彼らは、その障害を自分のもてる能力でカバーしようと必死になっているのです。 徘徊や不穏、認知というのをやめてくださいというわけは、 徘徊や不穏、認知という言葉に自分自身をとどまらせて、 「その人」をみようとしなくなるからです。 わたしたちは、認知症の人を支援しているのではなく、 「人」を支援しているのです。認知症ケアを習得するのではなく、 人として学ぶだけです。プロとして、技術や知識をつけているのです。 もちろん皆様におかれましては、誰よりも、訪問介護に詳しくなければいけません。 そのことを自覚してください。 人のことを理解できる人は、利用者のことも理解できる人です。 人を好きになるには、人を好きでない自分を自覚する必要があり、 やさしくなるには、やさしくない自分を自覚する必要があるわけです。 いずれにせよ、未熟だから熟すわけで、未熟に気づかず、 イライラすることや周囲のせいにすることもあります。そのことに気づくことが、自分自身を見つめるということなのです。 そのことが上手にできる人、苦手でも挑戦しようとする人は、 必ず理解できると感じます。 まぁ自分の勝手な想いなんですが、このことが押し付けにならないように 自分自身も自覚しなければなりません・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
September 21, 2011 04:12:46 PM
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