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札幌のお店、
中島公園ちかくの「SATY」と 狸小路近くのスナック「NEWYORK MINUTES」 を紹介してみたい。 札幌では、一人のとき、もっぱら飲みに行くのは、「SATY」という、店だった。 お酒ではなく、コーヒーである。 山内さんという僕よりちょっと年下のあごひげを蓄えた、物静かなマスターが、カウンターの中で、一杯ずつドリップで丁寧に入れてくれる。 札幌でのつかの間の一息つきたいとき、よく深夜に訪れた。 彼のお父さんが開業していた自宅医院の診療室部分を改造し、お店になっている。 木造の一軒屋で、最初入店したきっかけは、タクシーから、窓辺に映った、ランプの影が印象に残ったからである。 いまどき珍しい木製の窓枠にはめられたスリガラスを通して、 店内の暖かな雰囲気が伝わってきた。 当時、宿泊を「ホテルアーサー」という今は、名前の変わったホテルで、ホテルに帰る前にちょっと寄るのに恰好だった。 いつもクラシックのCDがかかっており、マスターもクラシック好きだった。 バッハの無伴奏チェロソナタや、モーツアルト、ベートーベンなど、室内楽を中心に久しぶりにじっくり聞く機会になった。 もっとも店の名前のサティはあんまり好きではないと苦笑いしていた山内さんだ。 札幌へ行くたびに、顔を出していたが、ホテルを札幌駅近くに変更した最後の3回ほどのうちは、訪問できずにいた。 昭和30年代から40年代の雰囲気を感じさせてくれる、 まさに僕の「優しい時間」を過ごせた空間だった。 中島公園にある、コンサート会場「キタラホール」の帰りに寄っていく常連さんが多い。 もう一つのお店はスナック。 ほとんど、最近一人では酒を飲まない最近の僕に、 釧路時代、記者クラブで一緒だった、今はK通信社の札幌支社長Y.Sが、案内してくれた。 そしてそのあと、一人でも「呑みに」出かけた、僕にとっては珍しくもお酒の店である。 最後のところでご縁が出来たのは、「NEWYORK MINUTES」 ママは、僕より下の世代のようだが、アメリカ暮らしが長かったという。 日本に戻ってきてここ札幌で、お店を開いた。 主に60年代、70年代のPOPSのレコード、CD、ビデオをたくさん資料的にもそろえている。 カウンターで、長い髪の少女がそのまま大人になった!とおもわせるママと話し出すと、当時のヒット曲やアーティストの話は、キリがない。 かつての日本のグループサウンズが大好きだったという。 中でも、1970年ころ、北海道の室蘭で生まれた「サマーズ」というグループに大変熱を入れていたそうだ。 彼女は、サマーズの、唯一のヒット、『たった一言』がラジオから流れたときの感激を “あの感動は今だに忘れられない”と語ってくれた。 当時、多感な少女だったママには、やるせない物哀しい曲でもあったという。 彼女に、僕は大昔HBCの釧路で深夜放送のDJをやっていたんだよ、 と話したら、今度、是非当時のテープを聴きたいという。 その後、催促のメールまでいただいた。 次回札幌へ行くときにはと約束し、昔のオープンリールの保存していた番組テープを久しぶり自分でも引っ張り出し、「CDにしつらえて!」前回、持って行ったのだ。 それがお店を訪ねた2回目のことだった。 その日、ママこと「SETSUKO NAKAGAWA」さんとは、すっかり話が弾んで、気がついたらなんと時刻は午前3時を回っていた。 「昔の銀座などのバーのママって、今でいう「コーチ」の役目をしていたと思うんだ、SETSUKOさんも、聞き上手で、質問上手で、そしてさりげなく承認してくれて、それってコーチングなんだよ。 ママは、生まれながらのコーチだね」 と、最近のお仕事はという彼女に、僕のコーチング説明をすると、大変コーチングに興味を示してくれた。 その日の様子を、彼女が、自分のブログに書いてくれている。 僕が持参した、33年前の深夜放送DJ番組を、恥ずかしながら、とても喜んで聞いてくださったのだ! なんだか“アナウンサー冥利”ってこう言うことだったんだと改めて思った次第。 「ニューヨーク・ミニッツ」 http://petergreen.way-nifty.com/blackmagicwoman/2006/05/index.html お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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