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カテゴリ:生活・文化
私は、数年前に日蓮聖人の信者団体の人に勧誘を受けたことがあります。
その人が私に最初に教えてくれた言葉でなるほど鋭いと感動したことがあります。 それは、信者が正しい行いを進めていこうとすればするほどに必ず邪悪な魔性が それを妨害にかけてくるということです。 ですから、正しい生き方をしようとする者は先ず魔性の存在に気付かなければな らないということを一番最初に教わったのでした。 そして、更にその魔性の対処に関していろいろと学ばせていただきました。 つまり、日蓮聖人がすでにその魔性に関して詳しく解決しているのでした。 日蓮聖人はどんな御方だったといえば、鎌倉幕府の役人に法華経の信心普教を迫 害され、佐渡ヶ島へ島流しになったことは多くの人がよく知っているでしょう。 しかし、詳しくはどうして時の偉い大僧侶を平気で島流しなど出来ようかという 疑問点はほとんど多くの人がその意味理由を知りません。 実は日蓮聖人こそその島流しを自らにお許しになり、認めて流されたのでした。 とはいっても、そんな馬鹿正直なこと言っては元の木阿弥でとんでもない、いつ までも終わらないことだということにもなりかねませんね。 しかし、そこが日蓮聖人の偉い所なのであり、桁外れに人並みはずれた智慧の持 ち主だということなのです。それは、単に人並みな仏心で考えて、悪い役人と言 えども元々はどんな人も皆罪びとだ、日蓮聖人自体も同じ罪びとの一人だ、なん て容易いことだけではまったくなかったのです。 日蓮聖人が解かれたのは、実に仏法に対する魔性のことであり、魔性の根強さの ことなのです。 魔性に打ち勝つのが仏法であることは言うまでもないのですが、果たして、舎利 弗が魔性だったのかどうかは今後ご一緒に考えていくことにし魔性(ましょう) ・・・なんて、くれぐれも落ちが付きませんように。 第2-3日 舎利弗の謝罪 【比喩品第三】(五行~八行) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.05.25 18:06:10
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