船と母船と水球一周、喜望峰到達!みずがめ座流星群、奴隷船ルート北上中、修行は続く~
明けても暮れても、私の船室から見える風景は永遠に海、海、そして水平線だけ。洋上生活50日ほど。まさに「海は広いな、大きいな~、月が登るし、日が沈む~」これが実感です。いつもアリゾナの砂漠に住む私にとっては水のエレメント不足だとしても、もう十分に、嫌というほど(笑)水をいただいた気分です。4ヶ月のうち陸に上がっているのは、ほんのひと月あまり。あとはずっと日夜、洋上航路を進めるのみです。地球一周というのはウソですね。これ、水球一周です。私たちのマザーアースがいかに巨大な水球、水の惑星であるかを実感しています。そして陸はそれぞれ離れているけれど、海は全部つながっている。ひとつなんですね。出港直前になって、ガザ地区の情勢がエスカレートしていることから、本来の航路だったスエズ運河を通って地中海、ヨーロッパに抜けるコースが取りやめとなり、代わりにアフリカ大陸を大きく南下し、喜望峰をぐるりと回り込んでアフリカ西海岸沿いに北上してヨーロッパに入るというコースに変更されました。起こることにはすべてに意味があるはず。私はひとつには世界の7つの海からの浄化、祈りの旅というのを意図していたので、え?この航路変更は私のためになされたのかもと思ってしまったほどでした。スエズ運河は若き頃通っているし、地中海諸国は何度も訪れている。アフリカの大地へは二度ほど訪れていたけれど、最南端、南アフリカへは行ったことがなかった。それが今回、こうした理由で行かざるを得なくなったわけです。ずっと南極海へは果たして、どうやって届けるというのか?北極海から「通す」のかな?とか思いあぐねていたものが、謎が解けた。そう、南ア最南端の喜望峰(いや、実際にはアガラス岬)から南極はすぐそこだ!と閃いたのです。北太平洋を南下し、赤道を越え、インド洋上に浮かぶセイシェル共和国に近づくにつれ、なぜか私の血圧が急上昇してWHY???と不思議で仕方がなかった。血圧は高い方だけど下が110、上が180を越えるのは初めて!血圧計のあるフィットネスエリア、普段はあまり人がいないのに、その日に限って5人くらい周囲にいて、みんなに数字を見られ(!)、「すぐ医務室行ったら?」とか騒然となったほど。そこに偶然ジムを終えて現れたのがマレーシア人で、なんと名前が「ゴータマ」!まさにゴータマ・シッダルダ、ブッダそのものじゃないですか!そして医者でした。なんだか訳わかんないけど、とにかく私の血圧が異常に高いことが人にも知られる「イベント」となったわけ。Dr. ブッダの優しくて落ち着いた声が私を落ち着かせてくれたけど、Dr. ブッダも血圧の薬、飲んでいるんだって。私はできれば薬飲みたくないんですよねー。いやー、それにしても何が起こっているの?心配になって信頼するKさんに連絡すると「大きな母船が一緒に動いています。大丈夫です」と。え~~~?? 何? 「この船じゃなくて、ですか?」「違いますよ(笑)、巨大な宇宙船です。映画のワンシーン見てるようです」と。ますます???そんな状況下で明け方、不思議な夢をみました。空中を物凄い速度で回転して飛んでいくディスク、円盤状のものとそれを操る装置みたいなものがあって、それはどこかで見たことがある感覚、とてつもない恐怖感。そこへとてもじゃないけど手で握れないくらい大きな水晶が現れた。虹が内側からギラギラ光っていて、上の方はDTどころかマルチ方向に分かれているマルチターミネィテッドの多次元水晶。その大きな光り輝く水晶が、半分夢の中、半分覚醒したような状態で、胸にドーン入ってきて、それを受け取ったような感覚があったのです。そこで目を開けてから何ものかに命じられるまま、禊をしてから甲板に出てみると、さきほど胸に受けたこの多次元水晶の使い方を教えてもらった(ような気がした)。海は深く海底まで汚染が進んでいて、マザーアースはもがき、引っ掻き混ぜ、すっきりしたいのだという感覚だけがビンビンと伝わってくるんです。海からの大浄化。私は胸のうちに湧いてくる思い、「わかりました。これからも、この身をそのために御遣いいただけるのでしたら」とお伝えしたのです。その日はやっと上陸できる日で、その前に朝食へ向かうと、ウェイターに案内されたテーブルの番号は39番。息子の命日でした。これで良いと、答え合わせをしてもらえたのでした。息子は上で、私は下ではたらき続けるしかない。朝食後部屋に戻って血圧を測ったら、ぐーんと下がって元に戻っていました。あの高血圧の3日間は、この巨大な多次元水晶を私の身体で受け取っても負担がかからないようするための準備だったようです。自分でも今なお信じ難いけど、こんなことってあるんですね。南半球に入ると、夜空に南十字星が見えるようになります。それに今年は5月5日からは深夜から明け方にかけて南の夜空にみずがめ座エータ流星群が見られるというので、多くの人々が観望会に集まり、すべての明かりを消して真っ暗な夜空を見上げましたよ。そして夜空をヒューンと横切る彗星が現れるとわーっと歓声が上がりました。最高!ザンジバルを通りながらフレディ・マーキュリーを思い、マダガスカル沖合を通過しながらあの島に眠るたくさんの魅惑の水晶たちのことを思い、そして初めての南アに向かう頃になると、噂通りに海は大荒れとなっていきました。1488年、最初のポルトガル人が喜望峰に達した際、周辺があまりにも荒れる海域だったことから「嵐の岬」と呼んだそう。でもここを拠点とした貿易がもたらした巨大な富により、ポルトガル国王はここを「希望の岬」と改名したらしい。いつの間にか希望は喜望になり、岬は峰になっていく理由は??ですが。喜望峰ではなく、地理的にも最南端のアガラス岬を通った夜の時間に、私は南極へのご奉納を遂行させていただいたのですが、これも文字通り、体をはってのイベントだった。大きな船なので普段はあまり揺れを感じないし、船酔いもないのですが、この海域は大変な荒れ模様で、横揺れに縦揺れも加わり、高波は10メートル以上!デッキにも大波が上がるので立ち入り禁止、外へ出られなくなっていました。台風並みの暴風雨、下手すると風に持ち上げられそうでヤバい!そこで祈ることはできそうになかったのでまず部屋で準備を、それから最上階の14階へ。そこには一部分だけ通れるところがあることを前もって確認しておいたのでした。暴風で大揺れ、水しぶきは船の11階くらいまで跳ね上がっている有り様。真っ暗でブルブル震えるほどの寒さ。強風に海に放り込まれないよう、しっかりと手すりにつかまりながら海と対面。ここまで大揺れだとバランスとって立っているのすら大変だったけど、そんな暴風雨の夜に外に出ている人は誰もいなかったので、やることがやりやすかったです。ご奉納が終わったあと、ふと見上げた嵐の空に大きな明るい星がキラリと輝いたんです。これをOKの合図と取って部屋に戻りました。その明け方、船はようやくケープタウンに着くのですが、でもその嵐のせいか、濃霧のため港に着岸できず、2時間ほどゆらゆら漂って上陸許可を待つのでした。せっかくこんなケープタウンくんだりまで来たなら、絶対に喜望峰を見ずには帰れないでしょうと願ってたら、やっ上陸許可が下りました。それから、なぜか私の通訳をあてこんでついてくるおじさん(ていうかおじいさん)3人を引き連れて、タクシーの交渉ですよ。すぐに決まり、すごく陽気でいい感じの運転手フランクが真っ白ピカピカ、革張りのアウディ!で現れた。それからというもの、素晴らしすぎる半日ツアーの時間を過ごしたのでした。岬の海岸線の絶景、はるか下の方にきらめく水面が息を呑むほど美しかった~~!フランクは宣言した。「今日という日は歴史に記録されるべき、記念日だよ。このところずっと雨だったのに。それに晴れても冬はこの岬はいつも強風がすごいんだ。今日は快晴、風もなし、太陽も海も最高、ありえないよ!」と。3人のおじいさんら、「やっぱりわしらの日頃の行いが・・・」なんてのたまってましたけどね。同じ海岸線を喜望峰に向けて何十台ものツアーバスと行き交うのだけど、絶景見晴らし台にはバスが停まれるようなスペースがはないから。みんなはただ車窓から眺めるだけ。われらのアウディはWOWと言うものなら、すぐにでもどこでも停まってくれて、アザラシもマントヒヒもダチョウも・・・写真もばっちり。フランクに冗談で奥さんは何人?子どもさんは?とか聞くと「ワイフは2人、子どもはそれぞれに3人ずつ、3人目は本人がいいな。子どももあと3人欲しいんだ」と。そうか、フランクはズル族だから多妻制文化、奥さんたちはシスターのように仲が良いそうだ。たくさんの文化交流も交えてほんとに楽しいひとときだった。団体ツアーの旗の後についていくとこうはいかないもんなー。 喜望峰、こんな風無し快晴の日は超、超、超、珍しいそうで、もう感謝、感謝です。 喜望峰、最高の絶景ばかりが海岸線沿いに続きます。WOWの連続です! ついに喜望峰達成!バスコ・ダ・ガマの気分!(笑)!翌日からはまた別の修行が・・洋上生活もひと月が経った頃、船内で風邪が流行り、ジジババらはあちこちでゴホン、ゴホンともう大変。なかには例のCOVIDで隔離された人たちも数人出てきたり。自分はずっと大丈夫だったのに、大半の人達が治りかけた頃にもらっちゃったようです。船内は冷房効き過ぎ、とにかく寒過ぎ。これで数年ぶりに微熱ながら発熱までして、咳と痰がひどくなってあれは一体何だったのか?気管支炎?咽頭炎?船内の医者も大忙しだったようで、風邪薬もほぼなくなってしまったらしいという噂が。私は風邪は水分補給とビタミン、あとはじっくり部屋で休むに限るというポリシーなので風邪薬も解熱剤も飲まずに休んでいたんですが、微熱が1週間以上も長引くようになると、これって?と、いろんなことも考えるようになるわけで・・・そう、喜望峰を回ってからアフリカ西海岸を北上するコース。ナミビア、アンゴラ、コンゴ、ガボン、赤道ギニア、カメルーン、ナイジェリア、ベニン、トーゴ、ガーナ、コートジボアール、リベリア、シエラレオネ、ギニア、ギニアビサウ、ガンビア、セネガル、モーリタニア、西サハラ、モロッコ・・・といった国々の沖合を通過。これって、かつて数千万人の黒人らが捕まえられ、劣悪な船でヨーロッパや南北アメリカヘ向かい、セリにかけられたまさに奴隷船のルートそのものじゃないですか!。こうした無数の奴隷たちの苦しみ、悲嘆、無念さのようなものが強くハートに響いてしまって、実は大変だったのです。もしそうなら、私が手軽に解熱剤なんて飲んでは申し訳ない、みたいな気持ちもあり(まさしくナンセンス、だよね)、それで自然治癒に任せることにしたのでした。それで私、もう神様に申し訳なくなって謝罪しましたよ、もう。なぜゆえにこんな差別、愚行が許されたのか、いや、名を変え、国を変えて今なお行われているのか!と。いやはや、こうして洋上では、訪れる土地と民族のそれぞれのカルマみたいなものまで身を持って体験させられている感じがあり、日々、まさに修行が続いております。発熱も自分のDNAアップグレードのためには必要だったみたいですしね。やっとのことでまた赤道を越え、ジブラルタル海峡を越えてヨーロッパ地域に入ってきた頃から、半月以上に及んだ風邪と微熱の症状もすっかり良くなってきて、またぼちぼち一人ヨガも再開しようかと思えるほどです。 アフリカの修行を終え、カナリア諸島、ラス・パルマスへ:)次に無料WIFIがつながる国へ上陸したら、また更新したいなと思っています。先ずは、フランスに限りなく近い洋上から皆さまにボンジュール、ナマステ~! 修行の旅はあと2ヶ月続く・・・らしい