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おぢさんの覚え書き

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2017.09.03
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カテゴリ:歴史/考古学/毛人
「古立―八木連エリア」の鏃を分析した際に「鏑川流域の鏃の変遷過程としては縄文時代の打製石鏃から弥生後期の磨製石鏃、それ以降は鉄鏃を主体とするという流れだったのかもしれない。」と書いたのであるが、そのように考えると疑問を持たざるを得ないことが出てくる。

鏑川流域(古立―八木連エリア)の鏃分析(おぢさん)

以前石鏃の分析をした南蛇井増光寺遺跡と集落としては連続する中沢平賀界戸遺跡を合わせると弥生時代後期の住居址が196軒も検出されている。しかし弥生後期の主流と考えた磨製石鏃は未成品の疑い例を含めて三点しか報告されていない。弥生住居から検出された金属製鏃の方が多く、疑い例を含め4点検出されている。断然多いのが打製石鏃で104点報告されている。

南蛇井増光寺エリア(鏑川流域)―集成(おぢさん)

そうすると、遺跡によっては弥生時代でも意外と打製石鏃の割合が高かったのではないか?この打製石鏃の中にも相当数の弥生石鏃が含まれているのではないか?という疑いが出てくる。弥生時代と縄文時代の打製石鏃を完全に分別するのは不可能だと思うが、弥生時代の可能性が高いものを抽出して、そこから弥生時代の打製石鏃が持っている特徴を把握できないだろうか。

弥生時代の遺構の多い南蛇井増光寺遺跡C区に注目してみる。C区から検出された遺構は弥生時代住居址117軒に対し縄文時代住居址が25軒となっている[1]。このほか縄文時代を中心とする多数の土坑が検出されている。
南蛇井増光寺遺跡C区の弥生時代の遺構からは25点の打製石鏃が検出されているが、弥生時代遺構から検出された石器のかなりの部分が縄文時代の遺構からの混入という見方[2]が示されている。

この南蛇井増光寺遺跡C区の打製石鏃のデータを見ていると面白いことに気が付く。弥生遺構から検出された打製石鏃25点中22点(88%)が黒曜石製であり、残り3点(12%)が黒曜石以外の素材で作られている。そして、その3点すべてが弥生遺構の床面から検出されている。
床面から検出された打製石鏃はたった4点であるが、そのうち3点(75%)までもが黒曜石以外を素材としている。
つまり弥生遺構の床面から検出された石鏃は殆んどが非黒曜石製であるのに対して、弥生遺構の床面以外から検出された石鏃は全て黒曜石製ということになる。


南蛇井増光寺遺跡の弥生遺構の床面から検出された打製石鏃。
C39号住居出土石鏃(赤色珪岩)、C300号住居出土石鏃(黒曜石)
C246号住居出土石鏃(珪質頁岩)、C267号住居出土石鏃(チャート)

これらの床面検出鏃4点は凹基無茎鏃でありふれた形ではあるが、基部の抉れがやや深く、鏃身がやや縦長であるという一定の傾向を有している。

遺構に伴う可能性が高いと考えられる床面検出であり、素材が明らかに異なる傾向を示し、形態に於いても一定の傾向を持っているこれらの石鏃は弥生時代のものである可能性が非常に高いとおぢさんは考える。

打製石鏃を検出した遺構の時期が気になるところだが、報告書には個々の住居址の弥生後期内の時期細分が示されていないので、おぢさんが土器から判断したところではC300号住居のみ4期で他の3軒は3期であった(時期区分は「毛野の弥生後期後葉~古墳時代前期の土器編年と時代区分と並行関係」を参照)。

この非黒曜石が大半を占める弥生住居床面出土石鏃ほど確信は持てないのだが、黒曜石製の石鏃のなかにも弥生時代の打製石鏃ではないかと思ったものがいくつかある。
鏃は磨製石鏃の工房のように特定の住居に集中する場合が多い。鏃が集中する弥生住居跡を探してみるとB98号住居(2点)、C13号住居(2点)、C50号住居(2点)、C75号住居(4点)、C80号住居(2点)、C338号住居(2点)、C344号住居(2点:金属製鏃と打製石鏃の組合せ)、DS25号住居(4点)、DS90号住居(3点)が該当する。


C75号住居出土打製石鏃。全て黒曜石製。

4点の黒曜石製打製石鏃が出土したC75号住居の石鏃を見てみると、4は形態不明だが、1~3は抉りの深い形で1と3についてはやや縦長の原形であったように見受けられる。この形は先の床面出土石鏃の傾向と近く、これらの石鏃が弥生時代の物ではないかという思いを一層強くさせる。


DS25号住居出土打製石鏃。全て黒曜石製。

4点の黒曜石製打製石鏃を出土したDS25号住居の石鏃。こちらは4点中3点までもが未成品または未成品の疑いがあり、石鏃工房だったのではないかという疑いが頭を擡げる。しかしそれを裏付けるような加工くずなどの報告はない。

C区、DS区とも縄文時代の住居址や土坑が散在し、上に示した弥生住居址とも重複しているためこれらの打製石鏃が縄文時代の物である可能性は排除できないが弥生時代の物である可能性も高いように思える。



[1] 群馬県埋蔵文化財調査事業団編 1997『南蛇井増光寺遺跡V C区・縄文・弥生時代 本文編』抄録
[2] 大木紳一郎 1997「第4章 出土遺物」群埋文『南蛇井増光寺遺跡V C区・縄文・弥生時代 本文編』 p.567


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Last updated  2017.09.09 20:48:20
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