カテゴリ:イギリス
とうとう昨日の日記で書いてしまったのであるが、そう遠くないうちに日本に引き上げる方向で、2人で気持ちの整理をつけようとしてきている。
これも自分の覚え書きのようなものになってしまうが、文字に書き出してみると、結構「そうかもしれない」「そうだったのだ」と思える部分があるので、そうしてみよう。 もともとは3年の労働ビザで働く予定でイギリスにやってきた。 お金を出して留学する人もいるが、お金をもらって働けるならそれに越したことはないという気持ちがあったが、実際に雇用主からもらうようになった給料はかつかつで、今思うとよくあんな給料で生活していたと思う。 今でもイギリスの社会・システム・サービス・・・日本と比べると驚くようなことがマジで起こる現実を日記のネタにする日もあるが、8年前にここに来た時に楽天の日記を知っていたら、毎日のページをそのネタと不信感だけで埋め尽くすことも可能だっただろう。 しかし、人は変わる。(爆) これでも私は辛抱強くなった。 いや、もしかすると辛抱強くなったというより、イギリスのほうが日本より窮屈でない部分がある、ということに薄々気づいてきたのだろうと思う。 いや、もっと言えば、薄々ではなくてかなり認識してきたと言ったほうが正しいだろうが、もともとの頑固さがそれを簡単に認めたくないのかもしれない。(笑) 卑近な例で言えば *イギリスの人たちは、目の前で困っている人に手を貸すことになんの衒いもない人たちが多い。 どう見ても快楽主義にしか見えない若者が、乳母車を電車に載せようとしている若いお母さんに手を貸してあげる、バスから降りる足一歩が出ないお年寄りの手を取って降ろしてあげる、人にぶつかったら謝る・・・全部がそういう人たちではないが、こういう光景は確実に日本よりも多く出会う。 *いつ頃のどんな服を着ていても、誰からも何も言われない。 だから、たとえ7月にダウンジャケットを着ていても、1月にタンクトップで出歩いていても気にすることはない。 日本ではすでに流行遅れになった10年前から着ている服を着ていても、誰も何も言わない。 *好きな音楽が聴ける機会が多いし、テレビがおもしろい。 服と同じで「いいものはいつになってもいい」「好きなものはいつまでも好き」という定点があるからか、聴ける音楽の年代が幅広い。 その上、テレビの番組の切り口がやたらおもしろかったり、ドラマが充実していて役者がうまいと感じる。 たまに日本のテレビ番組のDVDを貸してもらったりするが、内容が浅くて食い足りないし、最近のタレントはどいつもこいつも芸がない。 すぐにイギリス嫌いを標榜してしまう私だが(笑)こういう点は認めなければいけないところである。 第一印象がすっごーくイヤなヤツで、大嫌いだったにも関わらず「オマエもちょっとはいいとこあるな」と言ってやりたいような、やっぱり言ってやりたくないような・・・そんな感じにも近い。 こっちで出会って結婚したクマイチは、その時点で人生の半分くらいをイギリスで過ごしていたため、結婚する時に「この人と結婚することで私のこの先の居場所はどこになるんだろう」という疑問がなくはなかったが、ちょうどその頃、仕事の上で大きな転機に差し掛かっていたこと、それと日本の景気も今一つよくなく、両親さえも「今こっちに帰ってくるのは時期が悪いやろな」と言っていたので、現状維持で伸ばし伸ばしにしてきた。 しかし、2年前にクマイチの両親が相次いで亡くなった時、やっぱり距離が邪魔してクマイチは義父の死に目に会えなかった。 そして、義父の死後たった10日で義母が倒れ、義父の後を追うように急逝したことで、私たちもロンドンと日本を2往復したこと、これは精神的にきつかった。 もちろん、クマイチ自身と彼の両親との関係と、私と私の両親の関係はかなり違っていた。 クマイチは高校の時から生家を出ていること、それとやっぱり男性であること(これは私の弟のスタンスも似ているからそう思うのだが)で、親子関係は希薄であるとまでは言わないが、当然べったりではなかった。 私の場合は違う。 30過ぎてからは結婚しないと決めていたし、私が両親の面倒を見るつもりであったにも関わらず、千載一遇のきっかけを得たことで勝手にロンドンに来てしまった。 両親は私がしたいと思うことに反対しなかったし、全幅の信頼を得ていたと思う。 なのに結局、最初の3年の約束が8年になってしまった。 私の8年よりも、両親の8年のほうが人生の中では大きな意味と深刻さを持ってくる。 精神的にも肉体的にも老いがはっきり忍び寄ってきている今、これ以上2人をあのまま置いておくわけにはいかないと思うし、ここでだらだらしていたら、私自身がきっと逃れられない後悔をしてしまうことは自分でわかっている。 たまたま仕事のほうは、今の会社の経営者である山村さんともウマが合い、日本に帰ってからは山村さんのすぐ下でやらなければいけないこともたくさんある。 そういう中で私がいちばん心配しなければいけなかったのはやっぱりクマイチのことだ。 彼は若くでこっちに来たこともあり、日本での社会経験に乏しい上に、こっちでの生活習慣や文化のほうによりなじんでいること、彼がこっちでやりたかったこと、彼の友達・・・いろいろなことを考えた。 彼が私と結婚してしまったことで彼まで日本に否応なく引っ張って行ってはいけないとずっと思ってきた。 しかし、彼は彼で自分の人生を考えていたし、最初からイギリスに骨を埋める気はなかった上に、幸い私だけではなく私の両親のことも本当に大切に考えてくれ、彼は彼で日本に戻る時期だと思うと言う。 が、本当はその彼の本心も私にはよくわからない。 彼がウソをついているという意味ではなく、彼自身が自分の気づかない潜在意識で悩んでいないかという意味だ。 昨日、ひろみさんに私たちがそろそろ帰国すると話した時も、ひろみさんにとってそれはまったく予想外なことではなかった。 以前から彼女にも、それ以外の人たちにも「いずれ」帰ると言ってはあった。 こっちで3年が過ぎた頃、いつまでも借家住まいの私たちに周りの人が「家を買ったらどうか」とさんざん言ってくれた。 それはもちろん、高い家賃を毎月捨てるよりは家を買ったほうがいいよという話。 こっちで家を買うということは、そこの一国一城の主になる、という発想よりもむしろ投機目的の考え方のほうが一般的だ。 買った家に住みながら手を入れて、次に高く売れる時期が来るのを待ちながら、いい家があったらそこに買い替えて引っ越すという生活スタイルだが、この日記を長く読んで下さっている方はご存知の通り、私はそういうマメなことが苦手だし、興味もない。 極端に言えば、引越ししたくなさゆえに日本に引き上げたくないとさえ思うくらいなのだ。 前にも少し書いたことがあるが、人生をともにするパートナーがイギリスの人であったら、どこまでいっても「どっちに(どこに)住むか」はもちろん永遠の課題ではあるとはいえ、イギリスに住む理由があるように感じる。 しかし、私たちのような日本人夫婦は、どこまでいってもこの国にとっては外国人だ。 この国で人生の終焉を迎えなければいけない理由もなければ、その意思もない。 (私はその辺りは鈍感なのであまりそういう自覚もなかったが、人によっては差別を受けたと感じる人たちもいるようだ。) 私たちにとっての終の棲家はイギリスにも、また他の国にもなり得ず、結局は日本で・・・つまり畳の上で死にたい、ということなのだと思う。 結局、私はイギリスに来てよかったのだと、今日ここに書いておこう。 それに、ここに来なかったらクマイチにも会っていなかったし。 何より「世界の人は自分の物差しで動いているわけではない(当たり前中の当たり前だが)」ということを体感できた。 難しいのは、人間は、変えていかなければならない部分と変わっていってはいけない部分の両方を持ち合わせてバランスを取っていくことだろう。 うまく書き切れないが、今、こんなふうに考えている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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