テーマ:ドライブ・小旅行(1735)
カテゴリ:歴史/考古学/毛人
長野県立歴史館は長野の弥生時代を知りたい人には外せない場所です。
長野県立歴史館(公式ホームページ) 弥生中期、中野市七瀬遺跡の「えぶり」。 今日でも見かける完成された形の農具を見て、弥生中期に広まった農耕は完成された形で移入されたものだったのだろうと想像した。 農耕が広く行われていたことを示す、石包丁や木製農具が多数展示されている。 左:千曲市力石条里遺跡群出土「貝殻条痕文土器」(弥生時代前期) 右:長野市松原遺跡出土「栗林式土器」(弥生時代中期) 左の弥生時代前期の壺には貝殻による条痕がほぼ器面全体に亘って施されている。この文様がもし櫛描によるものであれば右の甕のように一気に弥生中期や後期の土器のようになる。 この櫛描文は条痕文から施文具が変わることにより在地で発達したものなのか。櫛描の先進地から伝播したものなのかという疑問を持った。 長野市篠ノ井遺跡群「箱清水式土器」(弥生時代後期) 簾状文ではなく櫛描横線文。後期のどの段階のものか気になる。 長野市篠ノ井遺跡群「箱清水式土器」(弥生時代後期) 飯田市丹保遺跡「座光寺原・中島式土器」(弥生時代後期) 左の甕には座光寺原・中島式土器の文様の特徴である櫛描短斜線文が施されている。 飯田市丹保遺跡「座光寺原・中島式土器」(弥生時代後期) 廻間式の高坏に似ている。廻間Ⅱ式ぐらいか。 なんじゃこりゃあ!!!ジブリのカオナシに近いにもかかわらず人面付き土器?目・鼻・口が省略されて最早「人面」と呼べる代物だろうか?本当に人?なのか。 先日、ブロ友KUMA0504さんのブログ記事『「カミとヒトのものがたり」展 日本の神には顔がない? 』にコメントしてその返信も頂いた。KUMAさんの説は「縄文・弥生時代の日本人は神の姿をハッキリと描けなかったのではなく、描かなかった」というものだ。 「カミとヒトのものがたり」展 日本の神には顔がない? (再出発日記) 言い方を変えると神の姿をハッキリと描くことを避けていたということになる。そうすると、なぜ避けていたのかということが大きな問題となる。ここで思い当たるのが実名敬避俗や、神の名をみだりに読んではいけないという習俗だ。 名前の不思議―(1)(おぢさん) 強力な神の姿をあまりにも似せて作ることは「恐れ多いと同時に恐ろしいこと」と考えてわざと簡単につくるというのは確かにありそうなことだと思う。 そうした時にこの顔面の主要部を欠落させた土器は顔を描くことを見事に避けており上記の説に良く適合する。 私も土偶の顔の簡単すぎる表現が劣った技術によるものだとは思っていない。今のところおぢさんはそれは手抜きであり形代か玩具ではないかと考えている。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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