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カテゴリ:劇団☆新感線
なにから書き出したらいいのかわからないけど、
終演後友人を感想を言い出した途端に涙が勝手に噴出した、なんてことはいまだかつてない。 上演中泣いたことはある。ダダ泣きだって、号泣鼻水だらりだってある。 でも、なんだかわからない感情を抱えて劇場を出たら、その感情を言葉にしようとした途端に 勝手にぶわーっと涙が勝手に流れ出すなんていう現象はない。 とりあえず、全方向に向かっての感謝と謝罪を(笑) こんな派手な劇団の新しいステージへの脚本を書き上げてくれた倉持先生。 日頃の作風とは違うのに、よくぞ引き受けてくださって。本当にありがとうございました。 そして、「大丈夫なんですか?」なんて疑って申し訳ありませんでした。 他者から見たから・外部からだからこそできること。 劇団員たちの使われ方。いつもこうだからこれ、こういう役が多いからこれ、ではなく、 この役が必要だから、こう演技する。という至極当たり前のことなんだけど、 役者としての技術がきちんとないとできないことをなんとなーく新感線はやってない。 出来る人たちなのに、そういう風に役者を使ってない部分がある。 【劇団】というシステムの名残りなのか。十八番的な役をずっとやらされる傾向がある。 かずきさんが書くと余計にね、それは仕方ない。座付き作家だもの。 そして、あんなにきれいで丁寧なセリフたちを紡いでくれてありがとうございます。 伏線、描写、心の機微、移り変わり、悲喜こもごも、人物背景、生い立ち等々 それを壮大に歌い上げるのが、劇団新感線の烏骨鶏、いや真骨頂!(BY ばってん不知火) だから長い、だから国家規模の話ばかり(笑) 悪いものにも背負う何かがあり、あちら側にもあちら側の義があったりする。それを最後に主人公と対峙するときに謳いあげる。 それがいのうえ歌舞伎。の通常の流れ。 それが今回は全くない。 何故に盗賊になったのか、なぜに殺生しない盗賊なのか、なぜに助けたのか、 何故に甘いものが好きなのか、なぜに彼だけに見える存在なのか、なぜに・・なぜに・・ その「なぜに」は観客が察するのです。役者たちの演技から、演出から、照明、音楽、効果 舞台上にあるすべてのモノから観客が想像する。推測する。思いをはせる。 これまたお芝居ならば至極当たり前のことなんだけど、新感線はそういう系じゃなかった。 よく、いのうえさんが我慢したなぁって、頑張ったなぁって思いますよ。 長いので、一旦・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 7, 2016 01:23:03 PM
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