カテゴリ:エルランティ EL-Ranty
https://www.facebook.com/photo?fbid=451458983899659&set=a.204590215253205 【無限の愛】②~感謝ができない者は他の者を愛することができない~ いいかい。悪というものは、本来はそんなにない。 悪は何かっていうと、善に対する、神に対する、部分的な一部のもの。 全体に挑戦している一部分の愛が、悪の正体かもしれないよ。 わかるかい。 一部分が全体だと言い張るとき、そこには寛容さもなにもなくなる。 一部分が言っていることも、ひとつの神の子のあらわれ方。 みんな、一部分の愛を与えられている。 それが、みんなで手を取り合って融合していくからこそ、全体としての愛の調和、愛の循環ができるのに、一部分だけが全体に勝ると主張し始めたときに、愛の循環は阻害されて、溜まりをつくり、影をつくっていく。 それが悪の姿。 でも、大きな宇宙の流れから見たら、まったくの絶対悪なんていうのはなくてね。 光のよどみ、愛の循環の滞っている部分--そういうものなの。 だから、悪だと言われているのは、大きな神の摂理、大宇宙の愛から見たら、ほんのちっぽけなものなんです。 彼らもともに神の子だということ。 いずれはひとつの流れのなかで、愛の循環の摂理に飲み込まれて、それでひとつの、大宇宙の響き、流れができてくるのです。 大宇宙は音を発している。 そのようなひとつの響き、バイブレーションのシンフォニー、コラボレーションがあってね。 その中においていろんな--、ドレミファソラシドって音があるでしょ。 それ以上の、あなたたちがわかる以上の音がある。 そのなかでみんな、ハーモニーを奏でているんだよ。 ドがドであるからすばらしい。 レがレであるからすばらしいんだけれども、ドが絶対であると、絶対にドだけがすばらしいと言い張ったら、交響曲でも音楽でもぶち壊しだろう? ドもすばらしいけど、レもミもフアもソもラもシも全部すばらしいんだっていう、その寛容さ。 受け入れていくおおらかさ。 それが愛なんだ。 その寛容さ、トータルな視野、ものの見方、受け入れていく大きさ、忍耐力、優しさ、寛容さ、それを全部、ひとつの言葉で言うなら愛というんだ。 万物を、生きとし生きるすべてのものを受け入れ、赦し、育み、そして、それ自身の神の子としての命を生かしめんとして、愛というものは常に送り出されていく。 それが大宇宙の摂理であり、宇宙の神のお心なんです。 その中にいると、自分も生かされている気持ちが、アモールじゃないけど、あるんだよね。 自分だって生かされている、自分がもしドだったら、レもミもフアもソもラもシも、すべての神の子たちを生かすために、自分が努力しなければいけないだろう。 自分だって生かされてるんだからという、それがアモールが言ってた感謝だよね。 感謝の思いは、また他のものを生かさんとする、愛他精神になっていって、また愛を送り込んでいくんだよ。 感謝ができない者は、他の者をけっして愛することができない。 それを、感謝と愛はコインの裏表と同じだよということをおっしゃった。 同じです。 だから、僕が言っても、アモールが言っても、かたやモーゼが言っても、ゾロアスターが言っても、誰が言ってもみんな、愛を唱えたら最後は同じなんだ。 その中で、愛の大家でおられる、アモール、イエス様が、愛を美しい言葉で語られるから、この間、あのような力のある霊言になったと思う。 エル・ランティ(高橋信次)『宇宙時代の神の子たちへ』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年05月10日 07時05分03秒
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