カテゴリ:タイ国内の旅(イサーン以外)
津波被災地訪問のつづきです。
2日目に訪れた、ラノーン県の、あるコミュニティでは意外な出会いがありました。 沢山集まっている小さな子供たちの中に、ちょうど、たっくんと同じ位の月齢の男の子が いたので、慣れない場所と大勢の子供たちを目にして固まっているたっくんに 「ほ~ら、おともだちがいるよー」と、なんとか一緒に遊ばせようとしていると、 その子のお母さんが話しかけてきました。 なにげなく、その子の月齢を聞くと、1歳1ヶ月過ぎとのこと。 「ちょうどツナミが起きたときに生まれたのよ。だから名前も『ツナミ』ってつけたの。 私たちは当時カオラックにいたの。この子が生まれる前にツナミが起きていたら、 大きなお腹でとても逃げられなかったけど、生まれた後だったから逃げられたの。 危なく死ぬところだったわ」 ええーーーーっ! たまたま目にとまったその男の子に、そんなストーリーがあるとは。 そういえば、ニュースで被災地で生まれた「ツナミ」ちゃんのレポートを見たかも・・ この子がそのときの赤ちゃん?! ・・・と、思ってネットで調べてみたら、日系のマスコミで報道されたツナミちゃんとは 別の子のようです。 でも、きっと他にも何人もの「ツナミ」ちゃんがいるのでしょう・・ 私たちが出会ったツナミくんの両親は、以前カオラックで建設労働者として働いていた のだそうです。ツナミくんの上には、もう15歳になるお兄ちゃんと、お姉ちゃんがいて、 お兄ちゃんはツナミから逃げるときに車にはねられ、頭が半分陥没してしまったままです。。。 津波によって仕事も失い、お兄ちゃんは障害を負ってしまいましたが、 「それでも家族全員命が残っているだけでも、不幸中の幸いだったね」と 言いたかったのですが、私のつたないタイ語ではうまく伝えられないも・・ と思って口に出せませんでした。 下手をすると、すごく無責任な、つめたい言い方に聞こえるかな、と思って・・ ただツナミくんが元気で、この月齢の男の子らしいヤンチャくんである様子や、 お母さんも、いろいろ大変だけど明るくたくましい感じなのは、こちらも明るい気持ちに させられます。 たっくんのことも、いっぱい可愛がってもらいました。 予定盛りだくさんの2日目が終わって3日目。 この日はラノーンの街の中にある、ビルマ人コミュニティを訪問。 津波とは直接関係はないのだけれど、現地で受け入れてくれたNGOが支援している地域で、 たまたま宿泊したホテルのすぐ近く、、ということで、案内してもらい、 ここでも歌を歌ったり、子供たちとの交流の時間を持ちました。 ここの子供たちの多くはタイで生まれ育ちましたが、国籍がないために (ミャンマーの国籍ならもらえるでしょうが、国を離れて、出生届けも出されて ないのでしょう・・)学校に通えず、支援に入っているNGOが、タイ語や英語などを 教えているそうです。 津波の際も、ミャンマーからの出稼ぎ労働者が多数亡くなったと言われていますが、 届けが出されていないので、被災者がどれぐらいの数にのぼるのか実態は不明のまま。 多くが、不法労働者として出稼ぎに来ている人たちとはいえ、そのために死亡しても 身元がわからないままというのは、なんだかやりきれない思いがします。 ちょっと疲れたけれど、こんな感じであっというまの3日間でした。 あの津波で直接・間接的に被害を受けた場所も、一見するとほぼ復興しているように 見えました。 でも、見えない部分・・被災した人たち、大切な人をなくした人たちの心の復興は、 まだまだ時間がかかるのだろうなと思います。 今回の「ご一行様」が届けたのは、学用品やボール、キーボードなどのモノであったけれど、 それを贈るために募金してくれた日本、そしてタイの人たちの 「被災地の人たち、希望を持ってがんばって!」という心も一緒に、しっかりと 受け取ってもらえたのだといいのだけれど・・ 津波から1周年がすぎて、政府としての復興支援はこれでひと段落という感じがする中で、 遠く離れた地でも「忘れてないよ。応援しているよ」という人がいるんだってことを、 被災地の人たちに少しでも感じてもらえれば嬉しいな、と。 今回私は単に同行しただけなんだけど、そう思いました。 それにしても貴重な体験をさせてもらいました。 またこういう機会があったら、行きたいなあ。 あ、でもソノ前に、タイ語をもっとちゃんと使えるように頑張らなきゃね・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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