2017/09/01(金)21:54
森将軍塚古墳―科野旅行
森将軍塚古墳。古墳時代前期に築造された長野県最大の古墳。
復元され過ぎの感があるが見事な葺石。斜面の傾斜角度がすごい。屈折ピラミッドのように傾斜を変えている。高い尾根上にこれだけのものを作り上げる労働量を想像すると眩暈を覚えるが、よく見ると、元の地形を利用して少ない労力で如何に雄大な姿に見せるかということがよく計算されていることが分かる。あるところは地山を削り、地形に合わせて後円部はいびつな形となっているが、麓の集落から見る分には目立たない。
眼下には千曲市の更埴地域の街が広がる。周辺には屋代遺跡群、城ノ内(しろのうち)、灰塚遺跡、千曲川の対岸には篠ノ井遺跡や塩崎遺跡群が存在する。
麓の森将軍塚古墳館からの眺め。山の上に小さく見えるのが森将軍塚古墳。上から支配地域が見渡せることが重要だったのだろう。
森将軍塚古墳周辺GoogleMapにリンク
森将軍塚古墳のある尾根の麓には前回紹介した長野県立歴史館と森将軍塚古墳館があり、一帯は科野の里歴史公園となっている。麓から古墳へは歩いて20分程。森将軍塚古墳館からバスも出ている。
森将軍塚古墳館では副葬品や埴輪、竪穴式石室のレプリカ、周辺の集落の土器などが展示されている。
科野の里歴史公園 森将軍塚古墳館(千曲市)
主な古墳の中心地が最初期の松本弘法山古墳から前期~中期の善光寺平、中期~後期の飯田地方へと変遷していることが分かる。特に大きな古墳が築造されたのは前期。
後円部上段テラスの壺型埴輪と円筒埴輪
上下の二重口縁壺の形は随分と違う。
墳丘および墳麓出土の土器
2号墳出土品。蛇行剣、剣、直刀、鉾
2号墳は同じ尾根に5世紀初め頃に築造された円墳。
周辺の遺跡の外来系土器
左:北村遺跡(畿内系)、中央:南沖遺跡(東海系)、右:屋代遺跡群(北陸系)
灰塚遺跡。森将軍塚古墳築造当時の土器群。
生仁遺跡1号祭祀跡。まつりの跡を再現。手前はシカ・イヌ・ウマなどの動物の骨。
生仁遺跡ではこのほか卜骨、鳥形木製品、鏡の土製模造品、ガラス小玉なども見つかっている。
新井遺跡。古墳時代の土器棺。
麓には古墳時代の集落が再現されている。住居は屋代清水遺跡の住居を元にしている。
にほんブログ村