黒川の桜・・・
私達のプリスクールは名古屋城からほど近い「名古屋市北区」黒川という地にあります。ここは名古屋でも有数の桜の名所、「御用水路」へとつながっています。スグそばに流れる「堀川」を私達は「黒川」と呼び地元では親しんできました。丁度今週末は何分咲きでしょう・・・。まだつぼみも多いかな。でも所によっては結構咲いている・・・・。そんな感じでお花見に来ている方もそれほど多すぎず穏やかな感じでした。schoolmamaは小学生の頃この「御用水路」と言われる川の近くに住んでいました。ずっとずっと見てきたふるさとの愛すべき光景です。桜の季節になる度に月並みですが「こんなに桜があったんだ。そして日本っていいなあ」と感じます。堀川=人工の川で流れがなく、潮の満ち引きで海水が上がってきてしまうので微生物が生きられず水がきれいになりにくい・・・。下流のよどんだ流れを知る多くの人は「ああ、堀川ね」と感じるかも知れません。しかしschoolmamaとpapaは10年ほど前、堀川の上流、私達が黒川と呼んでいるもっと上、「御用水路」と呼ばれる桜並木のもっと上に、地下鉄工事の際に出てきた地下水を流し始めたところ、驚くほどの清流が夢のように蘇った・・・・。そんな時期があったのです。あの本当に「夢」のようで毎日川を見に行った日々を忘れることができません。白鷺が舞いおり、さらさらとした流れが、キラキラした水しぶきをあげ、そこには小魚が無数に泳ぎ、きれいな黄緑色の水草がそよそよと流れの中で揺らめいていました。当時その姿を記録にとどめたくて、schoolpapaとmamaは二人で誰にも頼まれていないけれど、ドキュメントムービーを撮影し、取材をして歩いていました。それはもうほとんど毎日。流れを見に行ったりビデオを回してカメラマンとレポーター。「どこの局ですか?」と聞かれて「いえ、どこでもありません」と答えたり(笑)その時撮った映像は編集して区役所に寄付したりしていました。「この流れは工事が終わったらきっと失われてしまう。もう二度と戻らない日々を、いつか生まれてくる我が子にも、次の世代にも見せてあげたい」そんな気持からの願いでした。そして「黒川をキレイにしたい」という夢のプロジェクトに沢山参加をし、いろいろなボランティアを一生懸命しました。今思い出しても沢山の場面が蘇ります。そのとき出会った沢山の方々、それが今もなお、「堀川再生」に夢を掛け地道にボランティアをしておられるたくさんのみなさんです。本当に頭が下がります。(お恥ずかしながらスカイガーデンを立ち上げてからは、子ども達の安心安全な環境づくりとスクール運営をするだけでも本当に精一杯で、活動からは遠ざかってしまっていました)実はとても久し振りに週末かつてと同じように、しかし今度は家族であの「桜並木の御用水路」を見に行きました。流れは・・・・。沢山の方の努力で止まることなく今もありました。この「流れを止めないこと」や「適量で魚が住める量を確保してもらうこと」が水資源の利権や使用、また治水、様々な管轄などの仕組みがあってどれだけ大変だったことか・・・。携わり学んだことを思い出しました。すると・・・・「おーい元気かい?」大きな声で呼びかけてくださる懐かしいお姿。当時からずっと変わることなく御用水路の清掃を続け、今も「川の番人のおじちゃん」として沢山の方に親しまれている山田則之さんでした。あの日から変わらず、川の廻りをキレイに。そして子ども達が川に親しみをもって大切にしてくれるように。日々こつこつと・・・・。ご夫妻で本当にこつこつと活動をされ、仲間のみなさんとその活動を広げておられます。「ひさしぶりだねえー」日焼けしたお顔でにこにこと話してくださり、奥様も私達が来ているのを聞いて、わざわざ来てくださいました。まるで実の孫のように子どもも可愛がってくださいました。有り難くて自然に頭が下がります。10数年前のボランティアを一生懸命していたとき、まだ私達も若く、子どももいませんでしたし、「プリスクールを作る」といった未来があるとは到底想像もしていませんでした。「ガンバッとるね」そんな言葉を掛けていただくと胸が熱くなりました。キレイに咲いた桜。止まらずある流れ。変わらないことと、変わっていくこと。その両方が大切なことを、黒川と、御用水路を守る山田さんから改めて教えていただいた気がしました。私達もいつかスクールの子ども達やスカイガーデンを巣立っていったこどもたちにとって「懐かしく会いたいと思うおじちゃんおばちゃん」になれるように頑張らなければと思いました。。