【バスの旅】「さくら道」名金線をたどる旅(最終回)
ほぼ月イチペースで書いてきたこのバスの旅レポートも、いよいよ終盤戦です。前回のお話【バスの旅】「さくら道」名金線をたどる旅(第4話) http://plaza.rakuten.co.jp/myamyaspace/diary/201207070000/御母衣ダムを出ると、バスはやがて岐阜県・石川県・富山県の三県にまたがる名山・白山の近くに差し掛かります。次は「白山登山口」バス停です。ここにも立派な「佐藤桜」の木がありました。有名な「白山スーパー林道」は、この近くから分岐しています。ここから少し離れた「平瀬」バス停にも、立派な「佐藤桜」の木がある事で知られています。ここでは最近、温泉も湧きました。やがて鳩ヶ谷を12時35分に出た、上り名古屋駅行き『名金線特急・白川郷』号とすれ違います。「桜って、成長が早いでしょう。」バスを運転している北田運転士は言います。車窓には、合掌づくりの家々が目立ってきました。もう白川郷の集落に入ってきたのです。そうなると、間もなく白川郷の中心地・荻町に到着です。隣席の女性は、ここで下車していきました。乗り継ぐ予定の高岡駅前行き加越能バスは、この荻町が始発ですが、やはり『名金線特急・白川郷』号を終点まで乗りたかったので、終点の鳩ヶ谷までそのまま乗る事にしました。そうこうしているうちに、『名金線特急・白川郷』号は定刻の13時11分に終点・鳩ヶ谷へと到着しました。北田運転士に礼を言ってバスを下車します。その名前の通り、かつては名古屋と金沢を直通していたバス『名金線』も、ここで折り返し。そして金沢側は金沢駅~福光駅間の折り返し運転となっているため、名古屋~金沢間を一般路線バスの直通運転で行く事は出来ない。この鳩ヶ谷バス停にも、親子の「佐藤桜」がありました。御母衣ダムほとりの荘川桜から生まれた種が、この様に立派な木に成長したのです。名古屋から金沢まで、太平洋と日本海を桜で繋ごうとした佐藤良二さんは1977年(昭和52年)に、47歳の若さでこの世を去りました。相方の運転士・佐藤高三さんも1982年(昭和57年)に、後を追うようにしてこの世を去りました。この親子の「佐藤桜」はきっと、二人の生まれ変わった姿なのかもしれませんね。名古屋で買った弁当を食べているうちに、荻町からの加越能バスがやってきました。前の席では、『名金線特急・白川郷』号で一緒だった女性がこちらに向かって手を振っていました。聞いてみると、白川郷方面では女性一人で泊めてくれる民宿というものがないため、五箇山の菅沼にある「越中五箇山ユースホステル(現在は閉館されました)」に泊まるとの事でした。「それにしても、荻町の合掌集落は興ざめだったわ。観光バスばかりで。」と彼女は言います。鳩ヶ谷を発車した加越能バスは「飛越七峡」へと入ります。ここは読んで字の如く、庄川にかかる7つの大きな橋を渡って富山県(越中)と岐阜県(飛騨)の県境を何度も走るのです。そして最終的に富山県へと入ります、と車内のワンマンテープが案内していました。この加越能バス、少々運転が荒いのか、道路がカーブ続きなのかは分かりませんが、時折車内がガタガタ揺れます。この加越能バス五箇山・白川郷線(高岡駅前~荻町神社間)は1日4往復運転されていますが、生活路線プラス観光路線としても走っているので、この様な観光放送を車内で流してくれます。また時折、『こきりこ節』や『麦屋節』といった民謡が流れてくるので旅情を感じます。岐阜県から富山県に入った加越能バスは「西赤尾」バス停に着きます。かつては高岡駅前から小牧堰堤経由でこの西赤尾まで、特急バスが運転されていた時代もありました。この西赤尾には、重文にも指定されている岩瀬家の合掌造りがあります。「菅沼の合掌集落は、俗化されていないからいいわね。」先ほどの女性は言います。その中で、「絶対に船でしか行けない温泉」である大牧温泉の話題も出てきました。小牧堰堤から、観光船に乗る事約30分。ダム湖にせり出した秘湯・大牧温泉に行く事が出来ます。やがてバスは「菅沼」バス停に着きました。この女性とはここでお別れです。彼女は、こちらへ手を振りながら吊り橋の方へと消えていきました。合掌造りの集落や庄川峡のダムを、加越能バスは車窓に見ながら走ります。かつては『陸の孤島』と呼ばれ、流刑や落人の地であった五箇山。それが国道が開通し、現在のように多くの人が訪れるようになっているのです。下梨バス停を過ぎると、このコース一の難所・細尾峠に差し掛かります。かつてはヘアピンカーブと激しい積雪で、冬の交通手段を閉ざしてきたこの峠も、現在は「五箇山トンネル」でいとも簡単に通過してしまいます。城端駅にて時間調整した加越能バスは、砺波平野をJR城端線に沿って走ります。福光駅では乗客の大半が入れ替わりました。JRバス『名金線』は、ここ福光駅と金沢駅との間が西日本JRバスによって現在でも運行されているのです。砺波営業所で乗務員が交替し、目的地である高岡市内に着いたのは17時過ぎの事でした。名古屋から約9時間、ちょうど日本列島を横断した事になります。いつかまた、「佐藤桜」の咲く頃にこの地を旅してみたいものです…。※この乗車ルポは、1994年9月のものです。2002年9月30日をもってJR東海バス名金急行線のこの区間は廃止され、後にJR東海バスの一般路線バスも全廃されました。さくら道 太平洋と日本海を桜で結ぼう/中村儀朋【RCPsuper1206】価格:1,509円(税込、送料別)尚「楽天広場会員」以外の方で、御意見・御感想・コメントのございます方も、どしどし下さい。ご参加、お待ち致しております。(メールの絵をクリックされますと、メールが送れるようになっております)