カテゴリ:家族
2年前くらいから、母はレントゲンをとるたびに「影が見えますね」と言われていた。
かかりつけの病院が2件あるが、そのどちらもからそう言われていて、去年は気管支鏡で生検も行ったのに、特に悪い結果は出ずに「昔、結核をやりましたね?」と言われたり(やってないって)していただけで、その影も特に大きくならないこともあり、病院も首をかしげるばかり。 咳や痰が出るわけでもないので、本人は何かが起こっているという自覚はまったくなかった。 結果的には切って細胞を病理の先生に見てもらわないとわからないと言われ、その道で有名な病院に通うことになった。 そこの先生から、影は数年大きくなっていないので、このまま経過観察してもいいけど、一度切ってみて、もしも良性の腫瘍なら、すぐに切ったところを閉じるだけで、悪性ならそのまま切除の手術をする方法もあるという説明があったらしい。 気管支鏡の検査の時は「検査までは調子もよかったのに、あの検査のせいで調子が狂ってきた。もうあんな検査なんかやらへん!」と息巻いていたのに、あっさり「切ります。」と言った。 私はずっと「そんなん、結局は良性の腫瘍やろ?」と言っていたけれども、切り取った細胞が検査されると、肺ガンだったという結果になり、すぐに開胸手術に切り替わった。 一つずつ結果が出ていくたびに、思っていたほうより悪いほうになり、遠いところで心配するしかない私は、母ももちろん心配だが、一人だとごはんもろくに作れない父のことも気になった。 たまたま、手術のその日から3日間、東京に出張だった私は仕事が済むと、すぐ京都の実家に帰り、母の病院に行った。 案外母は元気にしていたが、主治医から聞いた話では、リンパ節もちょっと切り取ったとのことで、影が育っていないと言われたわりには。根治を目指した大きな手術だったことがわかった。 もちろん、予後がどのようになるのかはいちばん大きな不安ではあるのだが、なぜか母は絶対よくなる、完治する、という楽観的な気持ちを持ち続けるようにしている。 仕事のついでだったので、その時は3日間しか母のそばにいることができずにロンドンに戻ってくるしかなかった。 この6日に退院することになっているが、明日は本退院を前にして、初めて明日、一度外泊で家に戻るらしい。 転移や再発がないように祈りながら過ごす毎日である。 今月の下旬には休暇を取っているので、また京都に帰ることになるが、これまで私が知っている母でいてほしいとつくづく思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年02月11日 18時56分53秒
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