邪を抜き涅槃を説きたまいし 【比喩品第三】(二十七~三十五行)
★★ きょうの謎!その謎1:舍利弗の持っていた邪見とはどういうものでしょうか?その謎2:空法に於て證を得るとはどういうことでしょう?■■第6-3日 Vol.143 邪を抜き涅槃を説きたまいし【比喩品第三】(二十七~三十五行)https://jouan167.jimdofree.com/buddha0603/今 日 の 説 法 ! (集)____________________________________舍利弗が普段から世尊を見たて奉っておりますと、世尊は諸々の菩薩に対して誉め讃えておられました。舍利弗自身はそれを知らされることがとても辛く、日夜に悩んで思惟していたと言ってます。今、佛の御声を聞くところ、宜しきに随った説法で説いていらっしゃる。無漏ということは本来、思議のし難い境遇であり、大衆形式で道場へ誘っているのです。舍利弗は以前、邪見に執著しており、さまざまな梵天王を志す婆羅門の僧を目指させる師となってしまっていたそうです。そういう状態を世尊は見抜いてくだされ、舍利弗は邪見をことごとく排除することができ、空の概念の法において證を得ることができたそうです。その時、舍利弗は自らに空想したそうです。「滅度に至れたのだ」と。しかし、今になって自ら目が覚め、これは真実の滅度ではない、もし本当に作佛することができた時には、三十二相を具足し、天や人、そして夜叉や龍神などが一斉に恭敬するはずであると、この時になって初めて思えることである、それは永久に盡滅してもう遣り残すことはすべてない充足を得れるのだと想ったというのです。∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴