カテゴリ:家族
ロンドン・ヒースロー空港に飛行機が着いた瞬間、カバンを持ち、飛行機のドアが開くと同時に入国検査場まで、誰にも追い抜かれまいとして文字通り脱兎のごとく走って行った。
入国検査場でパスポートにイギリス入国のスタンプをもらい、荷物が出てくるターンテーブルの階に降り、すばやく自分のスーツケースを引き取り、到着ロビーに向かう。 自動ドアが開くと、そこには各地からの到着客を出迎えるいろいろな待ち人たちがいて、その中にクマイチがいた。 大変やったなぁという顔をしている。 何から先に話すのが本当なのかわからない気持ちで久々にクマイチの顔を見ると、何かもう、これまで張り詰めていた糸が、一箇所ではなく、あちこちが一斉に切れる気がして、泣いた。 もちろん、いちばんの重大事は父の生き死にのことではあったが、それだけではなくて今回は本当にいろんなことがあったのだ。 (「そやし、その『いろいろ』はなんやねん」というツッコミは今はカンベンして下さい) *** 実家にいた時、最初の週は弟もいた。 弟に最後に会ったのは2年前の1月。 (注.こういう肝心なことを思い出すのにここの日記は役に立つなぁ) その時は弟の家を訪ねたので、次にもしも私たちが実家で会うようなことがあれば、よほどよくないことが起こった時しかないと思っていた。 結局、最悪の事態は今回は免れたし、日本国内であれば、何かあってもとにかくなんとかしてすぐに来られるからということで、弟は1週間でとりあえず自分の住む街に戻って行った。 しかし、弟と久しぶりに実家で時間を過ごし、いろんな昔話だとか、現在進行中の離婚の件だとかについて夜中も寝ないで話したりしたのだが、やっぱり私と弟とはかなり違う人格なのだということをはっきり感じてしまった。 当たり前のことかもしれないのだが、一つ、何かのスイッチを押した時の出力は、私と弟の間ではその場所も出力の形がぜんぜん違う。 ただ、このスイッチ→出力、の加減は、私・父・母の3人の間だと、それが話題になることがないほど似ているだけに、弟のそれとの違いに出くわすとそこで初めて驚くという感じなのだ。 今、その進行しているところの離婚についても、これまではメールだけのやり取りだったが、やはり相互で話を積み重ねていくと、もちろんもっと見えてくる部分もある。 その中で私が「やっぱりな」と思ったことに、この離婚云々の発端には弟の責任が大きいというのを今さらながらに感じてしまった。 以前から書いている通り、義妹の冷たさというか思慮の足りなさ、というものも確かに最初からあるにはあった。 しかし、はっきり言えば、それを甘やかして助長させてきたのは弟であるし、今回、離婚したくなったというのも、その引き金は弟が引いたものであるし。 弟は、開頭手術前後の時にはやめていたタバコをまた少し吸い始めていた。 他人様がタバコを吸おうと吸うまいと、それはその人の自由だが、一度は死の淵をさまよう経験をしながら悪習を復活させていた弟のその行動には頭にきて「やめんかいっ」と怒鳴った。 「ヨメのこととかあって、ちょっといらいらすることが続いたし」と言い訳をする弟に「ほなタバコ吸うたら元の問題が片付くっちうんか?」と凄んだ。 弟は、母が何か小言を言うと結構それに噛み付いたり言い返したりしていた。 しかし同じことを私が言うと、そこまでは言い返さない。 彼なりにこれまでの人生でいろいろと私に借りがあることはわかっているらしい。 それにしても実家に弟がいる間、右半身が動かないことは別としても、気働きがぜんぜんないこと、かといっていい大人に口うるさく言いたくない・言わせないでくれ、といったいろいろな複雑な気持ちが毎日弟に対して渦巻いていて、弟がそこにいること自体にも私はとてもぴりぴりしていたのだと思う。 そして一度、母にそのことを言うと、母さえも「あの子がいたら余分に疲れる」と言っていた。 弟とのあれこれも、これはほんの氷山の一角なのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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