私がこんなに泣いているのに、なぜ祖母は慰めてくれないのか、不思議なくらいでした。
祖母の大事な私が。
祖母ならば、お棺から起き上がってちょっと背中を撫でてくれてもいいと思ったのですが。
祖母の枕元でじっと顔を見ていても、祖母はおとなしく死んだままでした。
祖母のお棺はピンク色。
神田うのがプロデュースしたかのように、お棺の内側は淡いピンクの花柄で、縁にはぐるりと一周レースがついていました。
死に装束(足袋、脚袢、手甲、経帷子、三角巾など)もピンク。
骨壺はピンクの模様入り、骨壺を収める箱もピンクです。
お棺には、以前私が聞いた通り、おかき、チーズ3つ、薄皮まんじゅう、その他和菓子2個、メモ帳と鉛筆を入れました。
このブログは立派に記録の役目を果たしました。
出っ歯気味だった祖母は生前きちんと口を閉じていましたが、お棺で寝ている祖母は上の歯が出ていて、笑っているようにも見えました。
太かった祖母は、80kgあった頃からはだいぶ痩せたとはいえ、顔には私よりも肉がついているくらいです。
前よりちょっと冷たいだけで、私にはそれほど変わっていないようにも見えました。
そんな祖母のおかげで私は、祖母の姿を見ている時はそれほど泣かずに済んだのです。
しかし、死に顔が生前とさほど変わりなく見えるということは、やはり死ぬ間際の祖母は死人のような顔をしていたとも言えましょう。
実際に私が祖母の前で泣いたことは、幼い頃を除けばほぼありません。
泣きたいような状況の時もありましたが、そんな時の祖母は詳細は尋ねず私に、「ケセラセラで行けよ」「この世の事はこの世で収まるんじゃ」と言いました。
ピンクのアイテムと大量の花で飾られ、すっかりかわいくなってしまった祖母のお棺は約1時間半できれいに燃え尽き、この世での事を全て収めて祖母はいなくなりました。
祖母は私とは違って晴れ女。
空は澄み渡り、風は凪ぎ、2日前の冷え込みが嘘のように穏やかな1日でした。