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かりん御殿

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January 13, 2004
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カテゴリ:旧(身内話)
(続き)

帰国後、上海で撮ったレントゲン写真を英国のGPに見せると
さっそくロンドンの有名な小児科総合病院へ紹介状を書いてくれた。
二、三ヶ月後、精密検査の連絡が来た。
スキャンや、一夜入院して、眠っている間に
脳に行く酸素の量が減っていないか調べる検査等の数週間後
やっとコンサルタント(主治医)による診察にこぎつけた。

この時、初めて次男の頭のスキャン写真を見た。
レントゲンより数百倍くっきりしている。
本物の頭蓋骨だ。でも、頭蓋骨の形に見えない。
異様に丸いのだ。まんまる。ボールそのまま。
完全な球体。コロコロしている。
思わず病気の事を忘れて「か、可愛い」と思った。
記念に持ち返りたかった。
(デジカメでの撮影許可はもらったが結局機会が無くそのまま....)
そんな丸顔には見えない次男の頭蓋骨が
ここまで綺麗に丸いのが意外だった。

写真を見ながら主治医の説明を聞くと
次男の左顎は一部が全く成長せず一部は成長しすぎ
その結果、本来蝶番的役割を果たすべき顎が機能しない為
口が開けられないらしい。
また検査の結果から睡眠中の酸素が不足しているのも判った。

手術内容は.....、と、こと細かく説明されたのだが
手っ取り早く言うと(細かい部分は既に忘れた...^^;)、
成長し過ぎた骨をけずり
肋骨の一部と耳の軟骨の一部で成長しなかった部分を形成
萎縮してしまった筋肉を引っ張る.....との事。
驚く事に、その場で手術の予約を入れられたのだが
この手の手術は、この病院では一週間に一回しか行わない為
予約が取れたのは、また数ヶ月後、長男の誕生日の頃だった。

だが、先に述べた様に、この手術は病院側のミスでドタキャンされ
再手術(というのか?)は年が開けてから、
実は、もとの予定は1月3日だったのだが
新年で人手も足りないし、まだお正月気分
(というかクリスマス気分・パーティ気分)の抜けない
病院で手術・入院をするのは恐いと危惧していたところ
結局、スケジュール調整で、10日に決定された。
この期間に病院では人事異動があり、
次男の主治医は付近の大学病院へ移り
何故か、その病院から別の医師が呼ばれ執刀する事になった。
(この病院は頻繁に人事異動があり現在の主治医は5人目だ。)

こうして二年前も今年と同じ様に
風邪をひかさない様に、クリスマス休暇中も
人ごみは徹底的に避け隠遁生活を送ったのだが
そのおかげか手術は無事予定通り行われた。
6時間あまりかかった。

手術の終了の連絡が来て「リカバリー室」に行くと
次男は既に大声で泣いていた。
頭にはギブスの様な物が鉢巻きの様に巻かれ
耳のところにはスポンジの様な物が縫い付けられ(!)
そして顎と胸の傷に付けられた細い透明なチューブの中を
緩やかに血が流れていた.....。
その先には、血の溜まる袋の様なものが付けられている。

「あ、ヤバイかも」と思ってウザヲを見ると
既に顔面蒼白・貧血状態になっている。
ウザヲは血に弱いのだ....。

次男の横には椅子は一つしかない。
外の待ち合い室に行く様にすすめると
フラフラしながら部屋を出ていった。

その直後、私が次男を抱っこできる様に
看護婦さんが次男の体についていた点滴のチューブを
動かそうとした際、血の流れるチューブから袋が取れてしまい
中の血がタラタラタラ~とかなり大量
次男の体から私の服の上にまで流れて来た。
この時ほどウザヲが側にいなくてよかったと思った事は無い。
その場にいたら絶対失神していただろう。

次男の顔は、よく見ると少し膨れ上がっていて
鉢巻き式ギブスのせいもあり
お祭りで売っている蛸の風船にそっくりだった。
大泣きしている口が大きく開き舌が見える。
こんな可愛いピンク色の舌だったのか、と思ったら
急に感動が込み上げて来て涙がこぼれそうになるのを
必死でこらえた。

その後、次男は泣き止み眠った。
また起きて少しだけ泣き、また眠る、を繰り返し
だんだん落ち着いて来たが、起きている時も
家族の誰も判らない様に呆然としていた。

翌朝、長男を学校に送って行った後に病院に行くと
落ち着いてはいたものの、ちょっと不機嫌だった。
わざわざ様子を見に来てくれたもとの主治医から
手術後は、とにかく口を開けさせる事が大事だ
その為にはアイスクリームでつるのが効果的だと
言われたので病院から無料でもらえるアイスクリームを
たくさん食べさせた(私も残りを食べたが美味しかった)。
家で大量作ってきたお粥も少しずつ食べさせた。

眠ったり食べたりしてベッドの上で一日を過ごした後
夕方、ウザヲに連れられて長男が病室に入ってきたとたん
次男は初めて嬉しそうに大声で笑った。
二人で仲良く一緒にアイスクリームを食べた。
そして、点滴・血の流れるチューブと袋を付けたまま
病室の側の遊び場で遊んだ。

この遊び場について少し説明すると
小児科専門病院として名声の高いこの病院には
入院している子供とその兄弟の為の遊び場付き託児所・
学校等の無料の施設が大変充実していた。
長男も手術中は遊戯指導の先生と一緒に絵を描いたり
タイルに絵を焼き付けたりして楽しく過ごした(もちろん無料)。
先生にほめられたこのタイルは、今もキッチンに飾ってある。
(というか窓際に置かれたまま二年間放置されている....)
長男は今でも、この「学校」が懐かしいと言う。

この後、次男は、おそろしい回復力でどんどん快方に向かった。
痛め止めの薬を飲むのが嫌で吐き出したりしまっているのに
全く痛がってもいないのにも驚いたが
手術後4日目には既に病室の中を走り回りそうな勢いで
無事、退院となった。
(長男誕生時の帝王切開後の私と大違いだ.....)


だが、だが、だが....
せっかく退院となって喜んでいたら
その一週間後、なんと、顎の傷から
血の混じった膿の様な体液が
じわじわと滲み出て来たのである.....。
大パニックになった私はGPと病院と担当医に電話しまくり
(↑何回も状況説明を繰り返しているうちに落ち着いて来た)
慌てて家に舞い戻ったウザヲと一緒に
医者の指示に従い小児科専門病院ではなく、
その付近の大学病院へ次男を連れて行った。

傷口が感染したらしい。
抗生物質の与えかたが少な過ぎたのではないかと思う。
結局、次男は再度入院となってしまった。

小児科専門ではないこの病院、
病棟は小児病棟だが、遊び場は、雑然としており
もちろん、専門の指導員もいず
厭きた子供達の相手をするのにてこずった。
さらに、一階にある急患には常に、
ヤク中毒・アルコール中毒にしか見えない
危ないタイプの人達が常にタムロしていた。
(ロンドン中心の観光客も多く犯罪も多い危ない地域だった。)
幸い、次男は3日で退院できたが、
はっきり言って、もう二度とおじゃましたくない病院だ。


ところで、ここで回診の際に担当医と一緒に来た
若いオーストラリアの研修医
(↑日本人の彼がいて将来日本で暮らしたいと言っていたが今何処?)
によるとオーストラリア(やアメリカや日本)では、通常
出産時には溶連菌検査をする事になっているそうだ。
英国で検査をしない事に彼女は非常に驚いていた。

溶連菌は非常によくある菌で、健康な大人が感染しても
子供でも発病するどころか自覚症状も無い事が多い。
だが、産婦が、たまたま、出産時に
この菌を持っていると、産道から胎児にうつり
髄膜炎に発展して死ぬ事もある恐ろしい菌なのだ。
だから、国によっては、出産時に溶連菌のテストを行い
産婦に抗生物質を投与する。
そうすれば胎児への感染は避けられる。

どうも、英国のNHSには、検査をする予算が無いらしい。

やっぱり
タダほど高いものは無いのだろうか......?


と言う事で、長くなりましたが
出産を控えている方
溶連菌の検査だけは絶対する事をお勧めします。
この検査があったら、次男は入院を繰り返す事も
手術する事も、術後の半年にわたるリハビリも、
今回の手術も将来の手術も必要ありませんでした。
こんな日記をダラダラ書く事もなかったでしょう。
(別の用件でダラダラ書いていたかもしれませんが)

最後になりましたが
薬嫌いの次男の為に、
薬をゼリー状にする「のませ~る(すごい名前)」を
送ってくれた友人
前回の手術、今回の手術で心配し励ましてくれた友人
どうもありがとう!
そして、長文におつきあい下さった読者様、
どうもありがとうございます!


こうして昔を振り返っているうちに
次男の生まれた(私が産んだ)日の事を思い出しました。
考えてみれば、長男の上海出産体験記に
「続き」と書いたのに頓挫したまま...。
遅れ馳せながら、明日は、手結川弘仁誕生記録、
中マロ英国出産体験記を書きたいと思います。
(書けるかな~?)





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Last updated  August 28, 2004 01:40:12 AM
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