稽古ノート19「ルール」
プレラ西宮にて、稽古。前半を返す。今回の芝居は一人の男の記憶や解釈がたちあらわれたり、消えたり。このシステムを舞台上に、視覚的に、聴覚的に、どう現出できるか。舞台上にルールを決めていく。舞台は「バス停の待合室」。「待合室」の中と外では意味合いが違う。そして、この「待合室」は男の「心象」と重なっていく。「心象」を現出させるために、舞台に、慎重にルールを決めていくのだ。さて、秋浜先生門下(南河内万歳一座の内藤さんや、焚火の事務所の三枝さんなんか)は、集団シーンを作るのがうまい。「ここは右に動いて」とか具体的なことはあまり言わないそうだ。ルールを決めていくらしい。遊びのルール、ゲームのルール。なるほどと思う。集団シーンは型を決めていくわけではない。俳優の身体を型にはめていくと、型にはめるということは型に合わせること、その型をマネすることになるから、必ず、身体のどこかに余分な力が入り、演技はかたいものになる。ルールは、ルールに従い、俳優自ら身体を動かしていくわけだからね。昔観たあの万歳一座の躍動感が生まれるわけだ。今回は少人数の芝居であるが、そのへんは同じである。